メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

バティアシュヴィリのショスタコーヴィチ

2011-03-02 21:49:42 | 音楽一般

ショスタコーヴィチ: ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品77
ヴァイオリン: リサ・バティアシュヴィリ
エサ-ペッカ・サロネン指揮 バイエルン放送交響楽団 
2010年録音 DG
 
あまりにも月並みな表現だけれど、凄いの一語につきる。初めから終わりまで、すみからすみまで密度が濃くて、だからといって疲れるわけでなく、この曲を堪能することができる。
  
この人のこの曲の演奏、少し前にN響との共演をテレビで見て、圧倒された。名前も知らなかったこのグルジア出身の彼女、よほどこの曲に思い入れがあるのだろうか。
 
この曲はショスタコーヴィチがダヴィッド・オイストラフのためにかいたもので、作者も奏者もあのスターリン時代にいつ恐怖のドア・ノックが聞こえるかとおびえたいた体験を共有しているといわれている。そう単純なものではないにしても、やはりこの緊張感と濃密な音は、なにかそういう背景をうかがわせるものだ。
 
思い出してオイストラフが1962年ロンドンでロジェストヴェンスキー指揮フィルハーモニアと演奏したもの(BBCのライヴ録音)を聴いてみた。
 
演奏時間は第1楽章と第3楽章の緩余楽章がバティアシュヴィリより早い(感覚的にはそれほどではないが)。それに第1楽章は特に前半あっさりしすぎていてどこか印象が薄く感じる。がしかし、次第に気がついたことは、これはこの時代を本当に経験したオイストラフのある種の韜晦なのだろうか。楽章の後半、オイストラフのヴァイオリン、静かに泣いているようだったけれど。
そして第3楽章前半のパッサカリアで次第に熱を帯びてきて、後半のカデンツァで堰をきったように激しく燃えあがる。
 
バティアシュヴィリに戻ると、第2楽章とフィナーレの第4楽章は、このショスタコーヴィチによくあるわかりやすいというか俗っぽいというか、ソヴィエト政府と折り合いをつけざるをえなかったとでもいうようなダンス調の曲想を、それでも第1、第3楽章とうまくつながるように奏でている。
 
ライナーノートによると、彼女は11歳で故郷グルジアを離れたが、ヴァイオリンの教師はオイストラフの弟子だそうである。グルジア出身、そしてそこを離れたということも、この演奏の背景として意味があるのだろうか。
 
もっとも、オイストラフといい、バティアシュヴィリといい、こういう演奏をさせるのは曲の力といえば、それはそうである。
 
さてこのアルバムには加えてGiya Kancheli、ショスタコーヴィチ、アルヴォ・ペルト、ラフマニノフと四つの曲が入っており、あとの二曲はそれぞれヴァイオリンとピアノのためのSpiegel im Spiegel(Mirror in the Mirror)そしてヴォカリーズ作品34の14で、ピアノはなんとエレーヌ・グリモーである。
 
ペルトの曲はゆっくりしていて文字通り二つの楽器が相互に対照しながら進んでいくもの、ラフマニノフはアンコールピースとしても演奏されるもので、ピアノ伴奏もわざわざグリモーというほどのではない(ラフマニノフはとてもいい曲だけれど)。これもライナーノートによれば、バティアシュヴィリは以前からグリモーの音楽に対する姿勢に共感していて、一緒にやりたかったそうだ。
 
グリモーはこのところコンセプチュアルなアルバム作りを続けていて、少し前のものは「レゾナンス」という名前がついていた。バティアシュヴィリによる今回のアルバムも Echoes of Time というタイトルがついている。入手したのは輸入盤だが、日本国内盤のタイトルは「時の谺(こだま)」だそうである。


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