静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教

2009年11月29日 | 説教要約
「キリストによって新しくされる」 コリント人への第二の手紙5章17節
 
 本日は伝道礼拝です。求道者の方々が見えられていることを感謝します。
 共に主なる神の言葉に聴き入りましょう。

Ⅰ 新しくされる
 私達は人生の中で、一度や二度、「人生をやり直したい」とか「新しい人生を歩みたい」とか思ったことがあるのではないでしょうか。主なる神は、あなたの人生を新しくされる方であります。
 ここでの新しくとは、もう一度母の胎内からやり直すことではなく、あなたの魂が、あなたの霊が新しくされることであります。それは、神から離れ罪の中にいたあなたが赦され、神との生き生きとした交わりが回復し、神の霊のいのちがあなたに流れ込み、神と共に歩む人生へと生まれ変わることであります。

Ⅱ 新しくされる方法
 では、どうしたら新しくされるのでしょうか。それは、「キリストにあるならば」であります。自分の罪を悔い改め、キリストを救い主と信じて、キリストとの人格的な交わり(信じ、祈り、聖書に生きる)を持つ時に、新しくされるのです。なぜなら、キリストは十字架であなたが神に立ち返るように、救いを成し遂げられたからです。

 あなたは、主イエスを信じるときに全く新しい者とされるのです。
 主イエスを信じて神の救いにあずかりましょう。

2009/11/29 説教者 杉本守
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天のマナ

2009年11月29日 | 天のマナ
「神が人を造られた目的」

 リック・ウォーレン師の「人生の五つの目的」という書籍の中に次のような箇所があります。

 人は生きていく時に三つの基本的な問いにぶつかります。第一は、アイデンティティの問いです。つまり、「私は誰なのか」というものです。第二は、自らの価値への問いです。つまり、「私には価値があるのか」というものです。第三は、関係への問いです。つまり、「私は必要とされているのか」というものです。

 これらの問いに対する答えはすべて、神が人間を造られた目的の中に見出されます。(1)あなたは神の喜びのために造られた。(2)あなたは神の家族となるために造られた。(3)あなたはキリストのようになるために造られた。(4)あなたは神に仕えるために造られた。(5)あなたは使命のために造られた。
 私達は、自分の計画ではなく、神があなたの人生に持っておられる目的に注目することによって、その答えを見出します。

  「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」
                          (箴言19章21節)
2009/11/29
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講壇の花

2009年11月29日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2009年11月22日 | 説教要約
「私の心の目を開いてください」 詩篇13編1~6節


Ⅰ 苦難の中で主を仰ぎ見る
 ダビデは苦難の中にありました。「いつまでですか」を繰り返すことに、時間の長さとどこまでも広がる苦難を受けている自らに、主の関心が向けられるようにと訴えています。そして自らの心の目も開かれて、暗闇にではなく、主の御顔に目を留め、輝かせてくださいと叫んだのです。

Ⅱ 信仰の勝利
 5節からは、祈りの中で主に触れられたダビデが、心の目を開かれて、主を見させていただき、孤独な思いわずらいから解放され、確信と賛美をもって告白していることがわかります。神が豊かにダビデを扱い、熟されたのであります。

 信仰が揺さぶられる試練の中で、神の恵みと真実を信じて歩むとき、信仰から信仰へと成熟させられていくのです。私達のすることは、主を見上げ、主によって目を開かせていただくことであります。

2009/11/22 説教者 杉本守
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天のマナ

2009年11月22日 | 天のマナ
 「聖霊の働きにおける動と静」(韓国ツアーの恵み④)
 
 聖霊なる神の働きは様々でありますが、幾つか挙げて見ますと、①「主イエスこそ救い主であることを証しし、人間に罪を認めさせ悔い改めに導き、イエスを救い主と信じ告白させる」②「主イエスを救い主と信じる者に救いを付与する」③「救った者を主イエスに似る者とする」(御霊の賜物と御霊の実)、④「救った者の永遠の命の保証となり、神の国へ導く」ことであります。

 韓国と日本において③における聖霊の働きの受け止め方の差が違うことに気がつかされました。街や気質だけではなく、韓国クリスチャンの方々の信仰も、おおむね非常に活気があり動的であります。祈り、賛美、宣教活動、教会形成、教会建設とどれも行動的であります。聖霊なる神が御霊の賜物を豊かに注ぎ、生き生きと一人一人がその賜物を用いています。
 日本のクリスチャンの方々の信仰は、おおむね穏やかで忠実、困難な日本の地にあって忍耐強く静的であるかと思います。聖霊なる神は、御霊の実を豊かに実らせて下さっています。
 どちらかではなく、どちらとも必要であります。ですから、私達は、なお土台である御霊の実を結びつつ、御霊の賜物を韓国の方々のように動的にも受け留め、その恵みも受けたいのです。
「これは霊なる主の働きによるのである。」(第一コリント3:18)

2009/11/22
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講壇の花

2009年11月22日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2009年11月15日 | 説教要約
「愛における完全」 マタイによる福音書5章38~58節

本日は、愛におけるキリスト者の義について、この箇所からみていきましょう。

Ⅰ 消極的な規定
 「目には目を歯には歯を」とは有名な旧約聖書の言葉(出エジプト記21:24)です。これは、「目をやられたらその報復として目をやってよろしい」という当然の権利を保障した戒めではありません。これは、その当時、目をやられたら、その報復として2倍3倍にもなされていた行為とその拡大的連鎖を防ぐために、受けた被害と同等なもので留めなさいとした消極的な戒めでありました。
 また、当時のユダヤ人は、「隣人を愛せよ」との戒めの「隣人」を、ユダヤ人だけとし、それ以外の異邦人は敵で、愛するのではなく憎めとしていたのです。

Ⅱ 積極的な愛による業
 しかし、主イエスは、キリスト者の義は、それに勝るものでなければいけないと言い、積極的な愛を示されたのです。それは、善をもって悪に勝つこと、敵を愛し迫害する者のために祈ることです。なぜなら、父なる神が、どんな者にも恵を施し、主イエスも迫害するものを含めたすべての者のために十字架にかかられたのです。だから、神の子なるクリスチャン達も、そうあるべきなのです。
 それこそが、愛における完全な者としてのクリスチャンであります。

 私達の力では愛ではそれはできません。主イエスの愛をいただいて、そういう者とならせていただきましょう。

2009/11/15 説教者 杉本守
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天のマナ

2009年11月15日 | 天のマナ
「ホーリネス(聖潔、きよめ)の恵み」(韓国ツアーの恵み③) 

 今回は韓国聖潔教団と日本ホーリネス教団の歴史を少し記させていただきます。

 旅の二日目の午後、私達は、韓国聖潔教団最初の神学校と現在の神学校であるソウル神学大学を訪問しました。現在の韓国聖潔教団の教会数は3000教会以上、私達の日本ホーリネス教団の約170教会をはるかに越えています。私達の教団の信徒数は約1万人でありますが、韓国聖潔教団は60万人以上です。韓国においてホーリネスの恵みが広がり、驚くべき神の御業がなされています。

 さらに、この韓国聖潔教団の歴史を知りますと驚きます。それは、約100年前に、韓国の二人の牧師が、日本ホーリネス教団の聖書学院に留学し、ホーリネスの恵を受けたことから始まっていたのです。主なる神によってホーリネスの恵みが、私達の教団から韓国を始め、北米、ブラジル、台湾、フィリピンへ流れていったのでした。

 ですから、私達は高ぶる意味ではなく、良い意味での誇りを持ち、神に感謝をささげ、韓国聖潔教団のようにさらにこの日本の地で、主のホーリネスの恵を広げていきたいのです。
「心の清い人たちは、さいわいである。彼らは神を見るであろう」(マタイ5:8)

2009/11/15

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講壇の花

2009年11月15日 | 生花
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主日説教要約

2009年11月08日 | 説教要約
「神のきよき言葉によって生かされる」詩篇12篇1~8節

 私達人間は、言葉によって生き、言葉によって生かされるといって良いほど、言葉を使い、また言葉の影響を受けています。この詩篇の主題は、「言葉」であり、人の言葉と神の言葉の違いが述べられています。

Ⅰ 人間の言葉の限界
 言葉を制することは、非常に難しいものであります。私達の日常の言葉を拾っていったら、相手を生かす言葉よりも、相手を生かさないことばか多いのではないでしょうか。
 この著者も、人の言葉は、へつらい、二心による二枚舌、傲慢な言葉が溢れていると記しています。その言葉が、神を畏れ忠誠を尽くしている信者にも、影響を与えていることに対して、主よ、お救い下さいと訴えているのです。

Ⅱ 人を生かす神の言葉
 それに対して、主は立ち上がって、主のきよき言葉によって、神を信じ畏れる者達を守られると語られています。変わらない神の言葉は人を生かし、神のことばに従う生活をする者を豊かに祝福されるからであります。

 神によって、私達の口の言葉をきよめていただき、人を生かす言葉を語りたいのです。

2009・11・8 説教者 杉本守
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