One-Leg Playerの奮闘記

障害を持っていても松葉つえ1本でいろんなスポーツにチャレンジしています。

レイチェルさんの涙!!

2024-07-06 11:05:15 | ドキュメンタリー

WOWOWでアフガニスタンで2012年に地雷で両足を失い、4年でリオパラリンピックのカヌーに初出場し
金メダルを取ったカーティス・マグラス選手の感動的な「WHO I AM」 が2019/08/11に再放送されたものです。


恋人のレイチェルさんが涙した分けが、リオパラのカヌーの決勝で勝ったカーティス選手は、金メダルを取った
喜びより多くの人に支えられて来た巨大な安堵した気持ちの方が大きく、一緒に競った世界の選手たちまでもが
彼の勝利を喜び合うという幸福な光景をレイチェルさんは眺め、彼を支えて来た一人として涙したのです。

🏅カーティス・マグラス(オーストラリア/カヌー)「WHO I AM」

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パラスイマー宇津木美都選手の教育実習。!!

2024-05-30 14:52:59 | ドキュメンタリー

京都市左京区高野にある京都市障害者スポーツセンターへ、いつもトレーニングに行くと、1階のピロティに京都出身の宇津木美都選手(21歳)のタレ幕が飾ってある。

生まれた時から右ひじから先がない宇津木美都(みくに)さん、彼女がパラ競泳に出会ったのは中学生の時、中学3年生の時にはアジア記録を出し注目を集めました。しかし、高校2年生(2019年)の時、世界選手権選考会で自己ベストより約7秒も遅いタイム(100m平泳ぎ)を出してしまい、スランプに陥り「水泳を辞めたい」とまで考えたそうです。

そんな彼女でしたが、そこで諦めることなく、フォームを見直し環境を変えるなど努力を重ね、東京パラリンピックに出場。6位入賞(100m平泳ぎ)を果たしたのです。そしてその後、もう一つの夢、先生になるために大阪体育大学へ進学し、大学3年生になった2023年の秋、教育実習に臨まれ、小学生の先生になる理由は「障がいに対する偏見」を無くしたいことと、自分自身の競技人生で経験した「諦めない」と言う思いを伝えたいのと、教育実習を通じ子供たちに向き合う宇津木さんの姿を追いました。

🏅パリ・パラリンピックを目指す片腕のスイマー、もう一つの夢は小学校の先生、教育実習で子供たちに伝えたい思い【かんさい情報ネットten./カラフル】
読売TVニュースより。2024/02/12

緊急報告!! 
宇津木美都選手が、6月2日(日)午前11時より、BS日テレ(4ch)のストロングポイント・クロスという番組に紹介されます。
是非、見て上げて下さい。

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山口一郎(サカナクション)の病との闘い。

2024-05-07 15:16:35 | ドキュメンタリー

5月5日、こどもの日にNHKスペシャルでサカナクションの山口一郎氏が、2022年の6月に”うつ病”と診断され、発症の大きな原因は、パンデミックだった。“不要不急”のものとされ、仕事を失った音楽業界の仲間を救おうと、基金の設立に動くなど、自分にできることは何か、模索を続けた。そしてパンデミックの出口が見え始めた時、心と体が悲鳴を上げた。そのうつに苦しんだ2年間を赤裸々に番組の中で山口さんは語っていた。

現在回復には向かいつつあるが、症状は一進一退を繰り返している。しかし、この春サカナクションのバンドメンバーを率い、2年ぶりの全国ツアーに挑んだ。「うつ病を抱えている自分だからこそ、新しい音楽世界を作れるはず」という決意である。

日本では、15人に1人がうつ病を抱えていると言われており、”うつ”とともに生き、歌い続ける姿は、厳しい現代社会を生きる私たち自身の物語でもある。山口一郎が”うつ病”を抱えながら、再起を期す姿を見て、うつと闘うのではなく、ともに生きるという覚悟で臨んだ感動的なライブの舞台裏に感動した。

全国ツアーコンサートで最も盛り上がったのが、サカナクションの代表曲でもある「ミュージック」の歌詞で、私には山口一郎の”うつ”と闘う決意表明に聞こえた。(一番大事なのはやっぱり、自分が好きだってモノを諦めない、それは出来るなって山口さんは言う。)

いつだって僕らを待ってる
疲れた痛みや傷だって
変わらないままの夜だって
歌い続けるよ 続けるよ
いつだって僕らを待ってる
まだ見えないまま ただ待ってる
だらしなくて弱い僕だって
歌い続けるよ 続けるよ

~どうか焦らずに、開けない夜はないのだから。~(山口一郎氏へ贈る言葉。)
NHK 総合Gで5月8日(水)深夜0:35~再放送されます。

 

 
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IWBF女子車いすバスケ敗者復活戦の感動をもう一度。!!

2024-04-22 17:18:23 | ドキュメンタリー

2024JWBF女子車いすバスケットボール・パリパラ最終予選が4月17日~4月20日まで、会場はAsueアリーナ大阪で開催されました。

IWBF女子車いすバスケットボール敗者復活戦の感動の瞬間を追体験しましょう!🏀✨

日本、ドイツ、スペイン、カナダが 2024 年パリパラリンピックへの出場枠を獲得する様子をご覧ください。

世界の女子車いすバスケの選手たちが、繰り広げた壮絶な戦いをIWBFが素晴らしい瞬間を映像にしてくれました。

ハードな練習に耐え、周りから期待されるプレッシャーに耐え、いろんな恵まれない練習環境下にも耐え、ただヒタスラに前を向き、黙々と努力を積み重ね、女子の車いすバスケットボールを少しでも多くの人に認められるようにと、いろんな障害やケガを乗り越え、現状に満足することなく車いすバスケを愛し、仲間と一緒に楽しみ成長されている雄姿を、是非ご覧ください。

🏀✨Highlights of the 2024 IWBF Women's Repechage - Qualification for the Paris 2024 Paralympic Games 

🏀✨◎ 16年ぶりに自力でつかんだパリパラリンピック 車いすバスケ女子日本代表(2024年4月21日) ANNnewsCHより。

 

 

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最後まで人生を諦めなかったポールさん。

2024-03-17 12:33:27 | ドキュメンタリー

ポリオの治療のため、70年以上の間「鉄の肺」という医療用人工呼吸器で生き続けた、ポール・アレクサンダーさんが2024年3月11日に78歳の生涯を閉じられた。

ポールさんは1952年の6歳の時にポリオに感染し、首から下が麻痺し自力で呼吸ができなくなり、人工呼吸器の一種である金属製のシリンダーの鉄の肺の中で一生を過ごさねばならなくなった。

ポールさんは鉄の肺が無くては生きていけない体になっても、大学に進学し弁護士となり、作家として多くの出版物を出されたと言う。1954年から理学療法士の助けを得て、ポールさんは独学で舌咽頭呼吸法を学び、徐々に鉄の肺から離れることができるようになったが、寝るときはやはり鉄の肺が必要でした。

このような困難な状況にもかかわらず、ポールさんは作家・弁護士として、さまざまな偉業を達成し、その不屈の魂と笑顔で世界中の人々を勇気づけて来た。そして、弁護士になるという夢を叶え、法廷では改造した車椅子で麻痺した体をまっすぐに保ち、スリーピースのスーツをまとって、クライアントの弁護に努められたそうです。

そんなハンディキャップにもかかわらず、ポールさんは人生を諦めるようなことは決してなかった。彼は自立した生活を送り、飛行機に乗って旅行もしたし、恋もした。大学生だったポールさんは、クレアという女性と出会った。やがて2人は婚約までしたが、彼女の母親から娘と会うことを禁じられてしまい、さすがのポールさんも、この失恋から立ち直るのに何年もかかったそうです。

だが、その後もポールさんは良縁に恵まれ、キャシーという女性と親しくなって、彼女はポールさんに言わせれば「手となり足となり」、ロースクール卒業後も30年以上にわたって彼を支え続けてくれたという。こうした決して最後まで諦めないポールさんの生き方は、世界中の人々を勇気づけられ、私もその一人です。

長い間、ポリオと闘って来られたポールさんに対して、心からご冥福をお祈りいたします。

◎ This Man Spent 71 Years in this Iron Lung  (設定で日本語翻訳にしてご覧ください。)

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