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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ゴーリキー「二十六人の男と一人の女 ゴーリキー傑作選」

2024-09-03 15:55:45 | 本と雑誌
ゴーリキー: 二十六人の男と一人の女 ゴーリキー傑作選
        中村雅史 訳  光文社古典新訳文庫
 
表題の作品、「グービン」、「チェルカッシ」、「女」四編の中編からなっている。
ゴーリキー(1868-1936)はチェーホフ(1860-1904)の少し後の世代、若いころから「どん底」という戯曲があることは知っていたが、それをやる劇団などの印象から労働運動、社会主義のイメージが強く、敬遠していた。このところプーシキンから何人かの作品を読んできて、さてゴーリキーはどんなものかとこの作品集を読んでみた。
 
ロシアの下層の人たちを描いているが、あまり主義、主張が勝ったものではなく、描き方がなかなかうまく、また文章も先達の作家たちと比べてもうまい。
 
この中ではまず表題の作品、半地下でパン作りをしている男たちの集団と、その上の階でお針子たちの職場で手伝いをしている娘、この娘がいわばアイドルなのだが、進行と結末にいくつかひねりがあって、いい後味を残す。半地下といえばよく知られた韓国映画を思い出すけれどなにか発想を刺激するイメージがあるのだろう。
 
もっひとつあげると「チェルカッシ」、オデッサがモデルらしいが、ここで密輸を相手に盗みをしているアウトローが田舎から出てきたばかりの若者をちょっとした報酬で釣り一仕事のスリルある冒険、その間のやりとり、あっと言わせてさらに、というラスト。今のハードボイルドに通じるなかなかの作品で、文章もリズムがあって楽しめ、映画にしてもいいか。

この中の何編かそしてこのところ読んだ別の作家たちの作品には、コサックがよく出てくる。この名前、若いころは音楽、ダンスなどのイメージがあり、その民族かなにかとおもっていたが、それにしてはロシア文学の主流のなかによく出てくるな、と思っていた。
 
本書の注によると、農奴制や重税を嫌ってロシア南方や南東辺境域に逃亡した人々が形成した武装自治集団で、帝国の直接支配を免れ農民反乱やプガチョフの乱などにかかわり国境警備に当たっていたそうだ。屯田兵みたいなものだろうか。革命後に解体されたというが、最近のロシア・ウクライナ戦争でもその場所がらかよく名前が出てくる。なにか地域、民族の本質につながるものがあるのだろう。
 
ゴーリキーには他にいくつも大作があるがどさてどうするか。
 

絵本読み聞かせ(2024年8月)

2024-08-29 15:42:17 | 本と雑誌
ガンピーさんのふなあそび(ジョン・バーニンガム作 みつよしなつや訳)
うきわねこ(蜂飼耳 作 牧野千穂 絵)
絵本読み聞かせ(2024年l8月)
 
年少
はなびドーン(カズコ G・ストーン)
だるまさんの(かがくい・ひろし)
でてこいでてこい(はやし あきこ)
年中
だるまさんの
でてこいでてこい
はなびドーン
ねないこだれだ(せな けいこ)
年長
ねないこだれだ
 
ほぼ昨年と同じだが、年中組は親子でどこかに行っているのか人数が少なくちょっと幼い感じだったので、「ガンピーさんのふなあそび」を「でてこいでてこい」に替え、時間がありそうなので「はなびドーン」を追加した。
「はなびドーン」はそう工夫があるものとは思えないが、食いつきがいいというか思った以上に入っていってくれる。
「ねないこだれだ」、年長組の子たちはすでによく知っているけれど、寝る時間などにぎやかに話題になる。
「うきわねこ」、今年も感想をききたいところだが、しつこくても逆効果だろうし、それはしない。

トゥルゲーネフ「初恋」

2024-08-17 10:04:09 | 本と雑誌
トゥルゲーネフ : 初恋
           沼野 恭子 訳  光文社古典新訳文庫
トゥルゲーネフ(1818-1883)が明治時代の日本文学に大きな影響を与えていたということは聞いていたが、作品を読むのは先のゴーゴリ、レールモントフ同様はじめてである。
その作品としては「父と子」、「ルージン」などの名前も聞いたことがあるが、今回はこの翻訳シリーズにあった「初恋」を読んでみた。

16歳の青年が20歳の女性にいだく初恋、これは40歳くらいの三人がそれぞれの初恋について話すというはじまりで、その中の一人ウラジーミルが語った話、ノートに書かれていたものということである。

この小説も私が最近興味を持っている人称、書かれ方などという区分からすると一つの類型で、作者でなく登場人物が書いたということで、比較的落ち着いた叙述になっている。
 
主人公の周りにはこのころの小説によくあるように地位、位、資産などいろいろな背景を持つ青年たちがいる。ウラジーミルは優秀だが金がない父と資産を持っている母の子、ある季節にすごした家の一部を貸していた没落気味の貴族の母に娘がいて、その娘ジナイーダに惚れてしまう。
 
ジナイーダは青年たちに人気があるが彼らを手玉にとっているようで、それはよくある話。
ここから、青年はなかなかどうにもならないのだが、ある日ジナイーダには誰かいる、と感ずいてしまう。それは誰か。
 
この作者、語りはうまく、こういうきれいな恋物語をおちついてたっぷり描くということはそれまでのこの国の文学にはなかったかもしれない。フランス文学界とも交流していたらしいが、当時のフランスなど西欧の恋愛ものとくらべても引けをとらないかもしれない。
 
そして終盤、かなりきつい話になる。この緊迫感とショックはうまいとしかいいようがない。そしてそこにかかわる人たちの育ち、階級、資産など、後から見れば絡んでいたと思わせるところも、書き方としては見事といえるだろう。
 
そして翻訳の文章が実にきれいでうまく進行させるもので出色である。訳者はあとがきでこの話は二人の人に話して聞かせたものということから「ですます」調を思いついたと書いている。これは平易になった上に現代風な語り口にもなったようで、今読むのに適したものと結果的にはなっただろう。150年近く前のものだが、こういう内容は今の人に読ませる工夫があってもいい。
 
読み物としては100年ちょっとあとの「デイジー・ミラー」(ヘンリー・ジェイムズ)に通じるものがある。特に男の主人公から見ると。


J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」

2024-08-05 13:59:17 | 本と雑誌
J.D.サリンジャー: ライ麦畑でつかまえて
            野崎 孝 訳 白水Uブックス
 
J.D.サリンジャー(1919-2010)による1951年の作でたいへんなベストセラー、しかも内容表現にはいろいろ批判もあり、騒ぎにもなったようで、現象的には知っていた。

その雰囲気を知っていたからかもしれないが読むのを敬遠していたが、半世紀以上たって、またこの歳になって読んでみるかという気になったのは、作者についてのあることがきっかけである。

NHK「映像の世紀」シリーズの一つ、アーカイブ映像を駆使して「ノルマンディー上陸作戦」が放送され、作戦に参加した兵士の一人にサリンジャーがいた(写真もあった)。その人が戦後少しして書いたという、さてどんなものか。
 
終戦から数年後のニューヨーク、16歳の高校生、学校はまずまずのレベルでアイヴィーリーグの大学へもちょっとがんばれば行ける。しかし主人公は学習にはのっていけず、この当時からアメリカの若者をとりまく環境はこんなものだったんだろうか、使えるお金、出入りする店、車も使え、女性との交際もかなり進んでいるところがあり、また同性愛的なシーンも出てくる。
 
それが、学校を飛び出してしまってほぼ二晩くらいの間だろうか、主人公の詳細な行動、会話、頭のなかに浮かんだことが切れ目なく続く。すべてをとぎれなく書きつくしたという感じだろうか。
 
そして、だが、終盤近くなって、こういう世界になじんだのか受けいれたのか、まわりに出入りしているひとたち、これからのひとたち、彼らがいるライ麦畑のつかまえ役(The catcher in the rye)に自分がなってもいいか、というつぶやきが聞こえてくる。
 
小説の書き方としては主人公の一人称で、眼前でしゃべりまくられている感じだが、実は主人公の兄弟がそのなかでいくつかの視点を与えているのではないか。
主人公にはかなり年上の兄、とても優秀だったが早世してしまった弟、なにかと気遣ってくれるやはりあたまのいい妹がいる。それがある意味救いになっているが、ここで気がついたのが、これ一人称だけれど実際に書いているのは兄ではないか(私の謎かけ)。この兄はそれなりの作家になっていることがふれられている。
 
想像するにサリンジャーは従軍の苦労の後、他の戦勝国に比べ早くから経済的に立ちなおったアメリカ社会の現象を詳細に記録しておきたいということもあったのだろうか。
いわゆる若者の主張ととられがちな作品だが、世の中こうなってるな、でも戦争にくらべたらずいぶん楽なもんだ、という声も聞こえてくる。
 
訳はいくつも出ているが、若いころから知っていた野崎孝の訳にした。確認して見たらこれは本邦初訳ではなく、1964年のものにこの版(1985)で多少の修正を加えたもの。私の世代にはこの言葉遣い、饒舌もなじんでいただろう。
 
日本からみれば、この時期こういうものが出てきていたということ自体、戦争の結果でもあるということだろう。


レールモントフ「現代の英雄」

2024-07-27 17:20:00 | 本と雑誌
レールモントフ: 現代の英雄 
           高橋知之 訳 光文社古典新訳文庫
 
ミハイル・ユーリエヴィチ・レールモントフ(1814-1841) はプーシキンの次の世代、ゴーゴリの少し後だが時期はほぼ重なっている。
 
どうもこの二人、プーシキンが頭にあり生き急いだところがあるかなというのが、私の先入観。
「現代の英雄」というタイトルはロシアに限らずかなり特異な感があったし、書かれた時期も知らなかったから、ロシアの社会主義系の思潮を誤って想像し、手に取ろうとしなかった。
 
さてここに描かれている時代と地域は、プーシキン、ゴーゴリにも出てくるようなカフカス、その周辺で、そこに出入りする武官が主な登場人物として出てくる。これは前世紀後半のプガチョーフの乱に端を発したものが多いのだろうか。
 
本書はなかなか込み入った構成で、作者を想像させるものが出会った武官、彼が出会った武官とそれをとりまく何人かの女性、そして多くは後者武官の手記ということになっている。
 
このところ小説の人称には注意をはらっていてそれが面白いともいえるのだが、本作の手記の位置づけは何故これ?というところも残っている。
 
女性とのやりとり、さやあてなど、近代の小説らしいところもあるが、それに加えて決闘、賭博がかなり重要な要素となっていて、このあたり後のロシアの小説の端緒とも見受けられる。思い切って書き切ったところが魅力だろうか。
 
なお訳者の解説を見るとこれまでにずいぶん多くの翻訳が出ている。案外ロシア文学の研究にこの作品が好む人が大いのかもしれないが、その訳者の中に中村喜和とあった。中村先生には第二外国語としてのロシア語を習っていたが、どうも「現代の英雄」という作品名を先生が教室であげられたことがあったような気がしてきた。