静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2022年08月28日 | 天のマナ
 「この街にいる神が備えておられる神の民と出会う」

 先週、教会のホームページを見た方から、「教会に子供を連れて行きたい」との一本の電話が入りました。このような時代を生きていくためには、揺り動かされない信仰こそが必要であることを思います。その電話の件の話を聞いた時に、私は次のみ言葉を思い出しました。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私はあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、私の民が大勢いるからだ。」(使徒言行録18章9、10節)。そして次のような思いを持ちました。「この静岡市にも神が備えておられる神の民がまだまだ多くいる。祈りつつ、愛をあらわしつつ、ひとりひとりとの出会いを大切にし、福音を届けよう」と。
 今、孫を通して、子や孫を連れた町の方々と会話が自然に増えました。「この方が神が備えておられる方なのだろうか、こちらの方もそうかも」とワクワクしてます。
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天のマナ

2022年08月21日 | 天のマナ
 「主に知られ主を知ることのあまりのすばらしさ」
 「多くの人は、有名になること、人々に自分の名前が覚えられることを求めています。しかし、人々の間でどんなに有名になっても、神にその名が覚えられていなかったら、それは惨めではありませんか。天国では、この世の地位や名誉、財産や肩書きなどは通用しませんね。ビバリー・シェーは、誉れや財産や人気の一切を手に入れましたが、彼のこころは満たされませんでした。しかし、イエス・キリストを信じる信仰によって、彼は、本当の喜びと平安を手にしたのです。そして、彼は「キリストにはかえられません」という歌をつくりました。「キリストにはかえられません。世の宝もまた富も。このお方が私に代わって死んだゆえです。キリストにはかえられません。有名な人になることも。人の誉める言葉も。このこころをひきません。」 ビバリー・シェーがビリー・グラハムのクルセードで心から歌う時、人にでなく、神に名前が覚えられていることがどんなに素晴らしいことかがわかり、多くの聴衆がその歌に心打たれるのです。」(「命がけの奉仕」Hpより引用させていただきました)
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天のマナ

2022年08月14日 | 天のマナ
 「今は主にあって光となっています」(エフェソ5章8節)
 先週の木曜日(11日海の日)に四国教区ユースキャンプがリモート(ズーム)で行われ、牧師夫妻が講師として、それぞれ一回ずつみ言葉を取り次ぎました。テーマは「つながり」で、午前は主任牧師が「神とのつながり」、午後は副牧師が「人とのつながり」をみ言葉から語りました。10数名の青年たちと10名位のスタッフ(牧師ら)の参加でした。オンラインながらでのリクレーション(ゲーム、フォトコンテストなど)、賛美、証し、分かち合いもなされました。特に二回のメッセージのあとの分かち合いは、み言葉への真実な応答がなされ、共に祈る幸いな時となりました。自分の頑張りでの自力発電ではなく、主とつながっている主からの命の流れによって光る者とされている恵みをおぼえました。当初の計画では、3年前の御用でしたが、台風、敬子牧師の病い、コロナ下で中止や延期がなされてきました。しかし、その中でも主の深いご計画(摂理)、青年たちのキャンプに対する篤い思いによって、幸いな恵みをいただきまして感謝いたします。また、静岡教会の兄姉の祈りに支えられて、御用を全うすることができ感謝いたします。
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天のマナ

2022年08月07日 | 天のマナ
「信仰は聞くことから」
 孫との時間を過ごすことは、若いころのようにはない体力がない私ですが、至福の時です。目を見て、うるさいほどに?なるべく多く語り掛けます。まだ、孫が発する言葉は多くはありませんが、こちらの言うことを理解しているようです。例えば、「パパに渡してきて」と言うとそうしますし、「ママの写真をもってきて」と言うと6~7枚の写真から選んでもってくるのです。うちの孫、「天才!」って内心で思います(笑)が、まだ1歳と4か月という幼いながらも、言葉を聞いて理解していることに驚きます。賛美の子守唄を歌い昼寝に入ります。食前のお祈りをする時は手をあわせますが、祈りが長くなるとアーメンまではもちません。クリスマスの絵本もまだ難しいようです。もちろんまだ、小さいのでそうでありますが、信仰の言葉も増やし多く語り掛けていきたいと楽しみにしております。
  「それゆえ、信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉によって起こるのです。」(ローマの信徒への手紙10章17節)。
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