静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2022年06月26日 | 天のマナ
 「完成を目指して」
毎週土曜日早朝に、ひとりの姉妹が寒い日も雨の日も、聖書を片手に教会堂へ足を運ばれます。それは、主日の前日(土曜日:備え日)に、主日の備え、まず、「賛美とみ言葉と祈り」をするためです。他の奉仕者と同じく、その姿は「なんと麗しいのか」と思います。
 その早天祈祷会の30分間は、賛美、祈り、聖書交読、「黙想の朝に」(松木師著)朗読、祈りの順に進められます。昨日は、ペトロの手紙二1章1~7節からでした。「救われた者には『神の性質にあずかる者』(4)という約束が与えられている。これは驚くべき約束である。パウロはこれと似た内容を『主と同じ姿に変えられていく』(Ⅱコリント3:18)と言っている。私たちは御国において栄光の姿に変えられると約束されているが、その原型を復活の主に見る。さらに、神の国に入れられている者は、すでに変化し始めている。すなわち、キリスト者は、壊れた神のかたちを修復され、成長途上にいる者なのである。」(黙想の朝に)より。
 イエス・キリストを救い主と信じた時から、神のかたちは回復されている(きよめられている)のであります。ますますその中にあり続け、父なる神によって完成されてまいりましょう。
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天のマナ

2022年06月19日 | 天のマナ
 「キリストの証人としての備え」     
 以前、伊東教会の祈祷会の前日に、4人(グレース・チャペルの二人の姉妹と牧師夫妻)で伊豆高原のペンションに前乗り宿泊しました。宿をチェックアウトする時、そこのオーナーに「本日はどちらの方面に行かれるのですか?」と聞かれました。「咄嗟(とっさ)に(伊東)市内方面にです」と答えました。確かにそうなのですが、「伊東教会の祈祷会に」とは答えませんでした。もし、そう答えたら、続けて少しは証詞ができたと思います。準備不足でした。次回の機会には備えておこうと思います。    
 突然、「日曜日はどうしてるの?」「どうしてクリスチャンになったの?」「イエス・キリストってどういう方?」と私たちは聞かれるでしょう。その時に慌てないで、いつでも応えられる準備をしておきたいものです。それも短いバージョン(15秒)、中くらいのバージョン(3~5分)、長いバージョン(15分位)の三種類あると素晴らしいです。ひとつの例を記します。「どうしてクリスチャンになったの?」と聞かれたら、「私は下を向いて人生を歩いていました。けれども教会に行き聖書を通して神とで出会い、神が私の人生に祝福の計画をもって導いて下さっていることを知って、神を信じたのです。今、本当に心が平安です」。
 「あなたがたの抱いている希望について説明を求める人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。」(Ⅰペトロ3:15)
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Migiwa ゴスペル・コンサート

2022年06月12日 | イベント案内
2年ぶりのチャペル・コンサートの開催です。
当日は、感染予防のために、入り口で検温、手指消毒、マスクの着用をお願いします。
会場は、間隔を空けた席となっております。出演者とも距離を保っております。 
駐車場は数台しかありません。また、近くにコイン・パーキングもありませんので、
公共交通機関をご利用ください。


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天のマナ

2022年06月12日 | 天のマナ
 「祈って始める恵み」
「絶えず祈りなさい」というみ言葉があります。1時間続けて祈る、夜を徹して祈る(徹夜祈祷)というクロノス(時間の流れの継続)的な祈りがあります。また、断食して祈る、うれしい時に祈る、悲しい時に祈る、苦しい時に祈るというカイロス(出来事の継続)的な祈りもあります。今回はカイロス的な祈りを取り上げたいと思います。
 聖書を読む前に祈ります。「主よ、み言葉を通して語って下さい。聖霊なる神よ、み言葉を開き、この者の心も開き、み言葉の命、力を理解させ体験させてください」とです。一日を始める時も、一つ一つの働きを始める時も、「聖霊なる神よ、私をお助け下さい」と祈ります。働きの途中で、「どうしたらよいのだろう」と考える時も祈ります。そうすると不思議です。知恵が与えられ助けが与えられ、物事が開かれ働きが進んでいくのです。
祈祷会でエレミヤ書から説教をしていますが、同じような内容の箇所が続きますし、難解な箇所もあります。ここから主の御心を知り、どのように語ればよいのだろうと苦労します。以前のヨブ記もそうでした。キーボートを打つのを止め、「主よ、お助け下さい」と主を見上げます。しばらくすると「あーなるほど」と聖霊が示して下さり、自らの務めを全うできるのです。
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玄関ホールの生花

2022年06月05日 | 生花
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ペンテコステの生花(講壇)

2022年06月05日 | 生花
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天のマナ

2022年06月05日 | 天のマナ
 「ペンテコステを喜ぶ」
 「ユダヤ人の三大巡礼祭りに、過越の祭(種を入れないパンの祭)、七週の祭(五旬節、刈り入れの祭り、初穂の日、ペンテコステ)、仮庵の祭(収穫祭)がある。過越の祭は、イスラエルの民がモーセに率いられてエジプトを脱出した記念として行われた。その翌日、大麦の初穂の束をささげる日から七週目、つまり五十日目に祝われた祭りが、「七週の祭り」または「五旬節」である(レビ記23:15)。ペンテコステという呼び名は、ペンテーコンタ・ヘーメラスというギリシャ語の読みにちなんでいる。この日が、キリスト者にとって重要になったのは、この日が日曜日にあたり、この日に神の御霊が教会に下り、教会の活動が本格的に始まったからである。ユダヤ人には穀物感謝、奴隷からの解放記念日として祝われたこの日は、キリスト者には、イエスが約束した聖霊が与えられた聖霊降臨日、そして教会の誕生日としてお祝いされる。」(玉川キリスト教会福井誠牧師の聖書日課ブログより引用)
 クリスマス、イースターと共に、聖霊が降臨され地上での教会のスタートであるペンテコステを共に喜ぼう。
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