メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

プーランク「人間の声」

2022-11-20 14:03:23 | 音楽
プーランク:モノオペラ「人間の声」 脚本:ジャン・コクトー
ダニエル・ドゥ・ニース(彼女)
アントニオ・パッパーノ指揮 英国ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団
監督:ジェームズ・ケント
製作:2022年 ロンドン(管弦楽)、パリ(声、映像)
2022年11月 NHK BSP

しばらく前にこの作品初演メンバーによる録音(LPレコード)を取り上げた。
演じるのはソプラノ一人、バックにオーケストラはあるがほとんど語りで、これは映像で見たいと思っていた。
 
今回はオーケストラと演技を別のところでとっているが、多分オーケストラが先でこれに合わせたのだろうと思うがどうなのだだろうか。どっちにしろ違和感はない。放送ではドゥ・ニーズとパッパーノが対談しているが、意識合わせは十分だったのだろう。
 
当時のパリの電話事情の悪さ(切断、混信など)もうまく利用しているが、これも映像とあわせると納得できる。
 
ドゥ・ニーズの演技はこうしてアップのカメラで見ると本当になりきった感じで、この作品に最もあった見せ方だろう。
 
電話がコードレスなのには最初驚いたが、彼女のうごきに自由度を与えているようにも見える。オペラが作られた時代にこうだったかどうかは別として。
ただ、コードレスだと最後の場面どうなのかなと思っていたら、終盤からコード付きのものにかわった。やはり、であったが最後は受話器もコードも画面からは見えなかった。
 
が、よく考えてみると舞台であればその方がよくわかるからともかく、こうして彼女のアップの映像が続けばそれはいらない、視覚に支配されない方がいい、という解釈だろう。
 
それにしてもコクトーとプーランク、よくこんなものを考え作った。愛と別れというシンプルなテーマをまたこういうシンプルな場面設定で、観るものを集中させ一気に見せる。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オルガ・ノイヴィルト「オーランドー」

2022-05-22 09:41:54 | 音楽
歌劇:オーランドー
作曲:オルガ・ノイヴィルト、原作:ヴァージニア・ウルフ
指揮:マティアス・ピンチャー、演出:ポリー・グレイアム
衣装:コムデギャルソン(川久保玲)
ケイト・リンジー(オーランドー)、アンナ・クレメンティ(語り手)、エリック・ジュレナス(守護天使)、コンスタンス・ハウマン(エリザベス女王ほか)
2019年12月18、20日 ウィーン国立歌劇場 2022年5月 NHK BSP
 
ウイーン国立歌劇場150周年記念で2019年に上演されたもののうちの一つで、これは新作である。
 
ヴァージニア・ウルフの原作で、なかなかわかりにくいのだが、おそらくエリザベス1世からどちらの性か自分でも意識しないで生きてきてあるとき女性になってしまった(自覚してしまった)オーランドー(作者)の前半生(?)がまず描かれる。いろいろな時代のいろいろな事件、問題が出てくるが、多様、多彩な背景だからここに起用されたコムデギャルソンの多くの衣装が効果を見せている。
 
ただ音楽はというと、あまり流れない瞬発的な効果をねらった劇伴のように聴こえた。
 
原作はヴィクトリア朝時代の女性にとって問題が多かった時期のあとあたりで終わっているようだが、このオペラではそのあとの大戦、原爆などこの上演の2019年までが描かれている。この後の部分は前半よりは音楽が流れているように感じたが、それは作曲者の意図だろうか。
 
2幕3時間あまりの本作品、私にとって見続けるのは難しいと思ったが、なんとか最後までいったのは、ひとえに主役オーランドーを演じたのが私が大ファンであるケイト・リンジーだったからである。ほぼ出ずっぱりで大変だったと思うし、メゾ・ソプラノとはいえ前半はずいぶん低い音域も続いた。この人あって成り立った上演にはまちがいないところだろう。

彼女のレパートリー、いわゆるズボン役といわれているけれど、オクタヴィアン(ばらの騎士)タイプではなく、もう少しあぶないというか、偏った要素がある役で聴かせる、見せるところがある。ケルヴィーノ、ニクラウス(ホフマン物語)、ネロ(アグリッピーナ)など、これだけ興味を続けさせてくれる歌手はめずらしい。
 
ピンチャー指揮ののオーケストラ、この長丁場の新作、ロック・バンドも入って大変だったろうがよくやりとげた。
2019年の記念上演には先にとり上げた「影のない女」もあり、レパートリーの広さはさすがシュターツ・オパー。
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴェルディ「マクベス」(ミラノ・スカラ座)

2022-03-18 17:56:34 | 音楽
ヴェルディ:歌劇「マクベス」
指揮:リッカルド・シャイー、演出:ダヴィデ・リーヴェルモル
ルカ・サルシ(マクベス)、アンナ・ネトレプコ(マクベス夫人)、イルダール・アブドラザコフ(バンクォー)、フランチェスコ・メーリ(マクダフ)
2021年12月7日 ミラノ・スカラ座開幕公演  NHK BSP
 
この前の開幕公演は観客なしの映像編集で内容は別の意味で素晴らしかったが、今回はほぼいつもどおりで、まずはよかった。

私にとってマクベスはヴェルディのなかでもオテロとならんで苦手なオペラで、それは原作がこうだからしょうがないといえばそうなのだが、それでも今回はあの激務ともいうべきマクベス夫人をネトレプコが完璧に熱唱、そして刺激があって快適に追っていける演出、特に舞台美術で、まずまず鑑賞できたと思う。
 
かなわないなという感じの悪女だが華があるということになると、いまはネトレプコしかいないかもしれない。マクベス、バンクォー、マクダフも皆よかったが、衣装を含めもうすこし対照があったほうがよかったと思う。
 
装置は現代のいろんなものをうまく使い、せりとして檻のようなエレベーター、そしてやはり檻状のしきりなどが、眼を飽きさせない背景、照明とともに効果的であった。
しかし、カーテンコール時の感じでは、賛否が分かれていたのだろうか。
 
この上演では、いわゆるパリ版のように、つまりパリでの上演ではそれがないと客が入らないから入れているバレエが入っている。終盤に入る前あたりであるが、筋立てを暗示する感じであっても、説明がすぎるところもあり、評価はわかれるところである。振付はなかなかいいが、スカラのバレエは他の主要オペラ座と比べるとあまりうまくないのは今回も残念。
 
このオペラ、特に最初に述べたように、私にとってはオーケストラが立派であればなんとかなのであるが、シャイー(ずっとマスク着用だったのは年齢を考えての責任意識だろうか)の指揮は文句のつけようがない。激しいところこわいところでも音響は割れたようにならない。それはこのところ技術向上が著しい音の採録とトーン・コントロールにもよるのだろう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プッチーニ 「ラ・ボエーム」(映画)

2021-06-15 15:23:08 | 音楽
プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」
監督:ロバート・ドーンヘルム
指揮:ベルトラン・ド・ビリー バイエルン放送交響楽団
アンナ・ネトレプコ(ミミ)、ロランド・ビリヤソン(ロドルフォ)、ニコル・キャベル(ムゼッタ)、ジョージ・フォン・バーゲン(マルチェロ)、エイドリアン・エロイド(ショナール)、ヴィタリー・コワリョフ(コルリーネ)
製作:おそらく2007年
 
NHKはこのところライブ録画以外のビデオ、映画をときどき放映している。ユニテル製作のカラヤン、バーンスタイン他によるオーケストラ、オペラもいくつかあった。これもその一つ。
 
ただ、製作陣がいまひとつよくわからない陣容で、指揮も演出も初めて聞く名前。私が知らないだけかもしらないが、これまではフランコ・ゼッフィレルリが監督した映画というものもあった。
 
これはなんといってもネトレプコのミミがあって初めて企画されたものだろう。ロドルフォのビリヤソンはネトレプコとの共演で有名な人らしく、私が知らないだけかもしれない。ちょっと顔が濃すぎるが、声の輝きはいい。マルチェロ、ショナールは吹き替えのようだけれど、これは気にならない。まあマルチェロは名脇役の要素があるから。
 
見ているとちょっと戸惑ったが、それでも大好きなボエーム、久しぶりに聴いて、あらためて隅から隅までよく出来た音楽を味わった。ネトレプコもちょっと元気すぎるがそれは贅沢な悩みというものだろう。
問題は映画としての監督というかカメラワークで、カメラがアップになりすぎ、いくつかの場面でせっかくのしかけがよくわからず、音楽の面白みをそこなっている。
 
たとえばミミとロドルフォが最初に出会い、暗い部屋でミミの鍵を探し、すぐにわかったのを隠して、彼女の手に触る「冷たい手」の場面、モミュス・カフェで嘗ての恋人どおしマルチェロとムゼッタのあてつけあい、あげくにムゼッタがそこから解放されたくて靴がきついと訴える名場面、やはりカメラはしばらくひいていた方が観ているこっちも楽しめる。
第3幕のカフェの外、雪の中での二つのカップルのやりとり、これは比較的わかりやすい距離感だが。
 
ボエームを最初に観たのは、1981年9月、40年前のミラノ・スカラ座初来日公演、指揮:カルロス・クライバー、演出:フランコ・ゼッフィレルリ、ミミはミレッラ・フレーニだった。歌も姿もということになるとやはりフレーニが一番記憶に残る。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桑原あい 「Opera」

2021-04-29 09:43:09 | 音楽
桑原あい:Opera  CDアルバム( 2021年4月発売)
デヴュー10年目、初めてのピアノソロアルバムだそうだが、そうだったか。
 
かなり前から聴くのが好きになり聴いてきて、ソロもと思ったが、確認してみたらコンサートだった。
2016年7月の今回と同じ東京オペラシティ リサイタルホール2018年7月代々木上原Musicasa2019年3月目黒パーシモンホール、など。
 
全11曲のうち5曲は、彼女を評価する人たちの選曲だそうだ。聴いてみてフィットするものもあるが、出来れば本人の一方的な考えでやってもよかったのではないか。例えば同じビル・エヴァンスでもあまりにも有名な「ワルツ・フォー・デビイ」でなく何かほかのものとか。
 
最初が「ニュー・シネマ・パラダイス」、エンニオ・モリコーネは好きなんだなと思う。2015年のアルバム「LOVE THEME」の冒頭は「アマポーラ」だった。モリコーネ、今回は入っていないがミシェル・ルグラン、レナード・バーンスタインなどの映画音楽に関する趣味は、親しみがわく。
 
いくつかのしっかりした(?)もの以外では、私も彼女からその存在を教わった天才ギタリスト/ピアニスト ジスモンチの「ロロ」、ライヴでも何度か聴いたけれど、今回も素晴らしい。

10曲目はおや?と思った「ザ・バック」(クインシー・ジョーンズの背中)、このところコンサートのアンコールはたいていこれだが、こうしてアルバムでしっとりと聴けるのはいい。今回はこれがフィナーレか。
 
そしてなんとアンコールの位置づけ(?)には、モンキーズの「デイドリーム・ビリーヴァー」、カヴァーがかなり多い曲だが、こうしてダイナミックに豪華に弾かれると、奏者、聴くもの双方、いいデザートという感じだ。
 
ところで、ジャズピアノのソロというのはありそうでそんなに多くないのではないか。そう広く聴いていないので自信はないが、聴いた記憶があるのは、セロニアス・モンク、アンドレ・プレヴィンくらいである。
 
ピアノはそれだけで音楽の多くを構成できるけれども、ジャズではやはりセッションがあって、その場に向かって弾いていくというのが自然かもしれない。
ソロだとどう弾くのか、弾いてそれが自身の頭の中に返ってくるのでは、聴くものにとってあまりなじめない。
 
それでも桑原あいの場合、ライヴでもそうだったが、音を、音楽を外に解き放っていく心地よさがあり、それが結果として聴くものに効いてくる。自己撞着のようなところはない。
こくいうソロ・アルバムは繰り返し聴いていけそうな感じがする。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする