静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2014年10月26日 | 天のマナ
 「信仰による捧げもの」 

「ソロモンは主のために宮を建てることを始めた。」(列王記上6:1)                                    
 スペインによく御存じの有名な教会堂サグラダ・ファミリアがあります。この聖堂は、1882年に着工されましたが未だ完成しておらず、今も建設中です。先日、ガウディ没後100年の節目となる2026年、着工から144年目に完成されると発表されました。あと12年となり、完成後いつか観に行けたらと願っています。
 私たちのグレースチャペルの会堂にも、奉仕と特別指定献金によって、二枚目のステンドグラスが右上に捧げられました。この背後に、多くのお祈りとご苦労があったことを知ります。制作された兄姉の大きな喜びは、私たち教会全体の喜びでもあります。このことを通しても主は豊かな栄光をあらわして下さいました。主の御名を崇めます。予定によると来年の5月には左上に、三枚目のステンドグラスが捧げられます。なんて幸いな主の恵みでしょう。さらに将来、左右の下に捧げられることを楽しみにしています。
 先日、ソロモンが神殿を建築して捧げた箇所を通読しました。主の恵みを本当に知っていたソロモンは、主の恵みに対して精一杯のささげものをいたしました。

2014/10/26
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主日礼拝説教要約

2014年10月26日 | 説教要約
「救って下さった神をたたえる」(詩篇105篇1~7節)

「主のなされたくすしきみわざと、その奇跡と、そのみ口のさばきとを心にとめよ。」(6)

 この詩篇は、歴史を振り返り契約に真実な神を賛美しています。

Ⅰ 族長たちとの契約のゆえに
 なぜ、神はイスラエルをこんなにも愛され、神の祝福と救いを与えられているのでしょうか。アブラハム、いざく、ヤコブ、ヨセフ~出エジプト、約束の地までの歴史を通して神の神の民への恵みは満ち溢れています。
 それは、神が真実な方であるからです。アブラハムとの契約をはじめ、族長たち、モーセを通して与えられた契約に真実であるからであります。

Ⅱ 救い主イエスによる契約のゆえに
 アブラハム~ダビデをはじめ、神の民は不完全でありましたが、神はその契約のゆえに真実さをもって導かれたならば、神のひとり子である完全な方イエス・キリストによって結んでくださった新しい契約のうちにあるクリスチャンたちには、どんなに豊かな幸いがあるでしょうか。それは、私たちに用意されているのは、地上の約束の地カナンどころではなく、天の御国が用意されているのです。必ず神は新しい契約を果たし、私たちを御国に入れてくださるのです。

 ですから、信仰によって私たちもその聖なる契約に真実に歩む者であり、これからもこの神をほめたたえていきましょう。

2014/10.26 説教者 杉本守


 
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講壇の花

2014年10月26日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2014年10月19日 | 説教要約
「神のみ手にある命」(使徒行伝20章7~12節)

「人々は生きかえった若者を連れかえり、ひとかたならず慰められた」(12)

 トロアスでの出来事を通して、み言葉をいただきましょう。

Ⅰ 想定外の出来事
 週の初めの日、人々は礼拝をしていました。この時の礼拝の中心は、説教とパンを裂くこと(聖餐と愛餐)でありました。二度と地上では彼らとあえないと知っていたパウロは、夜中まで神の言葉を語り、人々は熱心に聞き入っていました。その時、想定外の出来事が起こりました。三階の窓に腰をかけていた若者ユテコが疲れによる眠気のためにぐっすり眠り、三階から落ちて絶命してしまったのです。

Ⅱ 想定外の出来事の中にも溢れる神の慰めと励まし
 誰もが驚く中で、パウロはまるで旧約のエリヤのように身をかがめ抱き起し、渾身の祈りをささげました。そうすると命を御手におさめておられる神の不思議なわざが起こり、ユテコは生き返ったのでした。パウロらは、まるで何もなかったように続けて三階へあがっていき、明け方まで語り合いました。このことを通して、神はキリスト者たちを慰め励ましたのです。教会はユテコを責めるのではなく、必要以上に生き返ったことをも語らず、ただ神の慰めと励ましを喜んだのです。

 想定外の事が私たちの内にもおきますが、その中におられる命をもみ手におさめている神を仰ぎ、その中に溢れている神の慰めと励ましを受けていきましょう。

2014・10・19 説教者 杉本守 
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天のマナ

2014年10月19日 | 天のマナ
「愛修会の恵み」 使徒行伝20章7~12節
 
 13日(月)に15名で静岡市内の殉教の地と碑を三か所巡りました。非常に幸いな学びの時となり、信仰が燃やされました。ヘブル書11章には、「これらの人はみな、進行をいだいて真だ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。」(13.14)「しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。」(16)とあります。
 キリスト信者が迫害を受け、殉教する中で、彼らが持っていた信仰も上記のみ言葉であったに違いありません。彼らは地上だけの歩みではなく、すでに永遠の歩みをしていたのです。信仰とはアクセサリーではなく、キリスト者にとって命であり歩みそのものであります。人々の前に輝き、主に喜んでいただける信仰をさらに持たせていただきましょう。

2014/10/19
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天のマナ

2014年10月12日 | 天のマナ
「神の家族の素晴らしさ」
 
 教会の9名の兄姉と共に、7日(火)、台風で被害を受けられた兄姉のお宅の片づけのお手伝いに行きました。台風による床上浸水の被害は大きく、大変なご苦労をされておられました。緊急な助けが必要な時に、教会から10名の者がお手伝いに行けて本当に良かったと思いました。片づけをしている時に、ある兄が「こういう時に必要なのは道具と人手だね」と言われていましたが、ひと声で10名が集まる、改めて神の家族の素晴らしさを感じました。
 また、得たものはそれぞれにありました。その夜は、「少しだけどお役に立てたかな」と私にとって喜びでした。まだまだ、さまざまな必要がありますので、神の家族としてお祈りし合い、支え合っていきましょう。そして今後も、お互いに助けが必要な時は遠慮なく申し出て下さい。それが神の家族なのですから。
 「神の家族なのである。」(エペソ2:19)

2014/10/12
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主日礼拝説教要約

2014年10月12日 | 説教要約
「創造主なる神をたたえる」(詩篇104篇1~35節

 「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」(24)

  この詩篇は、創世記1章の天地創造を思い出させます。神の天地創造と摂理のわざ思いめぐらし神をほめたたえています。
 1~4 威厳ある神、5~9 神の創造のみわざ、10~23 川と大自然の秩序、
19~23 天体の秩序 24~30 海などの生き物と神、31~35 賛美と祈り

Ⅰ 神のはかり知れない知恵による創造
 この詩篇は、バビロン捕囚帰還後のものと言われ、壊滅的状態のエルサレムと神の民が、再建され回復されている状態を詩っています。つまり、神が神の民に成して下さった大いなる解放と回復のみわざが、天地創造のみわざに重ね合わせてうたわれているのです。10~13の谷や山々への水の供給は、単に創造の素晴らしさを称えるのではなく、回復された町の麗しさに対する感謝の思いが重ねられています。14~18節の地に満ち足りる植物も、主が再び、地を祝し、生産性のある毎日を取り戻してくださったことへの感謝と読むことができるのです。

Ⅱ 神のはかり知れない知恵による秩序
 神はこの世界をいたずらに造られたのではなく、人間が住めるように秩序を与えられて造られたのです。19~23節 自然界に秩序を与えることによって神は、この世界を人間が住めるようにし、24~30節の海の創造からも、日々の営み、商業活動の回復などを読み取ることができます。神は、造られた人間に対して、ご計画と責任をもって導いておられます。

 偉大な神をほめたたえましょう。

2014・10・12 説教者 杉本守
 
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天のマナ

2014年10月05日 | 天のマナ
 「神の恵みに生かされて」 

「わたしたちは、神の恵みを無にしない」(ガラテヤ2:21)

「受けるにふさわしくない者が光栄に与ったり、身分相応でない者が称賛を得たりすること」を、「恵み」と言います。「神の恵み」を私たちは受けています。それは、永遠の滅びに向かうしかない罪深くちっぽけな存在である私たちに、永遠の全能の神が目をとめ、御子イエス・キリストの十字架による犠牲をしてまで愛し、救ってくださったことであります。罪を赦され義とせられ、神の子としてくださり、神との関係を回復され、永遠の命を受けているのです。これを恵みと言わずに何と言うのでしょうか。本当の意味で、この神の恵みを体験している者は、恵み慣れし怠けたり、あるいは律法的義務的になったりしません。喜んでこの恵みに応答していくのです。私たちの勤勉勤労という努力は、神の恵みを得るためのものではなく、神の恵みを得た者として、それに対する感謝の応答としてのものであります。もう一度、与えられている主の恵みを思い出しましょう。

2014/10/5
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主日礼拝説教要約

2014年10月05日 | 説教要約
「神に寄り頼む平安」(使徒行伝19章8~20節)

「このようにして、主の言はますます盛んにひろまり、また力を増し加えていった。」(使徒行伝19章20節)

 第三伝道旅行、パウロがエペソで二年間宣教の働きをしました。この出来事を通して、神の言葉をいただきます。

Ⅰ 聖霊なる神を畏れる働き
 この所で、聖霊なる神はパウロをを通して爆発な力のわざをなされました。病人は癒され、悪霊は追放され、宣教のわざは進み、アジヤに住んでいる者はユダヤ人も異邦人も主の言を聞きました。それを見ていた神を信じていない人たちが、パウロのマネをして大きな傷を負わせられ逃げ出すことも記されています。これらのことにより、エペソの町の人たちは、聖霊なる神を畏れ、主イエスの名をあがめ、また悔い改めて、魔術の本などを焼き捨てて、悔い改めの実を結びました。

Ⅱ 聖霊なる神に寄り頼む
 本当の信仰は行動を伴うのです。彼らは悔い改めの実を結び、占いや魔術に頼る生き方から、真の神に寄り頼む生き方に180度変えられたのです。彼らは、不安に支配されることなく、主イエスの平安で満ちたのであります。

 真の神に寄り頼み、聖霊によって支配される時、内には平安、外にはリバイバル、神の福音は大いなる力を発揮するのです。

 2014/10/5 説教者 杉本守
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講壇の花

2014年10月05日 | 生花
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