静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2022年09月18日 | 天のマナ
 「神の中に生き、動き、存在している」

 夏の終わりに夏休み(牧師休暇)をいただき、4日間夫婦でゆっくり過ごして来ました。教会堂を離れ、手をつなぎ初めての地も散策し、現地の食べ物を味わい、大自然の景色に身を置き、同じ景色をみながら会話をしてきました。その中でも、朝に共に祈る時間は格別でありました。
 一日一日の旅のスケジュールに心が急きますが、まずはゆっくり、一日を始める朝に、み言葉を読み、アパルームを読み、共に祈る時間は何よりも大切で、心が平安になり落ち着きます。そして神の守りのみ手の中で、一日を過ごします。一日の終わりには感謝の祈りをさげます。
 アパルームに記されていた聖書のみ言葉に心が捉えられました。「私たちは神の中に生き、動き、存在しているからです」(使徒行伝17章28節)。このみ言葉を呼んだ時、「ああ、本当にそうだなあ」と思い、一日中、このみ言葉をにれはみながら(反芻しながら)歩みました。私たちは神に創造され生かされていること、そして神が創造した自然の中(地球、宇宙)で生かされていること、さらに神の愛と恵みの中で生かされていること、そうなのです。「ああ、感謝だなあ」と何度、口にしたことでしょうか。主なる神に感謝します。
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天のマナ

2022年09月11日 | 天のマナ
「大牧者なるキリストがおられる教会は建ち続ける」

 先週の火曜日、教区会で分かち合いの時がありました。コロナ下で、各教会でもコロナ対応する中、不思議に求道者が教会に来会しているとの報告がいくつもなされました。教会が宣教に励んでいる時も、宣教に励むのが困難な時も、大牧者なる主なる神が教会を建ち上げておられることが証しされたのでした。
 教会とは「不思議な集まり」です。「不思議」と言うと語弊がありますが、人間の知識や常識や経験では量ることも捉えることもできません。教会は「キリストの体であり、キリスト者共同体であり、大牧者なるキリストが満ちている」からです。歴史上のどんな迫害をも乗り越え、世界中に福音を届けています。今後も終末にあって、この世界は激動していくでしょう。しかし、教会はどんな状況でも堅固に建ち続け、宣教に励み、愛し励まし支え合い、再臨のキリストを待ち迎えるのであります。だから恐れることはありません。不安になることもありません。主によって遣わされた時代、置かれた場所で、世の光、地の塩としての主の使命を果たさせていただきましょう。
 「すべてのものの上に立つかしらとしてのキリストを教会に与えられたました」(エフェソ1:22)。
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講壇の花

2022年09月11日 | 生花
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天のマナ

2022年09月04日 | 天のマナ
 「『私を祝福して下さい』と祈る祈り」

 本日のタイトルは、何か自己中心的なものに聞こえますが、どう思われるでしょうか。
 私は牧師ですから、兄姉のために神の祝福や神の癒しの祈りをすることが多いです。もちろんこのことは私にとっての喜びであります。例えば、昼寝をし始める孫を抱きながら、「この孫を主の豊かな祝福でお包み下さい。この孫が主の愛に満たされ、主の救いを受け、主を愛し人々を愛するひとりの人格者としてあなたが育んで下さい」と祈ります。
 そして最近、私は自分の胸に手を置いて、自分自身の祝福をも祈ります。「主なる神よ、この私を祝福してください。私の益のためにではなく、私が接し交わる兄姉や人々のために、祝福の器(泉)としたまえ」と。空のままの私では、主の祝福が流れていきません。ですから、まずこの者が主の祝福に豊かに与ることであると気づかされています。
 兄姉も祈りませんか?「主よ、私を祝福して下さい。あなたの祝福が私を通して、家族に同労者に地域の方々に流れますように。あなたの祝福で満たして下さい」と。
「私はあなたと共にいて、あなたを祝福する。」(創世記26章3節)。アーメン。

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