
『「サッカーの銅メダリスト 釜本邦茂さん逝去」の話題です』
【サッカーの日本代表として男子の歴代最多得点記録を持ち、1968年メキシコ五輪で銅メダル獲得の原動力となった釜本邦茂(かまもと・くにしげ)さんが10日午前、肺炎のため、大阪府内の病院で死去した。81歳だった。通夜と告別式は近親者で執り行い、お別れの会が後日開かれる】と読売が報じました。
『うろ覚えですが2025年7月の厚生省発表「日本男子の平均寿命は81.1歳でしたから、スポーツマ㎜として有名ん釜本氏ならもうすこし元気でいた欲しかったなと思いました。 1968年メキシコ五輪銅メダリストと聞き、57年も前の話だったのを思い出しました。当時は今ほどサッカーが盛んでなくクラブチームは殆どない様な状態でしたから、今日の女子も含めてのサッカーの隆盛の元でしたね!
謹んで哀悼の意を表します 合掌』
写真:エキシビションマッチに参加した釜本邦茂さん(左)と中田英寿さん(中央)(2008年6月)© 読売新聞
読売新聞オンライン:
サッカーの日本代表として男子の歴代最多得点記録を持ち、1968年メキシコ五輪で銅メダル獲得の原動力となった釜本邦茂(かまもと・くにしげ)さんが10日午前、肺炎のため、大阪府内の病院で死去した。81歳だった。通夜と告別式は近親者で執り行い、お別れの会が後日開かれる。
在学中に日本代表に選出された。64年東京、68年メキシコ両五輪に出場。メキシコ大会では7得点を挙げて得点王となり、サッカーでは日本初のメダルを手にした。国際Aマッチで歴代1位の通算75得点を記録し、世界でも知られる存在となった。
日本サッカーリーグ(当時)では、ヤンマー(現Jリーグ・セレッソ大阪)に所属し、リーグ通算251試合の出場で、歴代最多の202得点をマークした。年間最優秀選手賞と得点王にそれぞれ7度輝いた。
84年に現役を引退し、93年に開幕したJリーグのガンバ大阪の監督を務めた。日本サッカー協会の副会長を務め、2002年ワールドカップ(W杯)日本組織委員会理事として日韓大会の開催に尽力。05年に日本サッカー殿堂入りした。
(引用終わり)
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