静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2020年03月29日 | 天のマナ
「イエスによる勝利と平安をもっている教会(主を信じる者の集まり)」
 先週の木曜日には、東京で外出自粛要請が出されました。日本でも世界でも新型コロナウィルスが終息に向かうどころか、感染の拡大にあります。東京の各教会では、教会堂に集まることができずに、ライブ配信やCDによる自宅での礼拝が行われています。静岡県内では、感染者の報告が3名となっていますが、今まで以上に警戒をし、対策をしながら、主を見上げて歩む必要があります。
 教会の歴史の上、さまざまな出来事がありましたが、主の教会は立ち続けました。大迫害、戦時中、さまざまな感染症の只中にあったのです。苦難の連続で大いなる痛みもありましたが、先人の信仰者たち、主の教会は主を見上げ、主の守りと支えの中で歩み続けたのでした。そして今も、これからも私たちはその歩みを続けます。
 「そして、わたし(イエス)はこの岩(信仰告白)の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはできない」(マタイ16:18)。「しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある」(ローマ8:37)
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天のマナ

2020年03月22日 | 天のマナ
「おいしく食べれる恵み」
 ある方の抗がん剤の治療が始まりました。。副作用は日替わりで、今のところは食欲不振、口内炎、強い怠さ(だるさ)などです。食欲不振の時は、とにかく食べたい物、食べれる物をということで、新年からの健康食は一休みして、カロリーのあるものを食べています。「食べれるって、なんて幸せ!」と、おいしく食べられる恵みを感謝していました。
 主なる神は、私達のためにこの世界を創造し、私たちを喜ばせようと大自然を与えて下さいました。星々、空、海、山々を始め動物、花々などの植物、魚、鳥から昆虫、果物、野菜に至るまで、神の愛を深く感じるのです。それどころか何よりも、御子イエスを与えて下さいました。感謝して肉の糧を食し、感謝してみ言葉と聖餐なる霊の糧を食し、日々強められてまいりましょう。「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない」(テモテへの第一の手紙4章4節)。
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天のマナ

2020年03月15日 | 天のマナ
 「聖霊によるみ言葉の経験」
 クリスチャンにとって大事なことは、聖霊によるみ言葉の経験、信仰によるみ言葉経験です。聖書に記載されている信仰の先人たちは、信仰によって、神のみ言葉を経験しております。聖書知識が豊かでも、み言葉を聖霊によって、信仰によって経験していないならば、それは絵に描いた餅に過ぎません。クリスチャンは、イエス様を救い主と信じ告白した時に救いを受けました。罪を告白し悔い改めた時に主なる神からの罪の赦しを受け、自分から神へ、人生が方向転換しました。また主への献身を迫られた時に、自らを捧げますと献身をいたしますし、内住の罪(自我、古き人)が示された時それを認め、きよめを求め、きよめの経験をしていきます。また肉体の癒しを、心の傷の癒しを、経済の満たしを、悪習慣からの解放を、問題の解決を、人生の岐路での導きを、求めへの応えを、信仰によって、聖霊によって、み言葉の経験をしていくのです。へブル書11章にあるように、信仰の歩みとはまさしくその連続であります。み言葉を経験しているでしょうか?み言葉を経験し、主の恵み深さを体験してまいりましょう。
 
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天のマナ

2020年03月08日 | 天のマナ
 「恐れることはない」
 先週、東京聖書学院教会の礼拝式をユーチューブで観ました。このような社会状況の中で、牧師は、マタイによる福音書10章29~33節から「恐れることはない」とメッセージを語られていました。私なりに要約させていただくと。
 なぜ、恐れることはないのでしょうか。それは、神がおられ、あなたを支え守っているからです。この神は、あなたの髪の毛の数さえも知っています。それは、あなたのことを何でも知っていますということです。またこの神は、誰からも目をとめられていない雀さえも、目を留め守り養っているのですから、雀よりもまさっているあなたのことも、目を留め守り養っているのです。
 そのメッセージを聞きながら以下のことを思いました。
 この社会状況の中で、警戒する必要はありますが、恐れることはありません。恐れは不安を助長しパニックを起こしますが、警戒は恐れとは違います。警戒は、自分たちのできることをしながら、神の助けを信じて固く立ち、そして進むことであります。
「それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。」(マタイ10:31)
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