静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2006年12月31日 | 説教要約
「堅くたって動かされず」コリント第一の手紙15章50~58節

 この御言葉は、2006年の新年礼拝で、今年の教会のみ言葉として掲げられたものです。そうして、一年をこの御言葉を土台にして聖徒の皆さんと共に歩んでまいりました。一年を振り返りながら、神の言葉が真実であったことを見出し、感謝をもってこの一年を閉じましょう。

 キリスト者の歩みは、「堅く立って動かされない歩み」であり、「いつも全力で主の御業に励む歩み」であると聖書は語っています。お互いの一年の歩み、共同体である教会の一年の歩みはどうだったでしょうか。教会で見ると、セル・グループの働き、コンサート、夏季聖会での青年の賛美奉仕、教会愛修会、バサークリスマス伝道会など多くあげることができます。私達は、完璧とはいきませんが、精一杯なしてきました。

 なぜ、キリスト者は、そのような歩みができるのでしょうか。御言葉によると「十字架によって罪が赦され、神の許にあり、復活によって死が解決され、神の国に入るという確信」があるからです。つまり、救われているからだと聖書は言います。さらに、「キリスト者の労苦は決して無駄にならず、必ず実を結ぶ」からだと聖書は言いますし、私達はそうであることを知り信じているからです。

 もちろん、私達の歩みが、完璧にできたわけではありませんが、けれども主は、私達の一年の歩みを喜び、「全力を注いできたな」と恵みの故に受け止めてくれるのです。そして、実を見せてくださっています。御言葉を信じ歩む者は、主の真実を体験した一年でした。

2006年12月31日
説教者 杉本守牧師
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天のマナ(2006/12/31)

2006年12月31日 | 天のマナ
「今年を振り返りながら」

今年は、12月31日が主日となっていまして、今年は1月1日の新年礼拝で一年を始め、12月31日、一年の最後の日に、感謝礼拝をもって終えることができますことは、なんと幸いなことかと一年を振り返りながら感謝しています。本当ならば、毎日が礼拝の日であり、教会堂でも毎日午前中に礼拝がなされたら、どんなに素晴らしいかと思います。
 
今年も一年さまざまなことが、私達が歩んでいる社会でも起こりました。また、私達の生きる土台であります教会の場でもありました。私達は神の家族の一人を天にお送りしましたし、また新しい方々が、共同体である私達の教会の礼拝に、主によって送られてきました。どれ一つとっても深い摂理の中での主の御業としか言いようがありません。そして、それは神の愛における真実が豊かにあらわされたことを私達は確かめております。

 主は、私達にこう言われているのではないでしょうか。「私の愛する子よ。今年一年、忠実に全力を持って、主の業によく励んでくれた。私は祝福を持って応えた」。来年も真実な祝福の主に期待いたしましょう。

「主に感謝せよ、主の恵はふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることはない」(詩篇136篇1節)
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暗唱聖句(2006/12/31)

2006年12月31日 | 暗唱聖句
だから愛する兄弟たちよ堅くたって動かされず、いつも全力を注いで主の業に励みなさい。主にあっては、あなた方の労苦が無駄になることはないと、あなた方は知っているからである。
(コリント第一の手紙15章58節)
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主日礼拝説教要約

2006年12月24日 | 説教要約
「救い主を迎える」 ルカによる福音書2章1~20節

 クリスマス礼拝を迎えられる喜びを感謝いたします。

 クリスマスは、イエス・キリストの誕生日と人々は受け取っています。その通りですが、しかし、もっと詳しく見て見ますと、イエス・キリストが降誕した日と言えるのです。それは、父なる神様の許より、この人間の世界に降りて来て、誕生してくださったのです。それは、神から離れ、自己中心に歩み、迷って罪と傷の中にいる私達人間を救うためであります。「神は、そのひとり子(イエス・キリスト)を賜った(送ってくださった)ほどにこの世を愛してくださった」(ヨハネ3:16)とある通りです。

 この救い主イエスは、神の御位を置き、私達と同じ肉体をとられ(受肉)、馬小屋の飼い葉桶に寝かされるという驚くばかりのへりくだりを示されました。いいえ、それは誕生だけではなく、生涯を通して人に仕え、最後は十字架での死まで仕えられたのです(ピリピ2章6~8節)

 しかし、最初のクリスマスを迎えたのはわずかな人たちでした。羊飼いは、天使の告知に素直に応えた故に、救い主に逢えました。博士達は、救い主に逢いたいという求めをもって旅したので、救い主に逢うことができました。単純な信仰と追い求め続ける信仰を神様はほっておきません。けれども、ヘロデ王や聖書をよく知っている律法学者達は、プライドや頭だけの理解が邪魔をし、救い主を迎えることができませんでした。

 私達は、羊飼いや博士達のように、救い主を心に迎える者であり、救いの喜びをいただきたいのです。

2006年12月24日
説教者 杉本守牧師
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天のマナ(2006/12/24)

2006年12月24日 | 天のマナ
キャンドル.サービスの恵み」

 昨夜(23日夜)、キャンドル・サービスが持たれました。キリストの御降誕を喜び、ほめたたえる礼拝をキャンドルを灯して持ちました。なぜキャンドルを灯すのでしょうか。それは、神から離れた暗黒の世に、迷った社会に光として来られた救い主を、キャンドルを灯すことでおぼえるからであります。どんなに暗闇が満ちている場であっても、炎が灯され光が照りますと闇は押しやられてしまいます。「闇はこれ(光)に打ち勝たなかった」と御言葉にある通りです。

 世の光としてこられた救い主イエスを、私達の間に、そして私達の心に迎え入れましょう。どんなに社会に世界に闇が広がろうとも、どんなに闇が私達の心に影を落とそうとも、この光なる救い主を迎えれば、闇は追い払われてしまうのです。この光なる主イエスは、罪を赦し、心の傷を癒し、生きる命と愛を溢れさせてくださるのです。「すべての人を照らすまことの光があって世に来た」(ヨハネ1:9)。
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暗唱聖句(2006/12/24)

2006年12月24日 | 暗唱聖句
今日ダビデの町に、あなた方のための救い主がお生まれになった。この方こそ主なるキリストである」。
(ルカによる福音書2章11節)
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キャンドル・サービスのご案内

2006年12月22日 | 集会案内
★今年はグレースチャペルで、本当のクリスマスをお過ごしください★

《心温まるクリスマス・キャンドルサービス》
第一部:キャンドルを灯しての静かなクリスマス礼拝
第二部:クリスマス演奏

 【入場無料】

日時:2006年12月23日(土) 7:00~8:30pm
場所:日本ホーリネス教団静岡教会・グレースチャペル

静岡市駿河区中田本町13-30 電話:286-8323
SBS通りのマム生鮮市場(元エース食品館)を曲がる

入り口正面の受付カウンターにお越しください。係員がご案内いたします。
どうぞ、お気軽にお越しください。心よりお待ちしています。      (Sai)
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暗唱聖句(2006/12/17)

2006年12月17日 | 暗唱聖句
「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない、私たちのために救いの角を、僕ダビデの家にお立てになった」。
(ルカによる福音書1章68~69節)
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主日礼拝説教要約

2006年12月17日 | 説教要約
「神をほめたたえる」 ルカによる福音書1章57~80節

 ザカリヤとエリサベツに、救い主の先駆者でありますバプテスマのヨハネが与えられ生まれます。誕生八日目の命名時に、ザカリヤもエリサベツも神に命じられたように、信仰を持って「ヨハネ」と名をつけるのです。その時に不信仰のゆえにものが言えなくなっていたザカリヤの口が開け、ものが言えるようになったのでした。

 ザカリヤの第一声は、神をほめたたえる賛美でした。その内容は、まず、神は預言、契約、誓いを守り、神の真実をもって、救い主を送ってくださったこと、次に、自らの子が救い主を差し示す先駆者としての働きをなすことをおぼえた賛美でした。

 このアドベントにおいて、私達は、救い主を待ち望むにあたり、神をほめたたえ、救い主を指し示す者として、遣わされている場所で用いられたいのです。

2006年12月17日
説教者 杉本守牧師
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あなたがたのために救い主がお生まれになった

2006年12月13日 | フォトギャラリー
 主の御降誕を待ち望む期間のアドベント(待降節|Advent)第1週から、当教会のウィンドウには、小さな人形(=写真)が飾られています。飼葉おけに寝かされた幼な子イエスと、それを見守るヨセフとマリアを模しています。

 まわりにいる羊は、羊飼たちの訪問を受けた様子を表しています。御降誕の知らせは御使から、当時の社会で最下層とされていた羊飼たちに真っ先に伝えられました。「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなた方に伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」(ルカによる福音書2章10-11節)。

 そこで羊飼たちは急いでベツレヘムへ行き、幼な子を探し当てました。「羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。」(ルカによる福音書2章20節)

 イエスは、世の罪を取り除く神の小羊(ヨハネによる福音書1章:29節)でした。

戸塚姉の作品 撮影:2006年12月3日 (Sai)

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