静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2017年08月27日 | 天のマナ
 「牧師研修会の恵み」 
 今回の牧師研修会のテーマは「私のケアー、教会のケアー」でした。後半では、現代社会の課題であり教会の課題でもある、「うつ、統合失調症、双極性障害、人格障害、発達障害、性同一性障害」などについて現状、聖書、事例を通して学びました。
 聖書の中にも「うつ」になった人が出てきます。有名な預言者エリヤです。列王記上18章において、エリヤは偶像との戦い(エリヤ対偶像の神の預言者850人)で大勝利を得ました。しかし、その後、19章でうつになります。アハブ王の異教徒の妻イゼベルに命を狙われました。そして、今後の戦いにも勝利し続けなければならないことを考えると重荷となりました。彼は疲れ恐れて逃げ去り、自分の死を求めて、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命をとってください。」と祈ります。神はそうした彼に、尻を叩くのではなく、まずは豊かな支えとなります。天使を遣わし、パンと水、睡眠を与えます。彼は食い飲み寝て、少しだけ歩きます。これを40日間続けたのです。彼は元気になり後継者を育てる新しい使命をいただきます。「うつ」になった時は、本人も周りもあせらず、食べ飲み、寝て、すこしの運動をして、イエス様の懐で休息を十分にとることです。
 「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもといきなさい。」(マタイ11:28)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2017年08月20日 | 天のマナ
「キリストはわたしたちの平和であって」      

 先週、中国教区のキャンプが広島で開かれ、牧師夫妻で御用に行ってまいりました。全員で18名(小学生7名、高校生1名)のキャンプでしたが、楽しくそしてみ言葉をしっかり聴き、信仰の応答がなされていました。お祈りを感謝いたします。初日(15日で終戦記念日)は少し早く着いたので、キャンプ場から20分の所にある、原爆ドーム、平和記念公園、原爆資料館を見学いたしました。今年の3月には長崎の原爆資料館も観させていただきました。終戦記念日ということもあり、日本人だけではなく海外の方々も大勢来られていて、資料館では、展示されている資料の周りには幾重にも人の列があり、遠くからしか資料をみることができないほどでした。それらの資料から、見学する一人一人はどのような語りかけを受け、どのようなことを思ったのでしょうか。私自身も、「戦争と平和」について、今も問われ続け考え続け、キリストを見続けている者であります。
 「それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。」(エペソ2:15、16)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2017年08月13日 | 天のマナ
 「サマー・バイブル・キャンプ」

 先週の8日(火)~10日(木)朝霧高原で教区のサマー・バイブル・キャンプがもたれました。幼児から子供たち25名、大人は20名のキャンプで、上野教会の牧師が講師でした。テーマは「イエス様の救いはパーフェクト」で、三回メッセージをいただきました。神様にどんなに愛されているかを語って下さいました。最後の日には、子供たちが楽しかったことやお話を聞いて決心したこと、祈ったことを話してくれました。「イエス様を救い主と信じました」「洗礼を受けたいです」「イエス様のために奉仕をします」など、純粋にイエス様の愛に応えている子供達の信仰の姿勢は、教えられることが多いです。グループの発表では、イエス様の愛と救いをスキット(寸劇)にしたグループもあり、たどたどしい演技と台詞にも感動をおぼえました。子供たちの成長を祈りました。「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。」(マタイ18:3)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2017年08月06日 | 天のマナ
「平和を考える」 「キリストはわたしたちの平和であって」(エペソ2:14)
 
8月は、広島と長崎の原爆の日があり、終戦記念日もあります。他の日よりも「平和」について考える月であります。現代も朝鮮半島の平和と有事について、多く語られています。「なぜキリスト教を背景にもつ国が、戦争をするの?」「主イエスは『あなたの敵を愛しなさい(マタイ5:44)』と教えたはずなのに、矛盾を感じないのか」と問われます。歴史を通して教会において二つの考え方があります。一つは非戦論、もう一つは義戦論です。初期の教会は、絶対的平和主義で非戦論の立場でした。四世紀頃、無実な市民を悪しき敵の勢力から守る目的で、厳しい条件付き(詳しくは学び会で)の戦争容認をする「正義の戦争論」がでてきたのです。これは、皇帝や将軍が横暴に侵略する戦争を止めようとする目的もありました。この思想は、現代でも国際法や国連の諸活動に適応され、戦争抑制のために機能しています。しかし、歴史を見ると、一度小さく容認した戦争への道が拡大解釈されて、本来の目的をそれ、悲劇を生んできたのです。(教団リバイバル参照)
 今でも、「非戦論」と「義戦論」とがあります。聖書に返り、この時、各自で考えてみましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする