静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2018年11月18日 | 天のマナ
 「主の臨在される場」       

 先日、ある兄姉の家に訪問させていただき、共に主を賛美し祈る家庭礼拝を持たせていただきました。始めは、生活の事や病いの事などお聞きし話をしておりました。続いて兄弟の好きな愛唱歌をいくつか聞かせていただきました。その中の1曲、新聖歌108「丘に建てる荒削りの」を共に神にささげました。この賛美を歌い始めますと、私達のために私のために、十字架に架かって下さった主イエス様がそこに臨在され、部屋が霊的な御恵みで満ち、そして私たちの内に満ちました。続けて「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来にものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も。わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことができないのである。」(ローマ8:38)が開かれ、それぞれが心の思いを素直に神の前に祈りとしてささげました。信仰者の霊的な交わりはなんと幸いでしょうか。人は肉体や精神だけではなく、霊が満たされなければならない存在なのです。
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天のマナ

2018年11月11日 | 天のマナ
「神と富、あなたのご主人はどっち?」
  
「だれでも、ふたりの主人に兼ね仕えることができない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」と山上で主イエスは教えれました。
神様は私たちに、ざまざまなものを委ねて下さっています。命、時、金、物、才能ばどです。 私達は何を一番大切にして重んじているでしょうか?誰に仕えているのでしょうか?そこに信仰があらわれています。「この世で富んでいる者たちに、命じなさい。高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように、また、良い行いをし、良いわざに富み、惜しみなく施し、人に分けることを喜び、こうして、真のいのちを得るために、未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように、命じなさい。」(Ⅰテモテ6:17~19)ともあります。財は一時的で吹き飛び無くなります。
 永遠の方である真の神を第一にし、真の神に仕える真の信仰であらせていただきましょう。
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天のマナ

2018年11月04日 | 天のマナ
 「信仰生活ABCD」
  
 一人の兄弟の聖書の裏表紙を見せていただきました。そこには、大切な事柄がいくつか記されていました。その右下に、「信仰生活ABCD」というものが書かれていました。
 それは、AはAskで求めること、BはBelieveで信じること、CはConfessで告白すること、DはDoで行うことです。信仰生活とは、神に求めることであり、神を信じ神の言葉を信じる事であり、信じたことを神の前や人の前に告白することであり、み言葉によって告白したことを行うことであるというのです。
 この朝も「モーセよ」「サムエルよ」「マリヤよ」と名を呼んだ同じ神が、あなたの名を呼んで招いておられます。私達も求めを持って出ています。そして神の言葉が取り次がれるこの時、信じ、告白によって応答し、神の力と恵みを受け行っていきましょう。
 「神は言われた、『わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。』」(出エジプト記3章12節)
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