静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2023年05月28日 | 天のマナ
 「愛餐の交わりの喜び」

 「だから、食べるにも、飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(コリントの信徒への手紙一10章31節)。三年間のコロナ下により、礼拝式後、教会堂での愛餐の交わり(昼食の時)をお休みしていましたが、来月より、まず第一主日のお昼に、愛餐の交わりを再開いたします。主イエスも弟子達や親しい者達、時には徴税人や大群衆と食を共にし神の栄光を現しました。教会での食事は単に食べ物を食べるだけではなく、キリストにある愛の交わりであります。目には見えませんがイエス・キリストが共にいてくださり、そこで交わされる私たちの笑顔、しくざ、そして言葉を、キリストがご自身の愛で包んでくださっているのです。食を共にし主の愛に与り、主の栄光を現させていただきましょう。
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天のマナ

2023年05月21日 | 天のマナ
「心の門を見張れ」

 ネヘミヤは、エルサレムの城壁を再建した時、城壁の門を取り付け、そして門衛を任命しました。さらに、「太陽が昇って暑くなるまで、エルサレムの門を開いてはならない。また彼らが任務に就くまでは、扉を固く閉ざしておくように。エルサレムの住民を警護に就かせ、各自が自分の見張り場と自分の家の向かい側を守るようにせよ」(ネヘミヤ記7章3節)と命じました。城壁やその門がどんなに立派でも、門が開きっぱなしですと町を荒らす者らが自由に入ってしまいます。ネヘミヤは厳しく通常の開閉時間より用心して短くし、門衛や住民を警護者を就かせて町を護らせました。
 私たちの心はどうでしょうか?様々な情報が溢れています。その中には神が喜ぶもの、その反対に神が悲しむものがあります。私たちの霊が豊かにされるもの、その反対に私たちの霊を壊すものがあります。どれに対して心の門を開き受け入れるか、あるいは閉ざすかは、自分の判断です。しっかり、心の門衛を置き判別し、主に喜ばれる心を持ちましょう。
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天のマナ

2023年05月14日 | 天のマナ
「母を迎えて」
 先週の月曜日より、牧師館に母を迎えました。三女を結婚で送り出し、妻と二人の生活が再開するかと思っていましたが、主なる神の不思議な導きで、再び三人の生活となりました。福島時代、叔母の手伝いをして、少しだけ叔父のお世話をいたしましたが、本格的な介護は初めてです。話には聞いていましたが、身をもって体験して学んでいるところであります。夜9時に寝て朝6時に起きる母、私もそれに近い生活サイクル(夜9時半に寝て朝5時に起きる)になりつつあります。朝7時にはユーチューブでライフラインを観て、その後朝食、身支度、週三回のデイサービス(朝9時から夕方5時)に行きます。デイサービスの時間は、母にとっても私たちにとっても、リフレッシュの時間となっています。夜には寝る前にみ言葉を読んで寝ます。
 人という者は、大変ユニーク(独特の、類のない)な存在です。孫の成長を観察し人の人格形成の過程を知り、母の老いを観察し人の御国への歩みを、私は教えられています。主なる神が、どのような恵みをこの時この時、私たちに注いで下さっているのか見い出すのが楽しいです。「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるのだ」(コリント二12:9)
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天のマナ

2023年05月07日 | 天のマナ
「神の前に立つ我ら」
 先週の火曜日に、静岡市で共に宣教してまいりましたひとりの牧師先生の葬儀式が行われた。息子のの牧師先生が説教をされた。その中で、ヨハネ3章16節が読まれた。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。その時には、「御子を信じる者が一人も滅びないで」が、強く示された。人は誰しも滅ぶ存在。罪により死が入り、肉体は土に帰り、霊は永遠の滅びる。しかし、「滅びない世界」がある。主なる神は、救い主イエスによってその世界を、救い主イエスを信じる者に与えたのである。「あぁ、その世界に私たちクリスチャンはいるのだ」と思った。
 
 先週の木曜日には結婚式が行われた。今回もそうだが、いつも結婚式に参列させていただくと、身が引き締まる。み言葉が読まれ、神の前に二人が誓約し、宣言がなされていく。なんという厳かさであろうか。そして、神の前にある厳粛さを体験した。
 「夫への教え、妻への教え」「愛の教え」のみ言葉に、神がもう一度私自身に語られていることと受け止める。「妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。」(エフェソ5:32)
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