One-Leg Playerの奮闘記

障害を持っていても松葉つえ1本でいろんなスポーツにチャレンジしています。

看取った家族の悩み。

2023-01-20 07:17:22 | 親父の闘病記

2月11日に「学生・若者から始まる医療・福祉の未来」というイベントが開催されるそうですね。(医療介護の参考例です。)

参考になるかどうか分からないけど、看取った家族の一人としての「親父の闘病記」を述べさせて貰うなら、2016年の11月2日午前2時46分に親父が亡くなって約9カ月が経ち、やっと吹っ切れるかなぁと思っていた矢先に、また親父の思い出話しや私の近況報告などを語り合うホスピス家族会へのお招きは複雑な心境でしたし、迷った末、失礼のないようにお断りしました。

病院側としては、残された家族の精神的なケアも含めての心遣いだとは思いますが、これからの緩和治療をさらに良くする為にも看取った家族の悩みや意見を参考にされたいのだろうと思われます。やはり、在宅医療から緩和ケアへ移行するタイミングが非常に悩みました。それと家族は担当医師や看護師さんとは違って緩和ケアへの基本的な知識不足から医師と意見の喰い違いや微妙な思いにズレが生じたことです。

手の施しようのない癌の末期患者の痛みを和らげ精神的な不安のコントロールが緩和ケアなのですが、家族が驚くのは、痛みを和らげてくれるのはいいのですが、一日で意識が無くなったり、白目をむき、どこを眺めているのかも分からず、言葉もしゃべれなくなる姿を目の当たりにしたことです。

実は、親父が一番恐れていた事なのです。(親父のお姉さんが、ある病院へ入院して、その日は元気だったのが、薬の投入により一日で植物人間のようになったことを長い間その話しを私たちは聞かされて来ました。)

家族の勝手な思い込みですが、緩和ケアは医療技術の発達により老衰のように徐々にしゃべれなくなり、意識も緩やかに薄れ眠るように最後を迎えると自分の中ではそうイメージしていたのが本音です。

病院側とすれば、痛みは脳を遮断しない限り痛みは取れず、当然、意識障害が起こるのは必然で、徐々に微調整するには日数も費用もかかることから経済的な面と患者本人の病状の進み具合いや介護する家族の状況なども考えてのことで難しい判断を求められるのです。

延命治療は行わないと本人も家族も承諾したにも関わらず、矛盾した複雑な思いの家族と、ある程度割り切りが必要な担当医との考え方のギャップが生じるのは止むを得ないことだと理解しています。

長い間一緒に暮らし絆が深い家族であればあるほど、そう簡単に割り切れるものではなく、理屈ではなく1分1秒でも生きていて欲しいと思ったり、介護生活から早く解放されたいと思ったり、心が揺れ動くものなのです。しかし、だからと言ってそればかりに引きずられて悲しむべきではなく、前向きに新たな目標に向かって進むべきで、そうでないと亡くなった親は、そんな事を望んでいないからです。

今、治療に当たっておられる先生方も現状に満足することなく、日々技術を磨かれ少しでも患者さんの意に添った、精神的な面でのフォローと苦しみを和らげる治療の高度な技術の改善と短絡的な処置に走りがちな医療経営の中で、自分が納得のゆく治療は今の医療制度では、かなり厳しいとは思いますが、それを追い求めて欲しいのが患者家族としての気持ちです。

ある訪問診療所からの依頼で、「消化器系の障害及び治療後の影響により食行動の変更を余儀なくされた高齢患者の地域での看護支援について」が研究テーマで、本人や家族の意見を聞かせて欲しいとの依頼があり、9項目の質問に対しての回答を長年親父を診て来た過去の経過資料やメモなどを活用して、患者家族がかかえる食生活を変えることの精神的、身体的にも大きな負担となり、今後の臨床での看護に役立て貰えればと丁寧に応えて上げ、研究レポートのお手伝いが出来ればと整理してインターンの方へお渡ししました。

現在の医療制度は危機的状態で、在院日数の短縮化に伴い消化管障害だけでなく高齢者患者の治療後は在宅へ移行することが多く、患者本人や患者家族に対し地域・在宅・外来等でどのように看護介入して貰えるかがこれからの訪問看護支援の方にとっては、とても重要な役割を果たされる業務だけに、患者本人も家族も訪問医師も看護師さんもお互いに訓練や勉強が必要な時代へと変わらざるを得ない所まで来ていると言うことです。決して、他人事ではありません。親の看取りは、いづれは誰もが経験しなければならないテーマなのです。

訪問診療の先生と看護師さん、ホスピス病棟の担当医の先生、看護師さんには、本当に親父がいろいろと、お世話になり有り難うございました。再度、この場をお借りしてお礼申し上げます。

(※私のブログ記事「訪問看護支援の役割について、2016/07/30」・「介護している家族と医療関係者とのギャップ、2016/09/17」より抜粋)

 

 

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看取った家族の1人として

2017-07-17 17:11:14 | 親父の闘病記

16日にある緩和ケア病院のホスピス病棟のスタッフさん一同から、今回、大切な方を看取られた家族をお招きし、思い出や近況報告などを語り合う茶話会を催したいので、ご参加くださいとの案内状を頂いた。

まだ、2カ月先の話しですが今は迷っています。

親父が亡くなって約9カ月が経ち、やっと吹っ切れるかなぁと思っていた矢先に、また親父の思い出話しや私の近況報告などを語り合うホスピス家族会へのお招きは複雑な心境です。

病院側としては、残された家族の精神的なケアも含めての心遣いだとは思いますが、これからの緩和治療をさらに良くする為にも看取った家族の悩みや意見を参考にされたいのだろうと思われます。

やはり、在宅医療から緩和ケアへ移行するタイミングが非常に悩みました。それと家族は担当医師や看護師さんとは違って緩和ケアへの基本的な知識不足から医師と意見の喰い違いや微妙な思いにズレが生じたことです。

手の施しようのない癌の末期患者の痛みを和らげ精神的な不安のコントロールが緩和ケアなのですが、家族が驚くのは、痛みを和らげてくれるのはいいのですが、一日で意識が無くなったり、白目をむき、どこを眺めているのかも分からず、言葉もしゃべれなくなる姿を目の当たりにしたことです。

実は、親父が一番恐れていた事なのです。(親父のお姉さんが、ある病院へ入院して、その日は元気だったのが、薬の投入により一日で植物人間のようになったことを長い間その話しを私たちは聞かされて来ました。)

家族の勝手な思い込みですが、医療技術の発達により老衰のように徐々にしゃべれなくなり、意識も緩やかに薄れ眠るように最後を迎えると自分の中ではそうイメージしていたのが本音です。

病院側とすれば、痛みは脳を遮断しない限り痛みは取れず、当然、意識障害が起こるのは必然で、徐々に微調整するには日数も費用もかかることから経済的な面と患者本人の病状の進み具合いや介護する家族の状況なども考えてのことで難しい判断を求められるのです。

延命治療は行わないと本人も家族も承諾したにも関わらず、矛盾した複雑な思いの家族と、ある程度割り切りが必要な担当医との考え方のギャップが生じるのは止むを得ないことだと理解しています。

長い間一緒に暮らし絆が深い家族であればあるほど、そう簡単に割り切れるものではなく、1分1秒でも生きていて欲しいと思ったり、介護生活から早く解放されたいと思ったり、心が揺れ動くものなのです。しかし、だからと言ってそればかりに引きずられて悲しむべきではなく、前向きに新たな目標に向かって進むべきで、そうでないと亡くなった親は、そんな事を望んでいないからです。

今、治療に当たっておられる先生方も現状に満足することなく、日々技術を磨かれ少しでも患者さんの意に添った、精神的な面でのフォローと苦しみを和らげる治療の高度な技術の改善と短絡的な処置に走りがちな医療経営の中で、自分が納得のゆく治療は今の医療制度では、かなり厳しいとは思いますが、それを追い求めて欲しいのが患者家族としての気持ちです。

訪問診療の先生と看護師さん、ホスピス病棟の担当医の先生、看護師さんには、本当に親父がいろいろと、お世話になり有り難うございました。再度、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 

 

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親父の葬儀が滞りなく済みました。

2016-11-03 22:00:39 | 親父の闘病記

昨日は、親父が午前3時7分に亡くなり、通夜が午後6時より行われ、11月3日(木)の午後2時半から公益社(北ブライトホール)で家族葬が滞りなく済みました。

緩和ケア病棟の医師、看護師さん、ガードマンの皆さんに大変お世話になりました。特に2日の深夜の当直の看護師さんには、病院へ泊まり込んだ私を親父が息を引き取る前の午前1時過ぎに起こしてもらい、兄や弟に知らせるように言っていただき感謝しています。

兄は大阪だったので、病院へ来るのが遅れましたが、弟は私と一緒に親父の最後を看取ることができ、親父の看取り着を素肌じゃなくて、肌着を下に付けてはとの細やかな心遣いや親父の顔を綺麗にして頂き、深夜の寒い中見送りなど、本当に有り難うございました。

今、葬儀場から帰って来て、このブログ記事を書いています。

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親父との唯一のホットラインが

2016-11-01 16:58:31 | 親父の闘病記

親父と私との唯一のホットラインの親父の携帯からの連絡が10月21日で途絶えた。

今まで頻繁にかけて来た親父からの電話が無くなり、親父の携帯は病室の収納ボックスの
手さげ袋の中に、ひっそりと納められていたのです。

何かあれば、すぐにかけて来る親父からの着信履歴だけが今も私の携帯に残っています。

1日は、朝の8時45分から病室へ行き、ベッドに寝たままの親父に何度も話しかけても
目は開かなかったのに、看護師さんが二人で下着を交換するとき体を動かすと目を開らき、
その後は薄眼でこちらを見ているように思えた。

昼過ぎに私が食事のために家へ帰るよと言うと、親父の左眼に涙が少し滲み、もらい泣き
してしまいました。そうして廊下で看護師さんとスレ違う時に、PCAの注入液を2、3本運ぶ
のが見えたのです。

兄はその後に病院へ行き、看護師さんに再度、今夜は止まられた方が良いと言われ、私との
電話のやり取りの中で、急きょ私が今夜病院で泊まることになり、兄は明日泊まることになった
という訳です。

スグに夕食を家で済ませ簡易ベッドをお借りして、親父のベッドの横に寝ることになった。

後で兄から聞いた話ですが、親父のベッドの横のテーブルに何かメモ紙みたいなのがあって、
それには、私の名前だけがキッチリと漢字で書いてあり、後は何が書いてあるのかサッパリ
分からなかったそうです。その走り書きを、いつ書き、何を伝えたかったのか、そして、その
メモが私が夜病院へ行った時には何にも無かったのです。

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潮の満ち引きと人の命!?

2016-10-31 17:07:55 | 親父の闘病記

きょうは、病院の看護師さんから朝9時53分に親父のレベルがかなり下がっているので、早めに病院へ来て下さいとの連絡があり、私の車だと5分もかからないので、すっ飛んで行くと昨日の肩で息をし呼吸が一瞬止まり、また呼吸をするという繰り返しで2時過ぎまで病院に居て、昼は何も食べていなかったので家へ戻ることにした。

不思議と潮の満ち引きが赤ちゃんが生まれたり、人が亡くなったりすることを聞いた事がある。
お袋が亡くなった時も1月2日の午前6時ごろで、これも引き潮の日だったのです。

10月31日は新月で、非常に亡くなるケースが多く、11月1日は大潮で0時・6時・12時・18時に、息を引き取る時間が、おおよそ決まっているとか言います。

非科学的で因果関係が分からないけど、月の引力が関係しているとか。

どちらにしても、親父の担当の医師から、ここ2、3日が山だという話しでした。

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