静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2008年08月31日 | 説教要約
「あなたを新しくする方」 第二コリント5章17節

 誰もが過去の重荷、傷、過ちを持って歩んでいます。新しくなれたらどんなに嬉しいかと望んでいます。あなたを新しくしてくださる方がいらっしゃいます。その方を紹介させていただきます。

Ⅰ 新しくなるとは
 聖書は、「誰もが新しくされる」と語っています。子供も大人もお年よりも、どこの国の人でも、どんな職の人でもです。
 「新しくなる」とは、表面だけが変わるのではありません。気持ちの変化とか価値観の変化と考え方が変わったとか、そういうものではありません。「新しくなる」とは、本質の変化です。生まれ変わると表現するのが的を得ています。自分の本質が新しくされるのです。過去の過ち、罪、罪過、心の傷、自己中心そのものであった自分が、赦され癒されきよくされ、神に従って生きる者に変えられることであります。全く新しくされるのです。
 「古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなった」

Ⅱ 新しくなる方法
 では、どうしたら新しくなれるのでしょうか。生まれ変われるのでしょうか。
それは、「誰でもキリストにあるならば」です。それは、キリストと交わる時、命の結びつきであります。具体的に言いますと、主イエスを自らの救い主と信じ、告白し、罪を悔い改め、主イエスの十字架が自分の罪の身代わりと信じることです。

 ニコデモに主イエスは、「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われました。「新しく生まれる」とは、「水と霊とから」、それは、上よりのもの、つまり神によって生まれさせられ、新しくされるのです。

 新しくされようではありませんか。新しくされた者は、主イエスに在り続け、喜び歩もうではりませんか。

2008/8/31 説教者 杉本守
 
 

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天のマナ

2008年08月31日 | 天のマナ
 「先を見て育てる」 

 夏のキャンプや東海ブロック研修会などで、1年ぶり、2年ぶり、数年ぶりに会う子供達を見ますと、身体的成長はもちろん、精神的、人格的、霊的な成長を見てびっくりします。昨年まで、小さかった体が大きくなり、世話を受けるだけだった子供が、お兄さんお姉さんになって、下の子の面倒を見ていたり、グループリーダーを引き受けてくれたり、祈りを自らの言葉でしていたりと、驚きと共に嬉しさを持ちました。日々の成長はなかなか目には見えなく、育てる方は苦労をいたしますが、忍耐をもって育てていく時に、月日を重ねていく時に、子供達は確実に成長していくのです。

 育てる側に必要なのは、希望と忍耐と信頼であるのではないでしょうか。目の前の一時的な事で一喜一憂せずに、その子の5年先、10年先、20年先を見て、その子を信頼し、それ以上に、その子にしかできない使命をその子に託し歩ませている主なる神を信じ、希望と忍耐を持って育て続けるのです。幼虫やさなぎのように見えても、蝶が蝶であるように、その子は神に愛され、主イエスの命が払われた尊い存在なのです。

 育てる経験を通して、育てる私達も育てられていきたいのです。
 
 「希望は失望に終わることはない。」(ローマ人への手紙5章5節)

2008/8/31
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講壇の花

2008年08月31日 | 生花

掲載者:岩崎 

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主日礼拝説教要約

2008年08月24日 | 説教要約
「神に憶えられている者」使徒行伝9章32~43節

 使徒ペテロは、地中海の沿岸の町ヨッパへ宣教にいきました。そこには、ドルカスという女弟子がいたのです。

Ⅰ 救われた者の姿
 ドルカスは、キリスト者の生活を喜び、主イエスへの愛のあらわれとして、数々の良い働きと施しをしていました。特にやもめたちに、手作りの上着や下着の数々をあげていたのでした。
 そのドルカスも病にかかり、死を迎えます。彼女の使命が終えたからです。人々は悲しみ、ペテロにその心の中を訴えるのでした。

Ⅱ 神の御業をなす主イエス
 命は主なる神が握っています。神は命を与え、使命を終えた人の命をお取りになる方です。主なる神は、この時、新たな使命を彼女に与え、ペテロを通して、神の奇跡を見せるのでした。彼女は、命を与えられ、生き返り、新たなな使命に生きます。
 
 救われた者が、喜びをもって、自分の与えられた賜物を生かし、大小にかかわらず使命を果たしていく時、主はその働きをおぼえ、御業を進めるのです。

2008/8/24 説教者 杉本守
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講壇の花

2008年08月24日 | 生花

掲載者:岩崎 

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天のマナ

2008年08月24日 | 天のマナ
 「休ませてあげよう」
 
 主なる神は、天地創造を6日間でなされ、7日目を祝福の日、聖別の日、休みの日にされたのでありました。もちろん、主なる神は疲れることはありませんが、私達人間のためにその日を設け、聖別し、祝福し定められたのでした。

 私達は、人生の歩みの中で、重荷を負って歩んでいます。精一杯の6日間の歩みをしたならば、7日目はゆっくりと腰を下ろし、心を静め、穏やかな思いで主なる神のもとに自らを置くことが必要なのです。疲れた体を休め、痛んだ心身を癒され、負ってきた重荷を降ろし、からみついた罪をゆるされ解き放たれるのです。

 サマーキャンプのテーマは、「心も体もリフレッシュ」でした。神が造られた自然界を通して、命の神の言葉(聖書)を通して、一人一人がリフレッシュされたことを感謝しています。

 また、先週は牧師休暇をいただきました。遠方には出かけずに、静岡に残り、家族5人でのんびり過ごさせていただきました。1日目は家族で外食、二日目は家族でカラオケ、三日目は家族で映画と楽しい時でした。「あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11章28節)という御言葉が心に響きます。

2008/8/24
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天のマナ

2008年08月17日 | 天のマナ
 「すぐ近くに」
 
 先週三つのキャンプが持たれました。牧師は、大島泉の家で持たれたサマーファミリーキャンプで、神の言葉を三回取りつぎました。小学生から43歳まで21名の参加でした。それぞれの課題や求めを主イエスは知っておられ、罪を赦し救い、心の傷を癒し、御心をあらわし進むべき道を示されました。

 オリンピックの選手のように、私達は人生という競技をしています。各コーチは、選手にあつい眼差しを注ぎ、選手と同じ思いを持って戦っています。まさしく選手のすぐ近くにいます。キャンプにて、大自然に身を置く時、賛美を共にする時、聖書の御言葉に聴き信じる時、私達は主イエスがすぐ近くいてくださることを経験しました。

 もちろん主イエスが近くにいてくださるのは、キャンプだけではありません。家にいる時でも、学校でも職場でも、主イエスはいつも私達のすぐ近くにいてくださるのです。私達は、主イエスを呼び、主イエスに語りかけ、主イエスを見上げて歩みたいのです。

2008/8/17
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主日礼拝説教要約

2008年08月17日 | 説教要約
「人を生かす働き」 使徒行伝9章23~31節

 主イエスに捉えられたサウロは、福音宣教をし始めました。その時に彼が導かれたことが二つありました。そのことを見てきましょう。

Ⅰ 正しい福音理解
 サウロは、聖書の知識は豊富で、明確な救いの経験がありました。とはいえ、主の働きのためには、正しい福音理解、イエスこそ救い主という光をもって、もう一度旧約聖書を読むことでありました。また、救いの経験を振り返り、自分の人生における位置づけをアラビヤへ行ってしたのでありました。

Ⅱ 教会に加わる
 サウロは、エルサレムの教会に加わろうとしましたが、使徒達は、彼が加わるのを恐れました。それは、彼が大迫害者だったからであります。どんなに偉大な信仰者であっても、教会に組み入れられない信者は、枯渇し、独断的になります。信仰者は教会に組み入れられる時に満たされるのです。なぜなら、教会は主の体であり、信仰者は一人一人はその肢体(器官)であるからです。主イエスは、バルナバを用いて、サウロをエルサレム教会に組み入れるのです。
 
 人を生かすバルナバのような働きをしたいと願うのです。

2008/8/17 説教者 杉本守
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講壇の花

2008年08月17日 | 生花

 掲載者:岩崎

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天のマナ

2008年08月10日 | 天のマナ
 「神の意思を知り、自らの意志をもって応える」 

 ユースジャム2008が東京代々木の国立オリンピックセンターで持たれました。全国のホーリネス教団の青年達(中学生から)がおよそ450名、韓国、台湾、北米などからも50名で、奉仕者の方々も含めますと550名を越える集いでした。静岡グレースチャペルからも、10名が参加し、神の意思を知り、自らの意志を持って応える幸いな時でした。

 二回目の恵みの集会では、錦織寛師が神の意思である御言を取り次いでくださいました。第一テサロニケ4章1~8節でした。「神のみこころは、あなたがたが清くなることである」(3節)の御言を中心に、「清くなる」とはどういうことかを語ってくださいました。それは、「この世とは分かたれ、神のものとなること」、具体的には「不品行を慎み自分のからだを清く保つこと」、「兄弟を騙したり、踏みつけたりしないこと」、「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝すること」です。

 神の意思を聴いた若者達は、自らの意志をもって、御言を信じ、悔い改め、決心をして全国へ遣わされた幸いな時でした。お祈りとささげものを心から感謝いたします。

2008/8/10
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