静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年05月27日 | 説教要約
「聖霊に満たされた者達は」 使徒行伝2章1~13節

 本日はペンテコステ礼拝です。ペンテコステとは、聖霊なる神が主イエスの弟子達に降臨し、教会がスタートした日です。

Ⅰ 聖霊なる神の降臨
 主イエスの約束を信じて心を合わせて祈っていた弟子達のうちに、聖霊が降臨されたのでありました。弟子達は、聖霊に満たされ聖霊の賜物をいただきます。それは、宣教のための賜物で、世界中の国々に神の福音を伝えるために必要である言葉の賜物でした。

Ⅱ 聖霊なる神の働き
 聖霊は、主イエスの臨在を感じさせ、主イエスの救いの出来事をわからせ、信じる者の内に体験させるのであります。また、聖書の御言葉に隠されている神の奥義を私達に開いてくださるのです。そして、主の救いにあずかったキリスト者を主イエスの証人として立たせ用いるのです。

 主イエスを救い主と信じた時に、聖霊は信じる者の内に入って下さいます。聖霊を内にいただいている者は、それでおしまいではなく、日々、聖霊に満たされていきましょう。「聖霊様、今日も私を満たしてください」と朝毎に祈るのです。

2007年5月27日 説教者 杉本守
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5月27日 【天のマナ】

2007年05月27日 | 天のマナ
「主に導かれて置かれている教会」
 
今日はペンテコステ礼拝です。ペンテコステとは、主イエスが聖霊様をお遣わしになられ、教会がスタートした日です。

先日、牧師は成田教会で主の御用をしてまいりました。そこに一人の大学生が来ていました。彼女は成田教会の前任の牧師の娘さんです。親の転任で東村山に移りましたが、彼女は、「自分が主イエスによって導かれて置かれている教会は、成田教会である」という確信のもとに、以前は教会の二階の牧師館から下に降りるだけの30秒ほどでしたが、今では電車で片道二時間半かけて礼拝にやってきます。それも、教会学校の教師をしていますので、家を朝6時過ぎには出発し、9時までに来るのです。毎週、往復5時間、時間だけではなく労力も財も使うでしょう。彼女の内にある何がそれをさせているのでしょうか。それは、主イエスの命がけの愛を受けた者として、主イエスを愛する心と主イエスの体である教会を愛する心ではないでしょうか。どんなに成田教会の牧師と信徒さんは励まされているしょうか。主の導きを大切にしたいと願います。
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講壇の花

2007年05月27日 | 生花

2007年5月27日
担当 J・S姉

投稿 S・I

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主日礼拝説教要約

2007年05月24日 | 説教要約
「弱さの中にある者への励まし」   列王紀上 19章1~21節
 
Ⅰ 神に用いられたエリヤ
①神に用いられたエリヤ(17:1~18:46)
 列王紀上17章から北イスラエル王国アハブ王時代の預言者エリヤの」活躍が記されている:(17:1)アハブ王へ数年雨が降らないことを告知/(17:2~7)神がカラスに食べ物を運ばせエリヤを養われた/(17:8から16)ザレパテの未亡人宅でかめの粉が尽きず瓶の油が尽きない奇跡/(17:17~24)ザレパテの未亡人の息子のよみがえり/(18:1~46)バアル預言者との対決・大勝利
②逃げ出したエリヤ(19:1~4)
 バアルの預言者との対決&大勝利の直後あの華々しい大活躍の後なのに、怒り狂ったイゼベル王妃に命を狙われたエリヤは、恐れて自分の命を救うために逃げ出してしまった。(弱く人間臭いエリヤの姿を見る)そして「主よ、もはやじゅうぶんです」4節と、疲れ果て弱りきった言葉を言ってしまった

Ⅱ 神に励まされたエリヤ
①神に励まされたエリヤ
 疲れ果て眠ってしまったエリヤに御使いを二度遣わしてパンと水を食べさせて力づけ、神の山ホレブへと導かれた主は、暗く塞ぎ込んだ心得尾象徴するような洞窟に隠れていた彼に「主の前に出てきなさい」と命じられた。
 「第二のモーセ」と呼ばれながら執り成しをすることもなく、情けなく弱い姿をさらけ出すエリヤを呆れて見放すのでなく、静かな細い声で臨在をあらわして力づけ励まして下さり、新たな使命を与えて下さった。
②私たちを励まして下さる神さま
 モーセとエリヤは違った個性を持ち、使命を与えられ、励まされて用いられたように、神さまは私たち一人一人もそれぞれ違った個性を与えておられ、用い励まして下さる  
 
                  5月20日 説教者 杉本敬子
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5月20日 【天のマナ】

2007年05月23日 | 天のマナ
「人間を動かすものは」 

「昔は、権威や金で人は動く」と言われました。昭和以前くらいでしょうか、「父親、先生、上司の権威で人は動いた」と言われます。しかし、一般的に今はその権威もどこかへ行ってしまうほどのものとなっていて、権威ではなかなか人は動きません。
 
 バブルの時代には、人はお金で動いたのでありました。しかし、今はお金によって動くよりも、ほどほどの生活でのんびりしたいという風潮があります。権威やお金で人が動くことの限界をみるのです。

 それでは、どの時代も変わらなく人を動かすものは何でしょう。それは「愛」と「期待感」ではないでしょうか。「愛されている」ことを感じる時、人はその愛によってエネルギーをもらい、行動を起こすのです。そして「期待感」です。「何かが起こりそうでワクワクする」という気持ちであります。
 
 私達は毎週礼拝に参加し、神をほめたたえ、神の御心である御言葉をいただいています。この礼拝で私達は何を持っているでしょうか。今日も主の愛に満たされ、主が導いてくださる一週間期待をもって歩もうではありませんか。ワクワクしていきましょう。
 
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ・・・・」(ピリピ2:13)
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講壇の花

2007年05月20日 | 生花

アリストロメリア
Sさんの庭で咲きました。

2007年5月20日
投稿 S.I

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ゴスペルコンサート

2007年05月20日 | フォトギャラリー

Shizuoka Friennds Gospel Choirを迎えて
2007年5月20日

投稿 S.I

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主日礼拝説教要約

2007年05月13日 | 説教要約
「恐れないで信じる」マルコによる福音書4章35~41節

 主イエスと弟子達は、神の国を訪れさせる業を食をする暇もなく、なされていましたが、新たなる地へ向かうために、また、休息をとるためにも、その地を離れ、舟で向こう岸へ向かったのでありました。

Ⅰ 恐れを抱く人間
 ガリラヤ湖は、すり鉢状のように山々に囲まれていて、突然、山々を下さった突風が吹き荒れます。この湖で漁をしていた元漁師の弟子達でも、今回の嵐には恐れをいだきました。「わたしたちがおぼれ死んでもおかまいにならないのですか」というほどでした。その時、主イエスは舟の後ろで寝ていたのです。救い主主イエスも私たちと同じ肉体を持ち、お疲れになっていたのでした。弟子達は、その寝ている主イエスを見て、安心するのではなく、主イエスより嵐を見て恐れたのです。

Ⅱ 恐れを取り除く主イエス 
 主イエスは、弟子達に起こされて、風をしかり、海に向かって「静まれ、黙れ」とおっしゃいました。大自然を造り御手に治めている神の子イエスの権威により、あっという間に嵐はやんでおおなぎになったのでした。
 そうして主は、弟子達に「なぜ、そんなに怖がるか。どうして信仰がないのか」と言いったのでありました。あたかもそれは、『「わたしが向こう岸へ行こう』っと言ったからには、どんなことがあっても必ず行けるし、私が共にいるではないか。私がゆったりしているのに、『大丈夫だ』と思わないのかね」と言われたのです。

 嵐とは信仰生活の中で起きてくる試練や困難です。でも、あなたに主イエスが「行け」といわれて始めたことならば、どんな試練や困難が押し寄せてきても大丈夫です。主も共にいてくださり、御業を見せて下さるからです。

2007.513 説教者 杉本守牧師
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5月13日 【天のマナ】

2007年05月13日 | 天のマナ
「主の素晴しい奇跡を体験する喜び」 

「8年10ヶ月」「67,210,000円」、これらの数字は何だかご存知でしょうか?「もちろん知ってますよ」とか、少し考えてみて「そうでしたね」「感謝ですね」など、いろんな応えがかえってきそうです。この数字は、残された会堂返済の期間と金額です。私は、「ここまで来ましたか、もう一息ですね」という気持ちです。

主イエスが、水をぶどう酒に変えられたカナの婚礼の奇跡の時、主イエスに命じられて水瓶に水をいっぱい入れた僕たちは、大変な労でしたが、主イエスの奇跡を目の前で見、体験し、その業に加えられ奉仕できたことをどんなに喜んだかと思います。「水を汲みし僕は知っていた」とあります。しかし、料理がしらは、この最高のぶどう酒ができた過程を知りませんでしたので、ただ驚くだけでした。

毎月63万円の会堂返済。毎月毎月、私達は主イエスの奇跡を見させていただいています。そしてその主の奇跡の業に加えさせていただいていることはなんという喜びでしょうか。料理がしらではなく、僕であることに感謝いたします。
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講壇の花

2007年05月13日 | 生花

 

2007年5月13日
提供 M・T姉

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