静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

教会堂での礼拝式、諸集会の再開

2022年04月24日 | お知らせ
3月13日(日)より教会堂での礼拝式を再開いたしました。

3月24日(木)より諸集会も再開いたしました。

主なる神の護りと支えが豊かにありますように。
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天のマナ

2022年04月24日 | 天のマナ
「教会総会に臨むにあたって」
 教会はキリストの体であり、ひとりひとりは主なる神によってこの世から召し集められたキリストの体の部分(器官、肢体)であります。そしてキリストの体なる教会は一つであります。このキリストの体なる教会は、多くの部分(器官、肢体)で建て上げられています。多くの部分はそれぞれ違います。なぜなら、そのように神が造られたからです。同じであったら多くのことはできないし成長成熟もないでしょう。神が良しとされ、ひとりひとりに与え備えられた多様性(賜物、働き)をまず認め、そして喜び互いに敬意を払いましょう。次に、一致を保つように熱心に努めましょう。多様性だけではバラバラでまとまりませんし、連携が取れず何もできません。体の各部分は頭の指示に従います。教会の頭はキリストです。私たちひとりひとりは、キリストの前で頭を垂れ、主のみ言葉に従うのです。
 総会で意見を聞く者らは、その意見に主の御心があらわされているのではないかと傾聴し心を寄せましょう。また意見を言う者は、自らの発言に拘らずに、発言後は主の前に頭を下げ、教会を導かれる聖霊なる神に、またキリストの体なる教会に委ねましょう。「招かれたあなたがたは、その招きにふさわしく歩み、謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて霊による一致を保つように熱心に努めなさい。」(エフェソの信徒への手紙4章1~2節)
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天のマナ

2022年04月17日 | 天のマナ
  「この人(イエス・キリスト)による以外に救いはありません」(使徒言行録4章12節)
 神は、創造した自然界、神の最高傑作である人(肉体に霊を宿す者)、導いておられる歴史を通して、自らを啓示されています(神の一般啓示)。また神は、人に「神を求める思い」を与えられました。けれども一般啓示では、神がいるのはわかりますが、どのような神かをはっきりと知ることはできません。ですから、人は神を様々に想像し、多くの宗教が起こされています。しかし、アブラハムの子孫であるユダヤ人は、神の恵みによって早くから神の言葉(聖書)を授かっていましたので、神がどういう方で、どれほど人を愛し、どのように救いをなしてくださったかをはっきりと知っていました。神は、聖書と神の子であるイエス・キリストを通して自らをはっきりとあらわされたからでした(神の特殊啓示)。 
 世の中にはたくさんの神々が祭られていますが、その神々の教えが、まことに信じるに値するかどうかは、その神々がどのような救いを与えているかが問われます。例えば、商売繁盛、家内安全、無病息災などのこの世における御利益なのか、それとも全ての人間の問題である罪と死の解決である普遍的で永遠なものなのかであります。そしてそれらは単なる「理解した」という知識や単なる「ほっとした」という気持ちで終わらずに、神との出会う体験をもたらすかであります。キリスト教の中心は、神の独り子救い主イエス・キリストの十字架と復活です。それは全ての人間の罪と死の解決であり、永遠の救いであります。

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イースター講壇花

2022年04月17日 | 生花
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天のマナ

2022年04月10日 | 天のマナ
 「神の宣言を信仰をもって受け体験する」
 「誰が罪を赦してくれるのか」「誰が心をきよめてくれるのか」「誰が永遠の天国(神の国)に入れてくれるのか」。人間には、これらの本質的な根本的な魂の叫び、霊の飢え渇きがあり、これらに応えてくれる方をさがし求めています。どんな偉人や聖人と呼ばれている人にもこの応えはありません。応えられる唯一方は、神の独り子イエス・キリストであります。「あなたの罪は赦された」「わたしの心だ、きよくなれ」「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園(パラダイス)にいる」と主イエス・キリストは宣言されました。なぜ、イエス・キリストは、人の罪を赦し、人の心をきよめ、人を永遠の天国に入れることができるのでしょうか。それはイエス・キリストが神であり、十字架において贖いの代価(血、命)を払われ死なれ、三日目に死を打ち破り復活されたからです。この方がいなければ、すべての人は罪と死に捕らわれているままでした。それは文字通りの絶望です。しかし、「キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死なれたこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(Ⅰコリント1:3~4)は事実であり、ここに真の応え(解決と勝利)があるのです。希望に満ち溢れる神の宣言を、本日も信仰をもって受け入れ体験させていただきましょう。
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受難週の生花

2022年04月10日 | 生花
主の十字架を仰ぎます
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