静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2012年08月26日 | 説教要約

「勇ましく働け」 詩篇60篇1~12節

 この詩篇は、神にではなく我力に信頼した傲慢を悔い改めた祈りであります。

Ⅰ 空回りな働き

 この詩篇の背景は、第二サムエル記8章、第一歴代誌18章と言われています。ダビデと周囲の国々との戦いの時代です。表題によると詩人は、北方で戦いを進めておりましたが、なんとそのすきに南東よりエドムが攻撃してきて、一時的な敗北を受けるのです。神から見捨てられたような敗戦を詩人は感じています。その敗戦は、連戦連勝の中で慢心となり、我力に信頼した結果であったのではないでしょうか。

Ⅱ 神による働き

 神への呼ばわりを詩人はいたします。そこには悔い改めと信仰があらわされています(11~12)。そして彼は、「戦いの勝利は神による」との信仰を改めて言い表し、われらは神によって勇ましく働くことを告白したのです。

 いつも主の前にへりくだり、主によって働くことに勇ましくありたいのです。

2012/8/26 説教者 杉本守

 

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天のマナ

2012年08月26日 | 天のマナ

 「ユースジャムの恵み②」  「だれかが、手びきをしてくれなければ」(使徒8:31)

 ユースジャムで受けた恵みを、第二礼拝の後に参加した兄姉が、語って下さいました。

 その中の一人の姉妹が次のように話してくれました。それは、「手引きしてくれる人を待っている友人がいるので、ピリポさんがエチオピアの宦官を神のもとに手引きしたように、その友人を手引きしたい」という内容でした。

 この社会で、神を知らずに多くの方々が迷っています。悩み痛んでいます。絶望の中で死を考えている人も多くいます。彼らは、「だれかが、手びきしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と神のもとに手引きしてくれる人を待っています。主イエスの十字架と復活による救いの福音をひたすらに待っています。

 この秋は、私たちは主イエスの力により、手びきする者として用いられましょう。

2012/8/26

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講壇の花

2012年08月26日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2012年08月19日 | 説教要約

「人が造られた目的」 マタイによる福音書22章34~40節

 神が人を造られた目的は何でしょうか?神は人間を奴隷やロボットとして造られたのではありません。神は人を愛の対象として造られ、神の栄光をあらわす者として造られました。それでは、どんな時にわたしたちは神の栄光をあらわすのでしょうか。

Ⅰ 神を愛する時

 主イエスは、「どの戒めが一番大切か」と問われたとき、まず、「心を尽くして、思いを尽くして、知力を尽くしてあなたの神を愛せよ」といわれました。神との関係がしっかりし豊かである時に、神の栄光があらわれるのです。私たちは、神を愛しています。それは心を思いを知力を尽くしてでしょうか?礼拝が、小グループが、デボーションがそうありたいのです。

Ⅱ 自分を愛するように自分の隣り人を愛する時

  神との関係がしっかり豊かなものであるならば、神の愛によって自分を受け入れ愛することができます。そして、自分を愛するように隣り人を愛せるようになれるのです。すべては神との関係によるのです。

 神を愛し、自分を愛するように隣り人を愛する時、神の栄光があらわれ、私たちは平安を持ち満たされるのです。

2012/8/19 説教者 杉本守

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天のマナ

2012年08月19日 | 天のマナ

「ユースジャムの恵み①」  「だれかが、手びきをしてくれなければ」(使徒8:31)

  三日目朝の恵みの集会で、矢板教会の牧師が、以下のようなエピソードを語ってくださいました。

 「盲人である私は、盲導犬と共に散歩をしていました。盲導犬は、危険があると私の前に自分の身を出して、私を守ります。四つ角を進もうとした時、突然車が曲がってきました。盲導犬は車と私の間にさっと入るのです。ある時、目の前に落ちる段差があり先には田んぼ、私はわからずに盲導犬に「前へ」と命令しましたが、盲導犬は動きません。何度命令しても動きません。おかしいなと思いつつ、私は前に進みたいのだと踏み込んだ瞬間、田んぼへ落ちたのです。落ちる前に止めようとした盲導犬の顔を蹴った感触があったのです。田んぼからあがったとき、盲導犬はよかったと言わんばかりに、私の周りをぐるぐる回っていました。」 

 この話を聞いて、私にとって盲導犬はイエス様だと。なんと私は愚かで、イエス様に失礼なことをしてきたことか。それなのに愛し続けてくださるイエス様の愛の深さにうたれ祈りをささげました。

 2012/8/19

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講壇の花

2012年08月19日 | 生花
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天のマナ

2012年08月12日 | 天のマナ

「サマーバイブルキャンプの恵み」  

  浜北にある静岡県立森林公園森の家で教区サマーバイブルキャンプが持たれました。そこで素晴らしい賛美を通して神様と出会い、神様の恵みを受けました。この曲は講師の牧師が持ってきてくれた曲で、この歌詞を記します。

 「周りの人が君のこと(ぼくのこと)をどう思うかはそんなに問題じゃないよ

   それよりもイエス様が君のこと(ぼくのこと)をどう思うかがずっと大事

      イエス様は愛してる 君のこと(ぼくのこと)を  深く

      イエス様は愛してる 君のこと(ぼくのこと)を いつも」

 

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主日礼拝説教要約

2012年08月12日 | 説教要約

「神をほめ歌う」 詩篇59篇1~17節

 ダビデほど、「神を呼ばわること、神に叫ぶこと」を多くした人はいないのではないでしょうか。神を呼ぶことのプロであります。

Ⅰ 神に叫ぶ

 この詩人の置かれている状況は、決して賛美できる状況ではありません。しかし、彼はその中で、神へ叫ぶことをやめませんでした。「助け出し、守り、お救い下さい」と。

Ⅱ 神をほめたたえる

 しかし、神の懐の中で、彼は叫びで終わるのではなく、叫びは賛美にかえられています。神に思いを向ける中で、神を待つこと、神に期待することが最善であり、神における信仰により、先取りの賛美となっていったのです。

 どんな時にも主を呼び求め、賛美をささげる者として歩みたいのです。

2012/8/12 説教者 杉本守

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講壇の花

2012年08月12日 | 生花
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天のマナ

2012年08月05日 | 天のマナ

 「神の栄光があらわされるため」

 「人生の目的は何でしょう?神は何の目的のために人を造られたのでしょうか?神はなんのために私たちを生かしておられるのでしょうか?」。神が人を造られた目的は、神が人を通して神の栄光をあらわすためです。神の栄光は、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する時にあらわされます。

どのような手段で、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛していくのでしょうか。その手段は一人一人それぞれであります。ある方はスポーツで、ある方は音楽で、さらには絵、書道などなど、また職務を通してであります。時に手段は変わっていっても良いのであります。しかし、これらの手段を目的にしてはいけません。たとえば、金メダルを取ることを目的にしてしまいますと、取れなかった時に目的を失い、それまでの労は無駄になったかのように感じます。また取れても、「次の目的は」とインタビューですぐにたたみ掛けられます。これは手段を目的にしているからであり、自分は常に揺さぶられます。

 神の栄光があらわれることを目的にしている者は、努力の結果、金メダルを取れても取れなくても、その中で神の栄光があらわされていれば、それは平安と満足を得るのです。「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」(第一コリント10章31節)。

2012/8/5

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