静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2013年05月26日 | 天のマナ

「聖書の読み方」 

 こんな話を聞いたことがあります。レストランに二人の男性が来ました。一人はお客として、メニューを見て注文をし、おいしく食べました。しかし、もう一人は、料理評論家で、メニューの写真を見て、「この野菜や肉はどこで生産されたのか?」「野菜のゆで方はどうなのか?」「味噌汁のダシは何を使っているのか?」なんて散々質問したあげく、料理を注文しないで出て行きました。これでは食事を楽しむことはできません。

 聖書の書かれた目的は、メニューをみて注文し食事をするように、聖書を通じてイエス・キリストがどんな方であるかを知り、祈り、彼を信じ受け入れ、永遠の命を得ることです。どんな立派な料理評論家よりも実際に食する者は、料理について主観的に知ることができます。

 「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」(ヨハネ17:3)。イエス・キリストを知るという目的で聖書を読むことが、私達の内に豊かな祝福をもたらせるのです。

 2013・5・26

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主日礼拝説教要約

2013年05月26日 | 説教要約

「永遠にして真の王」 詩篇72篇1~20節

 この72篇の内容は、「王のための取り成し」であります。

Ⅰ 真の王とは

 真の王の姿は、公正と義をもって民を治め豊かな平和をもたらすこと(2~7)であり、愛をもって悩むものを弁護し、貧しい者の子らを救い、虐げる者どもを打ち砕くこと(4,12~14)であます。そして、真の王の統治は継続され拡大され民を活かしていくものであります。

Ⅱ 真の王なる主イエス

 しかし、人間はすぐに自分の公正と義をもって真の王であり成そうとします。ここでの公正と義とは、自らのものではなく、神の公正と義でなければなりません。なぜなら、人間のもの(信念、イデオロギー)は状況によって変わり、私利私欲や自己保身に陥るからであります。神の公正と義をもって真の王として歩まれた方がいます。それは主イエスであります。主イエスの地上での歩みはまさしくそうでありました。

 この真の王に毎朝祈り、神の公平と義、愛をいただき、仕えていきましょう。

2013/5/26 説教者 杉本守

 

 

 

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講壇の花

2013年05月26日 | 生花
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天のマナ

2013年05月19日 | 天のマナ

 「利害を超えた生き方」 

 「人間と動物の違いは利害を超えた行動にある」と曽野綾子氏は記します。確かに、動物は自分が得になることしかせず、自分の欲望に従って生きます。褒美の餌をもらうために行動をします。しかし、人間は違います。神によって人間は利害を離れて働くこと、何よりも神の栄光をあらわすために造られました。けれども人間は、罪ゆえの強欲と利己主義によって、神によって造られたこの本来の人間性が損なわれ、自らの利得のためのみに生きる動物的人間になってしまっているのです。「自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい」(ピリピ2:4)。クリスチャン(キリストに属する者)は、神が造られた本来の人間性を再度与えられた者であります。利害に生きる者ではなく、自らの利得のために自らの栄光をあらわす者ではなく、神の栄光をあらわす者としてBorn again(ボーンアゲイン:罪赦され、聖霊によって霊的に新たに生まれ変わること)された者なのです。ただ主イエスによって、それは成され、成され続けます。

2013/5/19

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主日礼拝説教要約

2013年05月19日 | 説教要約

「神の大きな働き」 使徒行伝2章1~13節

 本日はペンテコステ礼拝です。ヨエル書の預言の言葉が成就されました。神が聖霊をお送られたのです。まさしく、聖霊を受けた者達は、預言をし、幻を見、夢を見たのです。

Ⅰ 聖霊の降臨

 時が来ました。聖霊を待ち望んで祈り続けていた弟子達、婦人達、イエスの母や兄弟に、聖霊は降臨されたのです。主イエスがこの世に来られた時も大きな星が照り、天使達が大合唱する不思議な出来事が起こりました。聖霊なる神がこの世に来られた時も、三つの不思議な出来事を伴いました。どれも、福音が全世界に伝えられることをあらわしています。

Ⅱ 聖霊の降臨の目的

 聖霊が降臨した目的は、聖霊を受けた者達がキリストの証人となり、神の大きな働きを宣べ伝えるためであります。そして、福音を聞くものが主イエスを救い主と信じて救いを受けるためであります。「いろいろな他国の言葉で語りだした」との賜物は、世界宣教への一つのしるすであります。

 今は、聖霊の時代、私たちも信じる者にいただいている聖霊に満たされて、キリストの証人として主の栄光をあらわさせていただきましょう。

2013/5/19 説教者 杉本守

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講壇の花

2013年05月19日 | 生花
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天のマナ

2013年05月12日 | 天のマナ

「恥はわがもの 栄光は主のもの」

カルフォルニアのマック牧師のブログに次のような文章がありました。

 礼拝ライブの録画を見ました。赤面です。苦痛です。自分はこんなに落ち着きなく、右に左に動いているのか。こんなに早口で、こんなに強面なのか(笑)。「お前、今まで知らなかったのか!」と問われれば、「いや、いや、分かっていたつもりなのですが、思った以上でした」と答える以外ありません(苦笑)。ほんとに自分は自分のことすら何も分かっちゃいないということを思い知らされました。で、こういう放映を続けるということは、自分というものが素っ裸にされて世界にさらされているようでなんとも辛いのですが、私の親分は実際にそのような姿で、私のためにカルバリの十字架において人々の目にさらされてくださったわけで、それを思うのなら「恥はわがもの、栄光は主のもの」と、地球上のどこかで誰かが聖書の一節だけでもいいから、その言葉に反応してくれたらということを願ってコツコツと続けていきます。

「しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。」(ローマ10章14章)

2013/5/12

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主日礼拝説教要約

2013年05月12日 | 説教要約

「心を合わせて」 使徒行伝1章12~14節

 主イエスの昇天後、弟子達、婦人たちは、オリブ山を下り主の命令に従い、毎日集り聖霊を待ち望みつつ祈っていました。

Ⅰ 聖霊を待ち望んだ者達

 彼らは、弟子達、婦人達、イエスの母マリヤとイエスの兄弟達でした。ある時は120名ほどにもなりました。彼らの過去はさまざまです。常に変わらない気持ちでイエスに仕えてきた婦人達、裏切った弟子達、当初はイエスを救い主として認めなかった兄弟達でした。

Ⅱ 聖霊を待ち望んだ姿

 そのようなばらばらの彼らが、祈ったのです。その祈りは、主イエスの約束の言葉を信じた信仰の祈りであり、心をあわせた一致の祈りであり、ひたすらな祈りでありました。10日間、祈る中で聖霊を待ち望むにふさわしい彼らに変えれていったのでした。

 祈ることが、教会が形成される上で、人間のなし得る最大の準備李であります。心を合わせて祈る私たちであり、主の業をさらに体験させていただきましょう。

2013/5/12 説教者 杉本守

 

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講壇の花

2013年05月12日 | 生花
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天のマナ

2013年05月05日 | 天のマナ

「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。」(詩篇19:1)

 3日(金)に、浜名湖にあるガーデンパークへ行って来ました。ここは以前、2004年に花博が開かれた所であります。兄姉の中には行かれた方もおられると思います。広大な敷地の中に、芝生の広場、野外ステージ場、花を見ながらの遊歩道、花の美術館、遊覧船によるガーデングルーズなどがあります。多くの人が来場しておりましたが、広いので混雑することもなく、天気もよく、のんびりと散策することができました。色とりどりの花が咲き、神様の測り知れない英知による創造の御業を見させていただき、嬉しい喜びを体験させていただきました。今まで見たこともない鮮やかな色、ユニークな花の形、神様の発想に驚かされました。神様は、人を喜ばせるために、自然を創造されました。この経験をさせていただきながら、「私があなたに備えた恵みを、もっともっと楽しみなさい。下や内ばかり向いてないで空を見上げて、どんなに私があなたを愛しているか、あなたを喜ばせたいか知りなさい。地上での生涯を楽しみなさい。」という神様の思いに気付きました。

2013/5/5

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