静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2021年09月26日 | 天のマナ
 「祈って始める」
 自分の力ではなく、神様に寄り頼むとは、難しいことではありません。一日の始めにみ言葉をいただき祈ることです。またひとつひとつのわざを始めるとき祈り、その日のみ言葉を思い出すのです。
ひとつひとつのわざを始める前にとは、私の昨日のことをあげるならば、運転をする前に主の守りを祈り、二つの教会の週報を作成する前に知恵を与えてくださいと祈り、説教を準備する前に聖霊によってみ言葉と私の心が開かれますようにと祈り、寝る前にも主の平安による安眠を祈りました。どれも時間したら短い祈りですが、祈ると祈らないとでは雲泥の差があります。大切な働きの前にも、普段のひとつひとつの事の前にも、どうぞ兄姉も祈って始めてみて下さい。もし、行き詰ったなら朝のみ言葉を思い出して下さい。主イエスとの生きた豊かな霊の交わりは、クリスチャンの特権です。
「神は真実な方です。この方によって、あなたがたは神の子、私たちの主イエス・キリストの交わりに招き入れられたのです。」(コリント信徒への手紙一1章9節)とあります。主イエスの交わりの招きに応えていますか?無視していませんか?気が向いた時だけにしていませんか?「祈って始める」と主イエスのみわざを体験していきます。
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天のマナ

2021年09月19日 | 天のマナ
「永遠の完全なる愛の父なる神との健全な関係を築く」
 あなたの肉親のお父さんは、どのようなお父さんでしょうか?でしたか?「やさしいお父さん」「気難しいお父さん」「威張っているお父さん」「楽しいお父さん」「偉いお父さん」・・・・。私の父の尊敬するところは、よく祈る人でした。また六人の子供をよく育てたと思います。しかし、私の父は幼い時、父親を亡くしたので、子供との関係をあまり深く築けない父でした。遊んだり、相談に乗てもらったことはまれで、「忍耐しなさい。祈りなさい」で済ます父でした。
私たちの神は、永遠の完全な父なる神です。私たちが父なる神を思い、関係を築こうとする時、必ず肉親のお父さんから受けたものが影響してきます。「威張っているお父さん」「怖いお父さん」「厳格なお父さん」だと、父なる神も怖い方と思ってしまいます。もちろん、悪いことには叱ることが愛ですが、肉親の父は、人間であり不完全ですから、理不尽なこともするのです。そこで、肉親の父から受けた愛は感謝しながら、受けた傷は主イエスに癒され、永遠の完全な父なる神に、父親像をしっかりと切り替えることです。自分のもっている肉親の父親像でなく、聖書に記されている父なる神がどういう方かに聴き、この永遠の完全なる愛の父なる神に思いを変え、考えを変えて、歩みましょう。信仰生活も活き活きしてくるに違いありません。主イエスは、父なる神に「おとうちゃん!」と叫ぶ関係をもっておられました。私たちは父なる神になんて叫びますか?(ガラテヤ4:6)
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天のマナ

2021年09月12日 | 天のマナ
「今までの交わりに加えて」
 コロナの影響で、なかなか会堂に集まれず、従来の交わりが持てない状況です。こんな中でも、ZOOMを用いての交わりが新たにされています。本日も第二礼拝式後、ZOOMを用いての交わりをいたします。二週間前にもいたしましたが、今回は前回とは違うメンバーでいたします。主の恵みを分かち合い、日々の重荷も分かち合って祈り、主にある霊の交わりができる幸いを感謝いたします。
また、中高生青年女性では、時々土曜日に交わりの時をもっています。賛美、ゲーム、主の恵みの分かち合い、祈り合いの時です。とても楽しいようです。各セルグループで、私たちも行いたいとか、また各セルグループを越えて交わりたいという時に、教会のZOOMを用いて下さい。牧師に「〇月〇日〇時~〇時までZOOMを使いたいので」とひとこと声をかけてくださいますとセッティングさせていただきます。
また祈祷会は、ライン(音声)でしております。木曜日午前10:30~11:30と夜7:30~8:00です。こちらも、加わりたい兄姉は、牧師まで申し出てください。ラインのグループに入っていただけるようにいたします。
「今の時を生かして用いなさい」(口語訳)、「時を用いなさい」(エフェソ5章16節)。こういう時にできることを進めてまいりましょう。
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天のマナ

2021年09月05日 | 天のマナ
 「主を望む者は新たに力を受ける」
 祈祷会では、イザヤ書のみ言葉を共にいただいております。前々回は40章からでした。40章の終わり(31節)に、賛美にもなっている有名なみ言葉があります。
賛美の歌詞は、「主を待ち望む者は新たに力を受けて昇る 走り疲れず、歩みて倦まず 鷲のよう昇る」です。
 私が中学生のキャンプで、何度も何度も賛美しました。その時は、「歩みて倦(う)まず」の「倦まず」って、どういう意味だろうか?とわからずに歌っていました。
日本の辞書では「飽きたりせず」「嫌にならず」などがありました。口語訳聖書では「弱ることはない」、共同訳2018では「疲れることはない」、新改訳2017でも「疲れない」と訳されています。言語では、「ロー ヤーアフ」で「疲れない、疲れていない」です。
 疲れて倒れてしまいやすいのが人間ですが、キリスト者は違います。キリスト者は主を待ち望む者なので、主から新たなる力を注がれます。弱り疲れにとどまらず、癒され回復され鷲のように昇るという者とされているからのです。「疲れていますか?弱っていますか?」。この賛美を口ずさみ、このみ言葉を黙想して、主を待ち望みましょう。主に触れていただき、主から新しい力をいただきましょう。
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