静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2016年11月20日 | 天のマナ
「その時がくればわかる」 
                
 先週、「Miracles from Heaven(天国からの奇跡)」という映画をDVDでレンタルして観ました。テキサスに住むクリスチャン家族(両親と三人娘)が病いの中で、信仰的な葛藤をしながらも、神の御業を体験する実話に基づいた内容です。信仰の励ましを受けることと思いますので、ご鑑賞されることをお勧めします。詳しい内容をお話しするとネタバレになりますので、是非、ご覧になって下さい。ちなみに牧師夫人は、涙が止まりませんでした。
 私は、この映画の中で、一つの言葉が残りました。それは、母と次女が神の奇跡と神の国についての話で交わされたものです。神の奇跡や神の国を信じない人達もいるかも知れない、うまく説明できないし、納得できるように話せないが、「その時がくればわかる」との言葉です。
 私たちの信仰の歩みの中で、理解したいし、理解してもらいたいと願い努力します。それはそれでいいのですが、理解できないことも理解してもらえないことも時にはあります。あとは主に委ね、その時を待ち望むことです。

「あとでわかるようになるだろう。」(ヨハネ13:7)
  
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天のマナ

2016年11月13日 | 天のマナ
「常に聖書の言葉に返る」 

 サタンの働きは巧妙であり、聖書の真理から人を惑わし、真の神の姿を曇らし、真の神との関係を壊すものです。ご存じのようにキリスト教の現代の異端は、エホバの証人(ものみの塔)、統一教会、モルモン教です。キリスト教史をみると、異端はその中で繰り返し出てきては消えて行きます。最近でも異端カルト的なものが問題視されています。異端の特徴は、三位一体なる神を否定したり、イエス・キリストの神性や人性を否定したり、聖霊なる神の位格を否定し単なるエネルギーとしたり、完結されている正典なる六十六巻の聖書を不十分だとし、今でも霊感を受けるとして書いたものを聖書と同列に置いたり、救いを受けるのには十字架では不十分として律法による行いを加えたり、教会や社会の秩序を乱します。そして、それらのグループは分裂を繰り返し消えて行きます。

「また、悪魔に機会を与えてはいけない。」(エペソ4:27)とあるように、今は、聖書より主題説教(組織神学に沿って)が取り次がれております。異端やカルトに揺すぶられ惑われることなく、霊的にも知的にも整えられ満たされて、確かなクリスチャンとしての歩みをしていきましょう。
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天のマナ

2016年11月06日 | 天のマナ
 「キリストの代役としてのクリスチャン」

 キリスト者はなぜ、救われてすぐに天国に行かないのでしょうか。地上での使命があるからです。教会の外の世界に派遣されて、果たすべき責任があるからです。教会から派遣されたキリスト者は、キリストの代役としてわざをなしていくのです。教会から派遣されたキリスト者は、キリストの口となり、言葉と生活で福音を証しします。キリストの手となり、神の愛を隣人に実践します。キリストの脚となり、孤独な人や弱者を訪ね歩き、励ましと慰めを与えます。キリストの代理として、何をするにしても神の栄光を現します。
「キリストなら、どのように家族を愛し、職場で仕え、学校で学び、地域社会に貢献するか?」、そう考えながらの歩みこそがキリストの代役なのではないでしょうか。礼拝での祝祷は、派遣のための祈りです。礼拝者が祝福の基として派遣され、教会の外の方々にその祝福が及ぶために、派遣のために礼拝者の祝福を祈るのです。(「それって大丈夫」水谷潔著より抜粋・参照ですので、詳しくはこちらをご覧ください)
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