昨日は、久々に弟と医療の話しから政治の話となり、反日教育を行っている中国や韓国のことで熱くなり、まさか関東大震災での朝鮮人のある事件まで出て来る始末で、ヒートアップしちゃいましたが、親父とお袋の昔し話で若干落ち着き、最後はドラマ「御上先生」の脚本家の詩森ろば氏、プロデューサー・飯田和孝氏、音楽の鷺巣詩郎氏、配役のキャスティングで真山弓弦役(堀田真由)、神崎役(奥平大兼)、富永蒼(蒔田彩珠)の演技力に弟も私も大満足で意見が一致し、本日の二人の熱いデスカッションは一先ず一件落着って感じで終わっちゃいました。
振り返って考えると、人生の方程式さんの『チ。』オクジーの書いた本のセリフから読み取る哲学小ネタと私が弟に言おうとしたことが一致した。
本が好きな君には是非、人生の方程式さんのこの動画をお奨めします。ニーチェの有名な「神は死んだ。」は、とても考え深い名言ですよ。
情報が溢れていてGoogle で調べれば、いろんな話が出て来るけれども、どれが正しいのか分からない時がある。流行ってる有名なやつも、どれが正しいか分からない。いろんな情報があり過ぎて、情報がたくさん集まれば、それがさも正解で真実であるかのように使われてしまったりする。
自分の役割とか自分の信念に対して、上手く自分が行動できた時に自由を感じるそうです。例えば、自分の特技とか特徴を最大限に発揮したとき、とても気分が良く幸せに感じる。それを自由と呼んだ。人って必ず主観とかエゴが入った状態で思考しないと無理なんです。何故なら思考する時に言葉を使う。つまり、その言葉の定義、ルールによって思考が作られている訳なんです。なので私たちは、自分の意思で自分の意思を作っていると勘違いしちゃうけど、ある程度文化的な背景や環境によって縛られて自分たちの意思を作っており、自分の意思だけだとどうしてもエゴになるし、迷っちゃうし間違いにも手を出しちゃうんです。
そんな時、思い出して欲しいのが、何か話す時や何か論理を立てる時、全部自分の意思だと思い上がるなと言うことです。全部が自分の意思だと思っちゃうと、自分に酔っちゃうし人は何かを前提にしないと論理を立てられないし、今生きている環境も自分で選べた訳じゃない。いろんな使命とか運命によって自分たちは作られていることを認識すべきではないでしょうか。