「愛における完全」 マタイによる福音書5章38~58節
本日は、愛におけるキリスト者の義について、この箇所からみていきましょう。
Ⅰ 消極的な規定
「目には目を歯には歯を」とは有名な旧約聖書の言葉(出エジプト記21:24)です。これは、「目をやられたらその報復として目をやってよろしい」という当然の権利を保障した戒めではありません。これは、その当時、目をやられたら、その報復として2倍3倍にもなされていた行為とその拡大的連鎖を防ぐために、受けた被害と同等なもので留めなさいとした消極的な戒めでありました。
また、当時のユダヤ人は、「隣人を愛せよ」との戒めの「隣人」を、ユダヤ人だけとし、それ以外の異邦人は敵で、愛するのではなく憎めとしていたのです。
Ⅱ 積極的な愛による業
しかし、主イエスは、キリスト者の義は、それに勝るものでなければいけないと言い、積極的な愛を示されたのです。それは、善をもって悪に勝つこと、敵を愛し迫害する者のために祈ることです。なぜなら、父なる神が、どんな者にも恵を施し、主イエスも迫害するものを含めたすべての者のために十字架にかかられたのです。だから、神の子なるクリスチャン達も、そうあるべきなのです。
それこそが、愛における完全な者としてのクリスチャンであります。
私達の力では愛ではそれはできません。主イエスの愛をいただいて、そういう者とならせていただきましょう。
2009/11/15 説教者 杉本守
本日は、愛におけるキリスト者の義について、この箇所からみていきましょう。
Ⅰ 消極的な規定
「目には目を歯には歯を」とは有名な旧約聖書の言葉(出エジプト記21:24)です。これは、「目をやられたらその報復として目をやってよろしい」という当然の権利を保障した戒めではありません。これは、その当時、目をやられたら、その報復として2倍3倍にもなされていた行為とその拡大的連鎖を防ぐために、受けた被害と同等なもので留めなさいとした消極的な戒めでありました。
また、当時のユダヤ人は、「隣人を愛せよ」との戒めの「隣人」を、ユダヤ人だけとし、それ以外の異邦人は敵で、愛するのではなく憎めとしていたのです。
Ⅱ 積極的な愛による業
しかし、主イエスは、キリスト者の義は、それに勝るものでなければいけないと言い、積極的な愛を示されたのです。それは、善をもって悪に勝つこと、敵を愛し迫害する者のために祈ることです。なぜなら、父なる神が、どんな者にも恵を施し、主イエスも迫害するものを含めたすべての者のために十字架にかかられたのです。だから、神の子なるクリスチャン達も、そうあるべきなのです。
それこそが、愛における完全な者としてのクリスチャンであります。
私達の力では愛ではそれはできません。主イエスの愛をいただいて、そういう者とならせていただきましょう。
2009/11/15 説教者 杉本守