静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

講壇の花1

2021年01月31日 | 生花
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天のマナ

2021年01月31日 | 天のマナ
 「神に1万タラント赦されている者の幸い」
 先週の第二礼拝式のメッセージは、「神に憐れんで頂いたように」(マタイ18:21~35)でした。神は、神に対する私たちの罪の莫大な負債(罪責:1万タラント(6000億円)、3000回分の人生の返済に値するほどのもの、計り知れないほどのもの)を、帳消にして(赦して)くださいました。それは、主イエスの十字架、いのちの代価によって贖って下さったのです。クリスチャンはそれを信じて受け取り経験しましたし、主の再臨の時までこれからも経験していく主の恵みの中にあります。
 先週の日々、わたしは「神に1万タラント赦されている者」を言葉にし思いました時、心が平安、寛容、自由にされていることを感じました。小さい話ですが、ある時に街中を運転していて突然、割り込んで来る車、こちらが優先道路なのに一時停止しないで横道から入ってくる車に遭いました。今までは「イラっ」として、しばらくの間、嫌な思いにとらわれていましたが、「私は1万タラント赦されている者だから」という思いが起こると、「イラっ」にも、嫌な思いにもとらわれず、主への感謝が湧いてきました。「あーなんて赦されているのだろう。なんて自由なんだろう」と。これからも、「私は神に1万タラント赦されている者」と告白して行きたいのです。イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍まで赦しなさい。」(マタイによる福音書18章22節)
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天のマナ

2021年01月24日 | 天のマナ
 「主権者なる神に委ねる幸い」

 私たちの地上の世界、私たちの地上の人生には、様々な事が起こります。喜ばしい事、理解できる事、努力すれば起こる事、思うよう願うようになる事があります。しかしその反面、喜ばしくない事、理解できない事、努力しても起こらない事、思うよう願うようにならない事など、受け入れることが難しい事があります。以前の私たちならば、「嘆き、あきらめていた」ことです。しかし、主なる神を信じ救われた今の私たちは、「主なる神が、この世界を創造し、永遠に御手に治め、ご計画の内に導いておられること」を知っておりますので、「嘆きやあきらめ」ではなく、「主なる神に委ねる」ことができるのです。私たちが委ねる主なる神は、私たち一人一人をこよなく愛し、最善をなす方であります。ですから、たとえ、思うよう願うようにならない事が起き、受け入れることが難しく思っても、この主なる神を見上げ、委ねる時、私たちは平安の中に歩むことができるのです。
「神を愛する者たち、つまり、神のご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるということを、私たちは知っています。」(ローマの信徒への手紙8章28節)
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天のマナ

2021年01月17日 | 天のマナ
 「神の愛を受けて歩むクリスチャン」
 「あなたはわたしの目に貴く、重んじられる」(イザヤ43:4)。              「神と私、教会と仕事、教会と部活・・・あるいは教会と俺、どちらが大事なのか」と問われる経験があることでしょう。「それは神第一だから神様」と答える方、「比べることではない」と答える方、様々でしょう。クリスチャンは、①「自分がどういう者か」を自覚しています。それは「自らの罪深さや自らの弱さ」を自覚しているということです。つまり、「生まれもったままの自分は自己中心で愛がなく、このままでは家族を愛せませんし、自分には知恵がなく仕事ができませんし、自分には努力する継続力がなく部活もできませんので、神の助けが自分には欠かせないことを知っている者」です。また、②「どのように歩むか」を知っています。「家族を深く愛し、仕事を全うし、部活を充実させ主の栄光をあらわすためには、キリストの体である教会に属し、主の日に神を礼拝し、聖書を読み祈り、神との豊かな関係の中で、神の愛を受けていく必要がある」ということです。車でもガソリン(燃料)がなければ動きません。クリスチャンは、神の愛を受け続けなければ、本当の意味での働きができないことを知っているのです。夫を妻を深く愛するために、家族を真に愛するために、仕事を全うするために、今日も神の愛を受けてまいりましょう。

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天のマナ

2021年01月10日 | 天のマナ
 「すでに一体であり、一体とされていく」(創世記2:24~25)

 「夫婦」というものは、とてもユニーク(独特)な関係であります。結婚における夫婦関係は、親子関係や兄弟関係のような血の繋がりはありませんが、血縁関係に優った関係であり、育った環境も違いますが、その違いを乗り越えて行くものです。結婚して32年になろうとしています。結婚した時から夫婦は一体となっていますが、結婚生活を積み上げていくことによって、一体とされていきます。つまりその一体感は厚くなり深められて成熟していくのであります。1年より2年、2年より5年、5年より10年、10年より30年、そして30年より60年と一体感は成熟していくのです。
 妻は私の性格、性質を始め、食べ物の好き嫌いから、好みの服、気分の良し悪し、良い癖、悪い癖、こだわり、考え方などなど、様々なことを知り、受け止め、長年共に歩み続けてくれています。他の方ではきっとすぐに愛想をつかされる(あきられて好意や親愛の情をなくすこと)ことでありましょう。私も妻の性格、性質を始め・・・との逆もあります。このようなお互いの全てを知り、受け止め、受け入れていく夫婦の関係は、まさに神様の豊かな賜物であります。この事を妻に話して、「少なくともあと20年はよろしく。私を受け止められるのはあなたしかいないのだから(欠かせない存在なのだから)」と言うと、妻は「そう毎日お祈りしてる(長く元気で共に歩めるように)」と答えてくれました。
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天のマナ

2021年01月01日 | 天のマナ
  「クリスチャンの力」(映画: I can only imagine :私は深く想像する)を観て

 昨年の暮れから公開上映されている「I can only imagine」を観て、主の深い恵みを受けました。神を信じ救われていることの幸いをひしひしと感じました。是非、ご鑑賞されることをお勧めいたします。以下の文章は、「ユーチューブ(ごうちゃんねる)」を参照にしました。
 「私は深く想像する。人生には不可解なことがあるけれども、ちゃんと説き明かしをして下さる神がいることを。私は深く想像する。誰にも認められないように見えて、実は隠れた所を見ている神が、あなたをちゃんと評価してくださっていることを。私は深く想像する。私のために命まで捨てて罪を赦して下さった方が、私のことを温かい思いで見ていることを。私は深く想像する。間もなくすると、主イエスが再臨され私たちを天に引き上げて下さることを。その時、主イエスの前に出て、私はひざまずくのだろうか、踊るのだろうか、歌うんだろうか、抱き着くのだろうか。素晴らしい決定的瞬間が未来において待っている。だから今辛いことがあっても、苦しくても、誤解されていたとしても、理不尽の中にいても、評価されなくても、くじけるな!主イエスがちゃんと見てるから」。つまり天国を考えるというのは、現実逃避ではなく、現実に立ち向かっていくための力の源泉である。それが天国を先取りして体験しているということである。すべてを知ってすべてを解き明かして下さる主イエスの前に立つ、「あーなるほど、そうだったのですね」とすっきりする時が必ず来るのです。「この希望が失望に終わることはありません」(ローマ5:5)
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