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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

高樹のぶ子「小説小野小町 百夜」

2023-11-26 14:27:08 | 本と雑誌
小説小野小町 百夜(ももよ): 高木のぶ子 著  日本経済新聞出版
 
小野小町はいろいろなところにその名前が使われている。それも小町だけというのが多く、このように名前がなんらかの象徴それも多様な、品のよしあしによらずというのは珍しい。
 
著者は数年前に「小説伊勢物語 業平」で在原業平を描いた。業平については伊勢物語、古今和歌集などがあり、それらを素材として書いたのだが、業平と何人かの女性との歌を使ったやりとりを中心にしながらこの人のかなり大胆な行動を描いて読ませるところがあり、その一方でもののあわれもあり、こういう世界、かたちをはじめて見ることができた。
 
今回の小野小町は業平と比べると歌以外の情報がきわめて少ないから、そこは作者の想像力によるところが大きいが、読者からしてそれは成功しているといえるし、満足感もある。
 
小町は業平とほぼ同年齢、そこで業平との交流を想像して描いていて、恋の相手というよりは歌を極める同士という設定のようである。
 
小町は東北の生まれ、都からこの地を訪れた小野篁(たかむら)がほれた大町との間の子、篁はすぐ帰ってしまうが少女となって呼び寄せられ、宮廷の周囲に場所を得、歌の才能を発揮しながら存在感を増していく。
 
篁の義理のそしてかなりわけありの弟、眼をかけられた帝との間にいた宗貞(のちの歌人僧正遍照)、それらとの苦しさもある関係、その終末、あわれが描かれている。この小説としての流れは著者の創作だろう。幼時から輝いた時期、女性として円熟した時期、そして老い、その人間像はよくは知られていない小町を小説として生かしたということは出来る。
 
ただ業平の時は、女性との間、歌のやり取りからが基本とはいえ、かなり大胆でダイナミックな行動が物語としての面白さにつながっている。
それに比べると、小町の思い切った行動はほぼ一度で地味とはいえる。その一度の印象は強いが。
 
百夜(ももよ)とは笛の代表的な曲で、小町は幼時から笛を覚え名手であったが、都に来てからは女性は笛をしないものとされていたところ、この物語のここいちばんというところで吹かれる。

山田風太郎「あと千回の晩飯」

2023-11-20 09:27:38 | 本と雑誌
あと千回の晩飯 : 山田風太郎 著  朝日文庫
 
山田風太郎(1923‐2001)は流行作家でその名前をよく耳にしていたが、作品を読んだことはなかった。それが「あと千回の晩飯」というエッセイ集の評判をみて読んでみる気になったのこの文庫の奥付からしておそらく20年ほど前だろう。
表題部分は1994年に朝日新聞に連載されたらしいが、当時同紙を購読していたのに読んだ記憶がないのは迂闊だったのだろうか。
 
それはさておき、なにか読むものはないかと書棚をながめていて再読する気になった。多分私の歳のせいで親しみを感じるようになったのかもしれない。
 
著者は私とちがって、夕食時に飲み(ここは私も同じ)、夜あまりよく寝られずに朝また飲みだすという生活を続けていた、それでよくあれほどの多作をものしたと思うのだが、それで病を患い体調悪く、主に糖尿病で入院させられ、食事療法でなんとか血糖値も下がって(このあたりは素直に従う)相当痩せて(痩せすぎ)退院するがまたもとのような生活になり、というわけで不健康な状態。それでも無頼をいうような感じではなく、暗い感じでもない。
  
そんな著者が74歳で、そもそも人間は50歳くらいで子孫を残すことは終わり、15年くらいは子供の面倒をみるとすると(昔の元服が15くらいだから)65歳がある意味平均寿命だから、この歳まで生きてきたのはまずまず、あと千回くらいの晩飯(つまり3年くらい)だと思って、その献立でも考えてみよう、という考えで書き始めたようだ。
 
だから著者の食生活、飲酒生活、記録に残っている文豪の食卓などについても書いているけれど、それに加えて死生観、対社会など、自由におもしろおかしく書いているのがいい。これだけ売れた著者のポジションは相当なものだが、だからといって構えたところはなく、言いたいこと、自由な評価など、読んでいて楽しい。
 
夏目漱石、森鴎外の食卓は質実、少量(そのころはあるていど裕福でもこんなものだろうと著者は書いている)である反面、34歳で死んだ正岡子規が病んでいてもまあとにかく大食だったのには驚かされる。それだから日本の野球の草分けになれたのだろうか。
 
また江戸川乱歩の葬式(1965)の記述を読むと、当時の関係者、主に推理小説の世界の弟子などの名前が続々て出てきて、ああそうだったのかと思う。弟子筋に著者、松本清張、高木彬光、横溝正史、、、そして香典の額をどうするかの相談、公務員初任給が2万円ちょっとのときに5万円(いまなら50万円に相当)となったが、横溝正史は特に売れていたからか10万円だったそうな。やはりこういう世界は高額。
 
乱歩の二日後、著者が尊敬する谷崎潤一郎が逝去、この人は美食家だった。ちょうどそういう時代。
著者は79歳で亡くなった。

絵本読み聞かせ(2023年10月)

2023-10-26 14:39:28 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ(2023年10月)
 
年少
もこもこもこ(谷川俊太郎 作 元永定正 絵)
にんじん(せな けいこ)
どんぐりころちゃん(みなみ じゅんこ)
年中
もこもこもこ
どんぐりころちゃん
ばけばけばけばけばけたくん(岩田 明子)
年長
もこもこもこ
ばけばけばけばけばけたくん
すてきな三人ぐみ(トミー・アンゲラー 今江祥智 訳)
 
1年前とほぼ同じプログラム。「もこもこもこ」はとにかくいつどの年齢層にやってもなにか感じてくれ、それが毎年同じではない。こっちも楽しい。年少組の眼の輝きかた。
今の幼児はにんじんがきらいでないらしい。
 
おばけは特にハロウィーンとは関係ないたぐいのものだが、こういうナンセンスものも楽しみとしては一つ入っているのはいいようだ。ひとりの子が前回やった「キャベツくん」を図書館から借りてきたといっていた。この反応はうれしい。
 
「すてきな三人ぐみ」、いまの幼児教育からするとちょっとねとうるさい反応がありそうだが、これよく普及しているようで、家庭にある子も少しいるようだ。このくらいがちょうどいい。
 
全体として1歳から5歳まで、いつもあまり年齢層を考えすぎなくてもいいと考えだしている。


チェーホフ「三人姉妹」

2023-10-23 14:32:41 | 本と雑誌
チェーホフ: 三人姉妹  戯曲 ー 四幕
神西 清 訳  新潮文庫
 
名高い四つの劇の三番目である。「かもめ」と「桜の園」は作者によって喜劇とされているが、これと「ワーニャ伯父さん」はちがう。
これらをはじめて一回読んだ私の漠然とした感想であるが、「かもめ」と「桜の園」はかなりのポジションを持っていた女性をめぐる人たち、その領地などの環境が時代にとりのこされていく、その流れのなかの物語であるのに対して、「ワーニャ伯父さん」と「三人姉妹」はもうすこし今の読者(観客)に近い人たちがやはりそういう中で、なんとか手探りで生きていくことをどうにか導出しているように考えられる。
 
「三人姉妹」の舞台はやはりモスクワから離れた領地、三人の姉妹と長女と次女の間に生まれた長男、そのいいなづけ(のちに妻)、そして赴任してきている武官が数人、必ず出てくる医者(ここでは軍医)、執事、小間使い、乳母なども何人かかなりいる。
 
台詞は比較的長く、しっかりと何かを表明していて、受け取りやすいし、演技もやりがいがあるだろう。
 
チェーホフの戯曲では女役、その台詞に聞きがいがあって、それはポジション、経済力で決まってきてしまった当時の男たちより、描きがいがあったのかもしれない。おそらく特に当時は男を描こうとすればどうしても大きい物語、それは内面にしても外面にしても、それになってしまい、舞台に出したって一人で吠えるような感じになっただろう。
 
そこへいくとここの四人の女性、なかなか思いをしっかりはっきりと言うし、数年の流れの中であっという変化を見せたりする。なんとか生きていこうということでも、「ワーニャ伯父さん」のソーニャよりしたたかである。戯曲としての完成度は四つの中で一番高いかもしてない。

戯曲ということを別にすれば、四つの中で好きなのはこれと「ワーニャ伯父さん」だろうか。特にだいぶ歳のいった男性を的にしているから特に後者かなと思う。「桜の園」が当初人気を得たのは大きな物語への志向があったのだろう。
 
ところで、この二作が入っている新潮文庫、どうして発表、上演いずれも先の「三人姉妹」が後なのか。前の二作が入ったものと今回のけれ、両方とも池田健太郎の解説であるが、そこはわからない。「三人姉妹」の方により頁数をさいてはいるけれど。
 
解説にもあるとおり、チェーホフの日本語訳、小説も戯曲も、神西清が先駆者でありまた評価も高いが、この文庫版初版当時にはすでに故人となっていた。もっとも文庫以前の刊行形態ではなんらかの意見を出していたのかもしれない。
 
以前書いたことがあるかもしれないが、池田健太郎さんは私が大学教養課程で第二外国として採ったロシア語の先生であった。当時は理科系ならロシア語も悪くないとたいして考えもせず、専門課程にいってからは何もせずに忘れてしまった。しかし池田先生はそんなことお見通しで、大学に入ったらもう少し遊びなさいとよく言っていて、ロシア語の授業もそういうなごやかなもの、テキストにチェーホフの短編で「いたずら」などを使ったことを覚えている。
 
この文庫本の初版は1967年だから、当時この解説を書いていらしたのかもしれない。言ってくださればもっと早く読んだのにとも思う。
池田先生は私淑していた神西清版チェーホフ作品集を師の死後完成させたが、その後残念ながら早世されてしまった。

ついでに第一外国語の英語にはのちにシェークスピアで著名になられた小田島雄志先生がおられ、池田先生と同じようにくえない理科系の学生を楽しませてくださった。当時はあまり知られてなかったアイリス・マードックの作品など。
ある意味いい時代だった。

チェーホフ「桜の園」

2023-10-20 15:14:52 | 本と雑誌
チェーホフ: 桜の園 ー 喜劇 四幕 ー
           神西 清 訳  新潮文庫
チェーホフ晩年の四大劇作品の最後で1903年発表、上演は翌年である。四つが二つずつ文庫に入っていて、2つ目の最初がこの「桜の園」、三つ目の「三人姉妹」はまだこれからである。
 
舞台となっているのは「かもめ」、「ワーニャ伯父さん」に近いところがあり、田舎の地主階級の屋敷、土地のまわり、中年を過ぎようとしているラーネフスカヤは最初の結婚に失敗、その後一緒になった男といまは別れているが、パリにいる男には未練があるようだ。
 
兄のガーエフとともに、領地のやりくりに苦労し、破産しそうで、その相談相手がかっての農奴の息子だった商人ロバーヒン、彼が最後はここを入札で落し、その金でラーネフスカヤとガーエフはここを去る。その思い、美しかった園への哀愁、過去への決別が流れとなっていて、若い世代の男女のからみ、執事、従僕、小間使いたちのやりとりはこの変化を受け入れて、つぎの時代へ動きはじめる。
 
細かいやりとりはよく出来ているようだから、舞台で見れば面白いだろうが、主人公二人の時代への決別、諦念などは今一つ読んでいてせまってこない。
 
チェーホフの劇のタイトルをよく見たのは1960年代、70年代だったが、この「桜の園」が一番多かったと思う。これは戦後、昭和の時代変化を象徴するものに読み替えられる感じで、評価され好まれたのかもしれない。四つの劇のうち読んでないのに役名を知っていたのはタイトルにあるから当然のワーニャを除けばラネーフスカヤだけである。
 
ラネーフスカヤは東山千榮子をはじめ何人か当時のいわゆる新劇大女優が演じていたと思う。舞台の詳細は面白かったかもしれず、一回くらいみておけばよかったと思う。