静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2014年09月28日 | 説教要約
「良きもので満たして下さる神」 詩編103篇1~22節
 
「あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。」(詩篇103篇5節)

 この詩篇には、神への嘆願はなく、神の恵み対する感謝の賛美で詰まっています。
 1~5節は、個人的な祝福に対する感謝の賛美であり、6~18節は、民族的な祝福に対する感謝の賛美、19~22節は、全宇宙の賛美であります。

Ⅰ 神の恵み
 主なる神への賛美を全身全霊でささげているこの詩人は、その理由も示しています。それは、神の豊かな恵みであります。「そのすべての恵みを心にとめよ」(新改訳:「主がよくしてくださったことを何一つ忘れるな」)とあります。「忘れるな」は、記憶の薄れによるものでなく、意図的な軽視への警鐘であります。罪の赦され、病の癒され、永遠のいのちを与えられ、この地上でも良きもので満たして下さっている神、その恵みを軽視してはいけません。

Ⅱ 神の恵みによって
 主なる神のこれらの恵みによって、わたしたちは常に霊肉共に若返ることができます。
わしが羽換えをするように、主は私たちの翼を常に新しくしてくださっているのです。わしのように高く舞うのです。

 個人、教会、全宇宙に神の恵みは溢れています。その恵みを日々に受けていきましょう。

2014/9/28 説教者 杉本守
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天のマナ

2014年09月28日 | 天のマナ
 「永遠を生きているクリスチャン」

 世の人とクリスチャンの人生観の違いはなんでしょうか。
 世の人は、①自分の栄光のために②地上での80~100年の生涯という尺度で物事を考え歩んでいます。ですから、自分のこと地上のことがすべてで、自分がこの地上でどう得られるかであります。
 しかし、クリスチャンは、①神の栄光のために②永遠という尺度で物事を考え、すでに永遠を歩んでいます。クリスチャンにとっては、この地上での80~100年は永遠の歩みの踏み出しの一歩にすぎません。
 モーセは、荒野の40年、神の民を導きましたが、自分は約束の地を見ましたが、入ることは許されませんでした。世の人は、折角導いたのに、その結果を得る事が出来なかったと失敗のように考えます。それは上記に示した考えがあるからです。しかし、神を信じていたモーセの考え方はクリスチャンの考え方でした。それは、神の栄光のために使命を果たせた喜び、天に召され、永遠の御国を受け継ぎ、天にて神と共に歩める幸いを噛みしめていたのです。
 2014.9.28
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講壇の花

2014年09月28日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2014年09月21日 | 説教要約
「聖霊なる神に満たされる喜びと平安」(使徒行伝19章1~7節) 

「そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。」 (使徒行伝19章6節)

 第三伝道旅行が使徒行伝18:23~始まり、パウロはエペソの地にいました。そこでアポロによって導かれた12名のものたちと出会いました。

Ⅰ 聖霊による満たし
 雄弁で主の道に通じており霊に燃えていたアポロとその弟子たちでありましたが、ヨハネのバブテスマ(悔い改めて救い主を待ち望むもの)しか知りませんでした。そこでプリスキラとアクラがアポロに語りました。また、パウロはその12弟子に、イエスの名によるバブテスマ(義認、神の子とされる、新生)を授けました。さらに、パウロが彼らの上に手を置くと彼らに聖霊がくだり、聖霊の賜物を受けたのでした。

Ⅱ 聖霊の満たしのよるきよめ
 聖霊が彼らにくだった時、ここで彼らが受けた賜物は、異言と預言でありました。第一コリント12~14章には、多くの聖霊による賜物が記されています。その中でも欠かしてはいけない賜物は愛であります。この愛は、きよめを受けなければ得られません。聖霊の火の中を自我が通されなければ、全き愛はわいてきません。聖霊を受けるとは、きよめられるということであります。彼らは、きよめられ賜物を用いていきました。

 わたしたちは聖霊を受け、聖霊に満たされ続けているだろうか。聖霊によって今日も心を満たされ、喜びと平安をもって歩んでいきましょう。

2014・9・21 説教者 杉本守

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天のマナ

2014年09月21日 | 天のマナ
「神の栄光があらわれる」
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ人への手紙8章28節)。これは、私達クリスチャンの大好きなみ言葉であります。その意味をもう一度味わってみましょう。
 私たちは、個人、小グループ、教会、いずれにかかわらず、困難に遭います。しかし、それらのこともここでの万事に含まれます。神は神を愛する私達クリスチャン、神のご計画に従って召された私達クリスチャンと共にいて下さることはもちろん、私達の働きを横で見ているのではなく、ご一緒に働いて下さり、万事に含まれている困難さえも益にして下さっているのです。私達クリスチャンはそれを体験的に知っているのです。ですから、私達は、これからも祈りつつ働きをなしながら、どんなに主のわざが人知を超えたものであるかを楽しみに待つのです。主はすでに働かれているのですから。

2014/9/21
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講壇の花

2014年09月21日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2014年09月14日 | 説教要約
「人生の土台を変わらない神に置く」(詩篇102篇12~28節)

「しかし、あなたは変わることなく、あなたのよわいは終わることがありません。」(詩篇102篇27節)

 バビロン捕囚の地で、祖国、シオンの債権を願う詩人の思いが描かれています。

Ⅰ 代々に至る永遠の神
 詩人は悩みの中にありました。それは祖国の回復を願いながらも、時は過ぎ自らは弱っていくのです。もしかしたら、その日を見れないからもしれないとの思いです。そこで、彼は自分は過ぎ去るものだけれども、神は永遠の方であり、その名はよろず代に及び必ず神の栄光をあらわして下さるとの祈りが続きます。

Ⅱ この神を人生の土台にする

 わたしたちは、自分がすべて見なければ気が済まないということがないでしょうか。彼は、自分の時にこだわりませんでした。主の栄光を次の世代が見ることができるように、この神の真実の約束を書きしるし告白し続けますとの祈りをしました。この信仰は、彼が信じていた神は変わらずに約束をなす方であり、彼はその神を人生の土台にしていたのであります。

 わたしたちは、主の真実な約束を信じて、どんな時も祈りと宣教をやめてはいけないのです。継続していく時に、自らも子孫も主のわざを見ることができるからです。

2014.9.14 説教者 杉本守

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天のマナ

2014年09月14日 | 天のマナ
「心に蓄えられているものが出てくる」
 
 先々週と先週の木曜日午前の祈祷会の後、数人の姉妹たちとある兄弟、ある姉妹を訪問いたしました。兄は目をつむったままあまり反応をなされません。姉は、はっきりと話されますが、それも片言で通常の会話はスムーズにできません。
 しかし、こういう時こそ、心に蓄えられているものがあらわれてきます。クリスチャンにとってそれは、み言葉であり賛美であります。私たちが賛美を歌いだしますと、兄も口を動かしましたし、姉は自ら賛美をリードして下さいました。主の臨在を感じる厳かな時でした。
 私たちは何を心に蓄えているでしょうか。何に時間をかけているでしょうか。世の物事でしょうか。それらは過ぎ去るもので私たちの魂を支えきれません。私たちの魂を活かし満たし、どんな状況でも支えるのは、み言葉と賛美であります。
「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。中略。詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。」(コロサイ3:16)

2014/9/14
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講壇の花

2014年09月14日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2014年09月07日 | 説教要約
「キリストに仕える同労者の輝き」(使徒行伝18章1~11節)

「彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首さえ差し出してくれたのである。彼らに対しては、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会も、感謝している。」(ローマ人への手紙16章4節)

 シラスをピリピにテモテをテサロニケに遣わしたパウロは、アテネでの伝道を終えコリントにきました。

Ⅰ 主の器の意気消沈
 アテネでの宣教の成果が期待通りでなかったので、。¥Ⅰコリント2:3にもあるようにパウロは意気消沈していました。アテネでの結果は、次の宣教への意欲を駆り立てるものではなかったのでした。大宣教をしている主の器であるパウロも時には弱さを感じていたのです。

Ⅱ 主の器を支えた同労者
 そんなパウロを支えるように、主はプリスキラとアクラをローマから不思議な方法をもって呼び出したのです。彼らは、パウロと共に天幕造りをしながら、パウロを支えました。そして主は、シラスとテモテを良き報告とともに戻し、パウロはフルタイム伝道をするようになりました。さらに主は、御言葉をもって彼を励まします。「恐れるな、語り続けよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている。」と。パウロらは一年六か月福音を伝えました。

 信仰生涯や伝道生涯、意気消沈することもありますが、同労者としてお互いを支え合い、主の御言葉に立ち宣教し続けていきましょう。

2014.9.7 説教者 杉本守
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