メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

マーラー「交響曲第8番(千人の交響曲)」(N響2000回定期公演)

2024-03-20 15:46:51 | 音楽一般
マーラー「交響曲第8番(千人の交響曲)」
指揮:ファビオ・ルイージ、NHK交響楽団
2000回定期公演 2023年12月16日 NHKホール
 
先に書いたレーガーの次、2000回定期公演のプログラムである。2000回、さて何をと意見を募ったらこの曲が一番だったらしい。人気があるマーラーの交響曲だが、多くの歌手、少年を含む合唱団など、千人とは言わないがおそらく500人弱の動員で、やるならこれ一曲、記念にふさわしいといえばいえる。
今回TV放送で聴いてみた。この演奏がどうという前にはてこの曲はという思いもあり少し書いてみる。
 
マーラーがクラシック音楽ファンにある程度親しまれるようになったのはかなりおそく、1960年代後半あたりからではないだろうか。多くの人にとってきっかけはワルターが指揮する交響曲第1番(巨人)だろう。これはなにか賞をもらいレコードとしてよく売れた。世紀末の空気はあるが甘く美しい雰囲気に浸れるところもあった。その後さて第4番、歌曲の楽章があるものだが、これもロマンティックな美しいもの。一方第2番は独唱、合唱が入って大規模で長尺、「復活」という名前にふさわしく、変ないい方だが感動したいという聴き手に応えるものだった。私も同様で、今でもたまにそれを求めることがある。
 
一方で、1960年代後半、指揮者ジョン・バルビローリによる第5番、第9番が評判となり特に後者はなんとベルリン・フィルのメンバーからぜひ録音をと熱烈に乞われたというもので、これではじめて第9が理解できたというひと(評論家も含めて)が多かった。わたしもその一人で、大阪万博にフィルハーモニアを率いて来日のはずだったが直前に急逝してしまった。

その少し後映画「ベニスに死す」(監督ヴィスコンティ)で第5番のアダージェットが効果的に使われ、映画音楽としても大ヒットとなった。このあたりからマーラーの人気はそのベースが出来たといっていいだろう。
 
私も他の曲も含めいろんな指揮者で聴いていたが、この第8番、これはかなり他と趣きがちがうし、規模も大きくそうそうひたれるというものではなかった。
なにしろ、1時間半弱で、第一部は賛歌「来たれ創造の主なる聖霊よ」、第二部はゲーテの「ファウスト」の大詰めという、聴き手の内面で立ち向かうには戸惑ってしまう。
第5番からあの悲劇的ともいえる強烈な第6番、その世界を音楽的に洗練させた(?)とでもいったらいいかの第7番、そしてあのとてつもなく深い暗さと諦念から救済へいくかなという第9番の間に入ってこれはなに?という感はぬぐえない。
 
もっとも立派と言えばそうで、こういう曲は演奏している人たちが一番その恩恵にあずかれるというものだろう。
N響もベストメンバだったし、複数のキーボード、ハープは4台!、そしてもちろんパイプオルガン、NHKホールの舞台ってこんなに大きかったなと思った。普段の演奏ステージよりかなり奥まであったが、これおそらく紅白歌合戦をやるのに十分な広さということかもしれない。
ルイージの指揮も破綻なく効果を出していた。
 
もう少ししたら今持っていいる唯一の録音、ショルティ指揮シカゴ交響楽団のLPレコードをまた聴いてみようと思っている。TV放送の音声をオーディオ装置につないで聴くよりこの英デッカ録音はすごい音響(特にダイナミック)だろう。
 
シカゴが最初に渡欧した1972年、録音されたのはこの第8番、おそらくデッカとしてもヨーロッパのメンバよりシカゴの方がと判断したのだろう。なにしろ歌手は当時の超一流、合唱はウィーンの歌劇場、楽友協会、少年を総動員、まとめたのはかのウィルヘルム・ピッツ(バイロイトの合唱担当)、このころまだウィーンフィルのマーラー録音があまりなかったとはいえ、なんともすごい組み合わせである。
 
こう考えて思ったのだが、今回のN響の演奏、2000回であれば録音でなく生放送という話にならなかったのは残念。これ昔NHKのある人にきいたのだが、あまり大きな声ではいえないが生放送の時はリミッタを外すことがあったそうだ。どこまでの音が出るかわからないから無用な制限はしないといえば道理かもしれない。


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