静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2013年01月27日 | 説教要約

「重荷を負ってくださる主」 詩篇68篇19~25節

 この詩篇は、契約の箱をシオンに運び入れる時(第二サムエル8章)が背景となっていることが考えられます。神の臨在の象徴であります契約の箱が運ばれる行進は、過去から現在そして未来へと続く神の国の栄光をあらわしています。

Ⅰ 神の到来と神の民の設立の回顧(1~18)

 契約の箱がシオンに運ばれることであらわされる神の到来は、神を信じ従う者にとっては躍り上がる喜びであり、神に背く者にとっては裁きとなります。詩人は、その行進を見ながら、出エジプト、シナイでの契約における神の民の確立、約束の地入国と征服、シナイを神が住まいとして選ばれたことを詩っています。

Ⅱ 神の到来による現在と将来の喜び(19~35)

 神のみ業は過去にだけではなく、現在も豊かにあらわれ、日々の重荷を負ってくださり救いを与えられていることを躍り上がって喜んでいます。詩人は見るだけではなく、自らもその行進に加わったのではないでしょうか。そして、将来においても神のみ業の拡大を祈り、全世界が、全地が、この真の神に賛美をささげることを願っています。

 私達もこの時代にあって、主イエスのみ名を崇め、十字架と復活による救いと神のみ言葉なる聖書を掲げる行進に加わり続け、重荷を主にゆだね、喜び踊って歩もうではありませんか。

2013/1/27 説教者 杉本守

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天のマナ

2013年01月27日 | 天のマナ

 「ただ神の栄光のために」   

 今月から始まったNHK大河ドラマ「八重の桜」は、牧師で同志社英学校(後の同志社大学)を興し、福沢諭吉らとならび、明治六大教育家の1人に数えられている新島襄と結婚した新島八重を主人公とした内容です。初回放送の視聴率が21.4パーセントと2013年、多くの人が注目しています。もう、すでにご覧になっている兄姉も多いかと思います。

 キリスト教出版社では、この機会を捉え、キリスト教を証しする本として、明治のキリスト教的背景を盛り込んだ本格的な評伝、「牧師夫人新島八重」を執筆・刊行されました。明治に活躍したキリスト者同士のつながり合う驚くべき新発見の数々、八重と襄の信仰的なエピソードが満載したこの本を、是非一読され、大河ドラマで興味をもった人に伝道にお用い下さい。詳しくは、掲示板の案内をご覧下さい。また購入を希望の方は、名前をご記入下さい。まとめて注文いたします。  

「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」(第一コリント10:31)

2013/1/27

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講壇の花

2013年01月27日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2013年01月20日 | 説教要約

「生きた信仰を持つ」 マタイ25:31~46

 主イエスのこの章での三つのたとえは、行為を問うているのではなく、信仰を問うています。主の再臨の時にはどういう信仰をもって歩んだか、信仰の質が問われています。十人のおとめの譬えは継続する信仰、タラントの譬えは主に忠実である信仰、羊とヤギの譬えは隣り人への愛としてあらわれる信仰であります。

Ⅰ 生きた信仰の質

 主イエスへの生きた信仰は、隣り人への愛としてあらわれていきます。そして愛は、「いつしたのでしょう」と意識されていないほど湧いてくるものであり、自然であります。「してあげた」と意識されるものではないのです。

Ⅱ 生きた信仰に歩んだ結果

 主イエスの救いにあずかり、主イエスとの生きた交わりにあるならば、主イエスの愛がその人の内に流れ溢れ、隣人へと広がっていくのです。そして、主の前に立った時、主イエスから、「父なる神に祝福された者達よ、御国を受け継ぎなさい」との祝福にあずかるのです。しかし、そうでなかった形式だけの信仰者や信じなかったものは、神の永遠の刑罰を受けるのです。

 私達は、主が来られる日まで、信仰のともし火を灯し続け、その信仰が主への忠実として、隣り人への愛としてあらわれるものでありたいのです。

2013/1/20 説教者 杉本守

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天のマナ

2013年01月20日 | 天のマナ

 「教区新年聖会での恵み」   

 先日の新年聖会で、「きよめのメッセージ」と「宣教のメッセージ」をいただきました。メッセージと共に証詞者も立てられて、青年男性がきよめの証詞と献身の証詞をしてくださいました。「主イエスの身代わりの十字架によって、罪赦され義とせられる(義認)を受けた後、クリスチャン生活の歩みの中で、自らの奥深くにある罪の根源(自我、古き人)の醜さに打ちひしがれていました(義認を受けますと、良心が目覚め、キリストに従いきよくありたいと願い歩みますが、自分にはその力は無く、さらに自らの罪深さが示されるのであります)彼が、主イエスと共につけられる十字架の経験により、古き人がキリストと共に死に、キリストの復活によって自らもキリストによって生かされている」というきよめの経験を語られたのであります。是非、メッセージと共に彼のきよめの経験を簡潔にまとめた証詞をCDで聞いていただきたいのです。

「もし、わたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる」(ロマ6:8)

2013/1/20

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講壇の花

2013年01月20日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2013年01月13日 | 説教要約

「神の祝福を祈る」 詩篇67篇1~7節

神の祝福を求める祈りの詩篇であります。

 かつて大祭司アロンが、民を前にして両手を挙げ民を祝福した祈り(民数記6章24~26節)を思い出させます。神が、神の民を憐れみ祝福し、み顔で照らしてくださいとの祈りです。しかし、この詩篇の祈りは、神の民だけに限定されているものではなく、これは全世界の国民が視野に置かれ、神の民が祝福されることによって、神の栄光があらわれ、全世界の国民が真の神を恐れ、最終的な願いは、全世界が神の祝福を受けるようにというものであります。

 キリスト者は祝福を祈り求めますが、それは自分が神の祝福を独占し、自分が満足するためではなく、世界中の人に神の祝福が伝えられることであることを自覚し、主の祝福を伝え流させていただきましょう。

2012/1/13 説教者 杉本守

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天のマナ

2013年01月13日 | 天のマナ

「フットプリント(足跡)」の作詞者マーガレット・F・パワーズさんの詩です。これは、旅の途中で竜巻に襲われた時に書かれたものです。九死に一生を得た後、恐れで震える手で書き綴ったものです。

ある友からの手紙
 どんなに、わたしが、あなたのことを心にかけているか、そして、どんなに、わたしのことを、もっと、あなたに知ってもらいたいと思っているかを伝えたくて、わたしは、今、この手紙を書いています。
 あなたが、けさ、目ざめた時、わたしは、さんぜんと光り輝く日の出を、窓越しに見せて、あなたの注意を引こうとしました。しかし、あなたは、急いで去ってしまいました。そのあと、わたしは、あなたが友人たちと話しながら歩いているのを見つけました。わたしは、あなたに、暖かい日光をいっぱい浴びせました。そして、大気中に、自然の甘美なにおいを漂わせました。しかし、あなたは、急いで去ってしまいました。わたしに、気づくこともなく。それから、わたしは、大竜巻の中で、あなたに叫びました。わたしは、あなたのために、美しい虹を空に描きました。その時、あなたは、わたしをちらっと見ました。それでも、なお、あなたは急いで去ってしまいました。その夜、わたしは、月の光を、あなたの顔にこぼし、冷たいそよ風を送りました。あなたを休ませ、あなたの恐れを取り去るために、わたしは眠っているあなたを見守っていました。
あなたと同じ思いを味わいながら・・・・・。
 あなたは、かすかに、わたしがすぐそばにいることに気づきました。わたしが、あなたを選んだのです。
わたしは、あなたに、特別な使命を与えています。あなたが、すぐに、わたしに話しかけてくれることを願っています。わたしが、あらしの中からあなたを救い出したのです。他の人たちは、暁を見ることはできませんでした。わたしは、いつも、あなたのすぐそばにいます。わたしは、あなたの友です。あなたをこの上なく愛しています。 あなたの友、イエス

2013/1/13

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講壇の花

2013年01月13日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2013年01月06日 | 説教要約

「良い忠実な僕」 マタイによる福音書25章14~30節

 この25章は、主イエスが三つのたとえを通して、再臨の時、主の前に次のような信仰をもって進み出るように教えた箇所であります。それらは、「十人のおとめ」のたとえからは、「信仰の継続」、信仰の灯火をともしていなさいというものであり、「タラント」のたとえからは、「忠実な信仰」、主に対して忠実でありなさいというものであり、「羊とやぎ」のたとえからは、「愛の信仰」、人に対しては愛としてあらわれるものでありなさい、ということであります。

Ⅰ 預けられたタラント

 神を主人に、私達を僕として描き出すこのたとえは、まず、私たちのもてるものは、すべて神から託されたものであり、私たちのものではなく、神のものであるといことです。そして、その託されたものは、いくつもの能力に応じてそれぞれ異なるというのです。神はそれぞれに特徴を与えていて、均一でない素晴らしさがあり、すぐ人は横をみて比べ不公平だのとか言いますが、神はそれを良しとされています。そして神は、業績主義ではなく、忠実主義であり、いかに多くあったかとか多くもうけたかをみる方ではなく、いかに怠らず忠実であったかを見る方であります。

Ⅱ 用いられたタラント

 最初の二人は、この神の素晴らしさをわかっていましたので、忠実に自分のできることを精一杯なし、同じほめことばを受けました。しかし、最後の一人は、この神の素晴らしさを知らず、神を酷な恐ろしい方としてとらえ、託されたものを用いずに怠けたのであります。神が怒られたのは怠けたことが理由で、かりに、失敗して託されたものを減らしても神は怒られないのではないでしょうか。怠けた結果、彼は、託されたものを取り上げられ外へ出されてしまいました。用いた者達は豊かに与えられ、用いなかった者は取り上げられてしまうのです。

 神は、私たちに神への忠実さとしてあらわれる信仰であるように望んでおられます。

2013/1/6 説教者 杉本守

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