静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2016年08月28日 | 天のマナ
「神の栄光を帰す」

 リオでのオリンピックが終わりました。サーカー(男性)で優勝し金メダルを獲ったのは、開催国ブラジルでした。そのチームのキャプテンを務めたのが、有名なネイマールでした。彼は、ドイツとの決勝戦に勝利し金メダルを受けた後、「100% Jesus(ジーザス)」という鉢巻をし、ひざまずいて空を指している自身の写真とともに、「全ての名誉と全ての栄光をあなた(神)に」という投稿をしています。彼は、福音派のクリスチャンとして育ち、2008年に洗礼を受け、イエス・キリストへの感謝を表現するために、子供のころから、この鉢巻をしているということです。ある時のインタビューでは、「何か決めるときには祈ることにしている。ぼくのキャリアは神に導かれている。」と語っています。(参照:ブラジル余話より)
私たちも、私たちに与えられた働きを精一杯果たしましょう。神様は必ず栄光をあらわして下さいます。
 「すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた。」(イザヤ書43章7節)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2016年08月21日 | 天のマナ
「教区サマーバイブルキャンプの恵み」                           
 先週、朝霧高原で教区のサマーバイブルキャンプ(幼児~小学生対象)があり、大人も含めて約50名が集いました。講師は琵琶湖教会の牧師先生でした。ペテロの生涯を通してメッセージを三回(波の上を歩くイエス様に助け出されたペテロ、裏切るペテロを造りかえるイエス様)語って下さいました。先生は、私たちの心を工場に例えて、絵にして語られました。「工場からは様々な製品が製造されるように、私たちの心からは様々なものが出て来る。優しい心からは優しい言葉が、きれいな心からは愛の行動が。しかし、心が罪に汚れていると、考える頭脳も語る口も見る目も聞く耳も動く手足も悪くなってしまい、神様が悲しまれること、自分を、隣人を痛めるものが出て来る」と。
 私たちはどうでしょうか?主イエス様によって、罪赦され、ますますきよめられ、私たちを通してイエス様の愛が、どんどん世に送られるような者とされていきたいのです。「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」(Ⅱコリント3:18)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2016年08月14日 | 天のマナ
「ユースジャムの恵み」                           
 
 先週、代々木で全国より、460名の青年たちが集まり、「Find you(あなたを見つける)、ローマ書12章1~2節」のテーマで3泊4日のユースジャムが行われ、グレースチャペルからも7名が参加して、主に見つけられ、主と出会い、クリスチャンの友と再会し、神の恵みをたくさん受けました。お祈りとサポートを感謝いたします。「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」(ローマ12:2)より、講師の水谷牧師を通して主から、「あなたはカメレオンクリスチャンですか?それともバタフライクリスチャンですか?」との問いがなされました。世の状況にあわせて自分をコロコロとかえていく者か、芋虫だけど蝶にかえられていく者なのか。ここの「造りかえられ」の言語の意味は、後者であります。芋虫からは想像ができない蝶の姿ですが、すでにその蝶になるための遺伝子は芋虫の内にあるのです。自分の力でバタフライクリスチャンになるのではありません。私たちは主イエスを信じた時、聖霊なる神が内に入って下さっています。この方によって、大いにかえられるのです。「主と同じ姿へに変えれていく」(第二コリント3:18)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2016年08月07日 | 天のマナ
 「冠を授かる者にふさわしく直向(ひたむき)に」
 
 オリンピックの時期になりますと、ニュースや新聞でクローズアップされるのは、メダルの数であります。メダルを獲ることは競技者も応援者も喜びであります。しかし、オリンピックはメダルの数だけではありません。競技者の今までの鍛練と試合での直向さ(一つの物事だけに心を向けているさま、忍耐強く、いちずに打ち込むさま)が、観る者に感動を与えるわけですから、いかに直向になしたかでも評価されるべきであります。競技者は競技を終えたなら胸を張ってもらいたいですし、私たち応援者、観覧者は惜しみない拍手を送りたいと思います。これがオリンピックの素晴らしさだと思います。
御国にて主イエスからクリスチャンが受ける冠は、義の冠(Ⅱテモテ4:8)、いのちの冠(黙示録2:10)、栄光の冠(Ⅰペテロ5:4)、朽ちない冠(Ⅰコリント9:25)です。なんと素晴らしいことでしょうか。それだけではありません。救われた者の直向な歩みをも知っていてくださる主イエスが、「良い忠実な僕よ、よくやった」(マタイ25:21)との言葉と共に冠を授けて下さるのです。私たちはこのことを喜びながら、ますますそれにふさわしい者としていただき、直向な信仰生活を歩んでまいりましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする