静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2011年12月25日 | 天のマナ

「もし信じるなら神の栄光をみるであろう」  

 

私たちはこの一年、上記のみ言葉を信じて歩んできました。2011年は、世界も日本も大きく揺れ、そしてグレース・チャペルも困難な年であったことをおぼえます。世界の国々では民主化の波、日本では東日本大震災、教会では4人を天に送り、また多くの兄姉が病いとなり今もその中にあります。

 

しかし、私たちは、世界の歴史を導く神、大震災による傷への神の癒しと復興、兄姉を天に送り病いの中にある兄姉を抱く教会で神の希望と癒しを経験したきたのであります。また、会堂返済も今年の分を完済することができ、あと四年三ヶ月となっております。み言葉を信じささげる者に、神はみ言葉を体験させて神の栄光をみさせてくださるのです。

 

2011・12・25

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主日礼拝説教要約

2011年12月25日 | 説教要約

「主イエスの前にひざをかがめる」ピリピ人への手紙2章1~11節

 メリークリスマス。主の御降誕を喜び祝います。クリスマス礼拝にふさわしいことは、主なる神を賛美し、主なる神の前にひざをかがめ拝し、そして喜ぶことであります。

 サタンのわざは明白であります。それは関係を壊すことです。神と人との関係、人と人との関係、自分と自分との関係です。ピリピの教会は喜びの教会と言われていましたが、いつの間にか不一致が進入したようです。どうしたら一致することができるのでしょうか。それはもう一度主イエスの前にひざまずき謙遜になるということです。キリストの心を心とすることです。主イエスのへりくだりは、受肉、十字架によって最も顕著にあらわされ、そして父なる神はその主イエスをよみがえらされました。それは、私達一人一人が救われ、神の前にひざをかがめ兄弟姉妹と一致し神のみ心にかなう者になるためであります。

 博士達がひざをかがめて礼拝をささげたように、すべての命ある者が主なる神の前にひざをかがめ一致することが、クリスマスにふさわしいことであります。

2011/12/25 説教者 杉本守

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天のマナ

2011年12月18日 | 天のマナ

「地上では旅人、天の永遠の都を目指す者として」  

 

「しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。」(ヘブル書11章16節)。

 

ここに出てくる彼らとは、ノア、アブラハム、モーセをはじめ信仰の大先輩の方々であります。また彼らは地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした方々でもあります。つまり、神を信じる者のこの世での歩みは、準備運動、助走、仮の宿に過ぎません。だからこの世の物に固執しません。私たちの歩みの本番は、神の永遠の都である計り知れない神の国であります。ですから、この世では必要以上の物は必要ないのです。旅人(遊牧民)は軽装です。この世にどっぷりつかり、がっぽりもっていたら動けません。仮の宿であるこの世での大富豪や大豪邸、大名誉や大成功は、私たちには大きな魅力とはならないのです。天に思いがある者となっているのですから。

 

2011・12・18

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merry christmas

2011年12月18日 | 生花

 

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主日礼拝説教要約

2011年12月11日 | 説教要約

「罪人のための救い主」 ルカによる福音書5章27~32節

 今週も主イエスが何のためのにこの世に来られたからを、主イエスご自身の言葉に聞き入っていきましょう。

Ⅰ 座っていた者から

 レビ(マタイ)は、神から大きな賜物をもらっていましたが、それを神のために用いずに、ローマの権力を傘にして自分の欲の達成のために使っていました。まさしく真の神から離れて自らを神とする的外れの生き方に座っていたということができます。そのレビをじっくりしっかり見つめられた主イエスの眼差しは、レビの魂をとらえたのでありました。

Ⅱ 立ち上がって従った者へ

 レビが受けた主イエスの眼差しは、真実といつくしみ、愛しレビを活かそうとする神の力にあふれていました。今までレビを見る人々のおびえる目、さばかれる目とは全く違っていたのです。彼はイエスの「従ってきなさい」との言葉に、その瞬間答えて立ち上がり従ったのです。レビの的外れの生涯が、神を信じ神に従う的を得た生涯へと変えられたのです。まさしく悔い改め、方向転換したのです。

 主イエスの眼差しを感じていますか?「従いなさい」という声が聞こえていますか?今、レビのように立ち上がって従いましょう。

2011・12・11 説教者 杉本守

 

 

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天のマナ

2011年12月11日 | 天のマナ

「たとえ見えなくても」  

「神がいるなら見せてみろ」と時々投げかけられます。神は霊なる方で肉体をもっていないので見せることはできませんが、神がなされている業(クリスマス、十字架、復活)を見て、神を知り、神の愛を体験することができるのです。一つの話をいたしましょう。

一人の青年が、お母さんがどんなに自分を愛してくれていたかを話をしていました。彼自身、お母さんと一度も会ったことがないし、直接話したこともないのにです。そして今もお母さんからの愛を感じ、その愛に生かされ、お母さんを尊敬しているというものでした。

 彼がこの世に産み出される時、それは難産だったようです。その結果、子供は無事に生まれましたが、母親は天に召されたのです。彼は、お母さんの笑顔を見ることはできませんし、お母さんの声も聞けません。お母さんと遊ぶことも。しかし、命をかけて産んでくれた母の愛は、自らが生かされていることによって彼は十分に感じているのです。

2011/12/11

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受付の花

2011年12月11日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2011年12月04日 | 説教要約

「失われた人のための救い主」 ルカによる福音書19章1~9節

 主イエスは何のため、誰のためにこの世に来られたのでしょうか。次週と二回にわたって、主イエス自身の言葉に聞き入りましょう。

Ⅰ 失われていた者

 ザアカイ(義人、きよい人)と名づけられた彼が、なぜ取税人になったかは記されていませんが、神の前に真実や誠実にいきるよりも、財や地位という見えるものに心ひかれていったのでしょう。しかし、この世の物は、移り行くものであり、人間の魂・霊を満たすことはできません。彼は「失なわれていた」のです。彼は本来いるべき永遠の、そして人間の魂・霊を満たす神との交わりの場所から飛び出し、虚しさに滅びようとしていたのです。

Ⅱ 見い出された者

 しかし、イエスは彼が失われていることを知り、彼のためにエリコの町を訪ね彼を見い出すのです。彼の名を呼び彼の家の客となり、彼に神の愛を示すのです。主イエスにより彼は見い出され、神のもとに立ち返ることができたのです。彼の魂・霊が満たされたゆえに、彼は今まで執着していた財を貧しい人に施すことをいたします。神に立ち返ることにより、満たされた証拠であります。

 主イエスは、ザアカイを始め、神から離れ失われた者を見い出して、十字架により神のもとに立ち返らすために来られたのです。

2011・12・4 説教者 杉本守

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天のマナ

2011年12月04日 | 天のマナ

 「永遠に生きる幸い」

 「一度生まれた人間は二度死ぬ。二度生まれた人間は一度死ねば良い。」(D.L.ムーディー)

一度生まれるとは、母の胎内から生まれることであり、それは肉体の誕生であります。誰しも

経験しております。しかし、その誕生だけの人間は、一度目の死である肉体の死(体と霊の

分離)だけではなく、二度目の死(永遠の死、霊が永遠の滅びに入る)を経験します。つまり

二度死ぬということです。

 

けれども、二度生まれた人間(一度目は母の胎内からの肉体の誕生、二度目は主イエス

を救い主と信じ神に立ち返った霊の誕生)は、一度目の肉体の死だけで、二度目の死を迎

えないでよいのであります。それは、主イエスを救い主と信じ、罪赦され義と認められ、神の

子とされ永遠の命を受けているからであります。栄光の体の中に永遠の命をもって永遠の神の国に永遠に生きるのです。

 「御子(主イエス)を信じる者は一人も滅びないで永遠の命を得る」(ヨハネ3:16)。

2011/12/4

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講壇の花

2011年12月04日 | 生花
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