静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2022年11月27日 | 天のマナ
 「心が温かくなるまで」
 先週のネット配信での全国信徒大会には、1000人以上が視聴し、主の恵みをいただきました。教団委員長がヨハネによる福音書15章から、大会テーマである「つながる」を取り次いで下さいました。「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(5)。「つながる」とは、まず、「あなたが私とつながっており、私の言葉があなたがたの内につどまっているならば」(7)とあるように、主イエスの言葉(聖書のみ言葉)を日々留めているということ、つまり日々のデボーションで聖書の一節を、心が温かくなるまで味わうことであるとで語られました。主の恵みの言葉を、何度も繰り返し繰り返し読み、その意味を考え、主に愛されていることを感じ、心が温かくなるということです。今日も明日もみ言葉によって、心温かくされましょう。
「父が私を愛されたように私もあなたがたを愛した。私の愛にとどまりなさい」(9)。
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天のマナ

2022年11月20日 | 天のマナ
「祈りの姿に見るクリスチャンの麗しさ」
 礼拝式にて礼拝をささげるひとりひとりの姿が、麗しいことは言うまでもありません。賛美する姿、心を合わせて祈る姿、ささげものをする姿です。その姿と共に、第二礼拝式の前後の時間の姿もとても麗しいです。そこにも主も愛し、隣人を愛する愛が溢れているからです。
第二礼拝式20分前(10:10a.m)には、5~6人がすでに席についており、週報に目を通
し、礼拝で歌われる聖歌を開き、説教の聖書箇所を読み、そして黙祷をささげおられます。主の前に出る備えをしておられ、主への敬虔さを深く感じます。まさしく主への愛があらわされています。
 第二礼拝式後、牧師は玄関で来られた方々に挨拶をしておりますが、幾人かの兄姉は近くに座っている方々に声をかけ、祈り励まし合っている姿を見ます。まさしく隣人を愛する愛があらわされています。
神を愛し、隣人を愛することにより、神の栄光をあらわすために造られた私たち、救われ
た私たち、ますます神を愛し、隣人を愛する者として歩んでまいりたいと願います。
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講壇の花

2022年11月20日 | 生花
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天のマナ

2022年11月13日 | 天のマナ
 「祈りの応えを体験する」
 先週のある会議ででひとりの牧師が、次のような証詞をしておりました。
新年から皆で「教会に新しい人が来られますように」と祈り始めました。祈り続ける中、一か月・・・二か月・・・三か月過ぎ、そして半年過ぎた時に一人の新来会者がありました。その方は今も熱心に神を求め求道しておられます。
という内容でした。祈っていないと祈りが応えられる主の恵みを経験できません。また、ただの言葉の羅列の祈りでは、応えられても気づきません。すでに天に召された姉妹ですが、その方は「祈りの手帳」をもっており、祈りの課題と祈りが応えられた日付がびっしりと書かれていました。大きな課題から小さな日常の課題までのひとつひとつの祈りを、主は聞いて下さり応えて下さる方なのです。今日から思いを込めて再び祈ってみませんか?「主はいつ応えてくださるのだろう。いつだろう」と、わくわくした期待を持って。
「何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピの信徒への手紙4章6節)。
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天のマナ

2022年11月06日 | 天のマナ
「雷の子が愛の子に」
 12弟子の内のヤコブとヨハネは兄弟でした。彼らは元漁師であり、とても気性が激しい性質でした。ある時、サマリヤに主イエスと弟子たちが来た時、町の人々は通り過ぎる主イエスらを歓迎しませんでした。ヤコブとヨハネはこれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を下し、彼らを焼き滅ぼすように言いましょうか」と言い、主イエスからお叱りを受けました(ルカ9:51~56)。このことも含めて、彼らはボアネルゲ(雷の子)と呼ばれていました(マルコ3:17)。
 しかし彼らは、3年間、主イエスの愛と忍耐の中で、主イエスの言葉を聞き、行動や姿を見、十字架と復活を見、その後にも聖霊に取り扱われ変えられました。主イエスと出会う前の彼らの激しい気性は、相手を攻撃することに表されていましたが、主イエスと出会ってからは、相手を愛することに表されていきました。彼らの気性はきよめられたのです。ヨハネの手紙を読むときに、彼は篤く「愛」を何度も語っています。
「私たちは、神が私たちに抱いておられる愛を知り、信じています。神は愛です。」(ヨハネの手紙一4章16節)。
「行いと真実とをもって愛そうではありませんか。」(3章18節)。
「愛する人たち、互いに愛し合いましょう」(4章7節)と。
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講壇生花

2022年11月06日 | 生花
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