静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2014年05月25日 | 説教要約
「神との関係が真っ直ぐな者の幸い」詩篇92篇1~15節

 「正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏のように育ちます。」(詩篇92篇12節)
 
 上記のみ言葉を中心に詩篇92篇から御言葉をいただきます。
 この詩は、安息日にれレビ人が神殿で歌ったものと言われています。

Ⅰ 正しい者とは
 聖書が語る「正しい者」とは、倫理的に道徳的に正しいという以上のものであります。それは、神から離れた罪人なる人間が、主なる神の救いにあずかり、罪ゆるされ義とされた者になるということです。人間のもつ信念やイデオロギーの義というものは、時代や状況によってかわってしまします。しかし、神の義は変わらずに正しいのです。そして、神を信じる者を神は、神との関係をまっすぐにし、神の義に即する者としてくださったのです。この正しい者(義とされたキリスト者)は、主に感謝し主のみ名をほめたたえます(1)。朝毎に神をほめたたえ、夕毎に神に感謝をささげます。

Ⅱ 神の祝福を受ける正しい者
 正しい者はなつめやしの木、レバノンの香柏にたとえられています。悪しき者は草にたとえられ、草は一時もえいでるかのように見えますが、一時的でその結末は滅びであります。しかし、足元に生える雑草とは比べ物にならないほど、なつめやしの木やレバノンの香柏は、まっすぐに高く育ち常緑の葉をもち、成長の早い良質なものなのです。これは、神の祝福を受けることをあらわしています。年老いてもなおも実を結び、いつも生気に満ち、青々として、主の正しいことを示します(14)。

 主とのまっすぐな関係において、主からあふれるいのちをいただき今週も歩んでいきましょう。

2014/5/25 説教者 杉本守

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天のマナ「

2014年05月25日 | 天のマナ
「祈りの輪」 「心を合わせて、ひたすらに祈りをしていた」(使徒行伝1:14)
 
 「聖書は祈りの歴史であり、祈りが答えられた記録。」と大正・昭和期のキリスト教社会運動家でありました賀川豊彦は語りました。人間の視点から見たらこのように言えるでしょう。神の視点から見たら、「聖書は、神の御業の歴史であり、人に対する神の愛の奇跡が溢れている記録。」と言えます。愛なる神は、私たちの心を熱くした祈りを待っておられます。そして、その祈りに答えようとされています。信仰の祈りなしにリバイバル(敬虔な信仰者の急速な増加を伴う信仰運動を指す)は起こりません。なぜなら、信じて祈るところに神はわざをなされるからであります。午前の祈祷会では、旧約聖書の小預言書(現在はヨナ書)を学び祈っています。夜は、礼拝で頂いた恵を分かち合い祈ります。早天祈祷会では、「谷間の泉」(カウマン著)を読み祈っています。これらの祈りの輪に加わり、共に祈りましょう。

 2014・5・25
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講壇の花

2014年05月25日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2014年05月18日 | 説教要約
「神が自らを現す啓示」 使徒行伝14章8~18節

「神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、この終わりの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。」
(ヘブル人への手紙1章1~2節)

 第一伝道旅行は、ルステラの町での宣教に至ります。この箇所より神の言葉をいただきましょう。

Ⅰ 被造物なる人間
 神はパウロを通して、足の不自由な者を癒しました。それらを見ていた群衆は、パウロとバルナバを偶像化し礼拝をささげようとします。パウロは、彼らに叫びそれを止めさせるのです。それは、人は神に造られた者であり、被造物に過ぎず、被造物を神とするのは愚かでありむなしく、まさしくそれは罪であるからであります。人間は、どれほど被造物を神とする愚かな罪を犯し続けているのでしょうか。現在もそうであります。
富士山の頂上でご来光を見て、その荘厳さに打たれ、拝みたくなる気持ちはわからないではではありませんが、しかし太陽は神の被造物であり、人間が拝む対象は被造物なる太陽ではなく、太陽を創造された神を拝むべきなのであります。

Ⅱ 創造なる神の啓示
 パウロは、真の神を群衆に示します。まずは一般啓示である自然を通して神は自らをあらわしておられることを語ります。しかし、それだけではなく、神の救いのメッセージを語っています。それは、特殊(特別)啓示であります。神は、御子イエス・キリストによって自らを啓示し、御子によって救いを与えられたということです。最初に掲げたみ言葉(ヘブル書1章1~2節)にもあるようにです。自然や歴史からは、神の存在を知ることができますが、神の救いを知り受けるには、御子イエス・キリストによって、聖書によって知る以外にありません。

 今も神からの語りかけを受けている私たちは、聖霊の働きにより、照明をいただき、神のみ心にかなった者として歩んでいきましょう。

2014/5/18 説教者 杉本守
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天のマナ

2014年05月18日 | 天のマナ
 「啓示と霊感と照明」

「啓示」とは、神が人間にご自身をあらわされることであります。啓示には二種類あり、一つは、自然界や歴史などを通して自らを現す一般啓示です。もう一つは、聖書や神の御子イエス・キリストを通して自らを現す特殊(特別)啓示です。一般啓示からは、神の存在を知ることはできますが、特別啓示からは、神の性質や救いの御業を知り体験することができます。
「霊感」とは、神がお示しくださった啓示を、聖書の著者たちが誤りなく聖書に記すため、神が聖書の著者だけに特別にお与えになったものです。
「照明」とは、霊感によって誤りのない神の言葉として記された聖書を、クリスチャンが読む時に、み言葉を悟り、体験できるように、神がお与えくださる助けであります。
 聖書を読むとき、聖霊なる神の照明により、神の恵みをいただきましょう。

2014/5/18
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講壇の花

2014年05月18日 | 生花
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天のマナ

2014年05月11日 | 天のマナ
「高価で尊い存在を奏でて下さる神」
 
 有名なバイオリンニストが、とても価値ある楽器の前にいました。彼は、この楽器を奏でたいとその周りを行ったり来たりしていました。もし、そのバイオリンが彼の手にあったならば、どんなにすばらしい旋律が奏でられるでしょうか。しかし、その楽器はショーケースの中にあり、扉には鍵がかけられていました。これでは奏でることができません。

「あなたはどれだけのものを持っているかではなく、あなたの持っているもののうちどれだけが神のみ手の中にあるかが大切なのです。」(谷間の泉:カウマン夫人著より)の言葉に、目が開かれます。私たちは、どれだけのものを持っているかに心を奪われます。しかし、大切なのは、そのものがどれだけ神の手にささげられているかです。心の扉の鍵を開けて、豊かに用いて下さる神に私たちのすべてをゆだね、高価で尊い存在である私たちを主に奏でていただきましょう。そうすことにより、神の栄光が豊かにあらわれるのですから。

2014・5・11
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主日礼拝説教要約

2014年05月11日 | 説教要約
「翼をもってあなたを守る神」詩篇91篇1~16節   

「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。」 (詩篇91篇4節)

 この詩篇では、神が人をあわれみ、恵みを施される約束が記されています。

Ⅰ 神の翼とは
 主の羽、主の翼とは、主の臨在をあらわしています。この主の翼の下に身を置く者は、誘惑や危険や病気から主に助け出され(3)、サタンの攻撃も恐れることなく、神の守りがあり(10~11)、神の光栄を受けるのです(15)。たとえ千人がかたわらに、万人が右に倒れても災いが近づくことはありません(7)

Ⅱ 神の翼の下にある幸い
 この守りと祝福を受けるには、どうしたらいいのでしょうか。それは、主の翼の下にいるのではなく、「住む」「宿る」のです。つまり継続性であります。一時的に熱くなるのではなく、継続的に何があっても神から離れないことであります。礼拝を守り、日々御言葉をいただき、神との霊の交わりである祈りをするのです。礼拝が終わり会堂からは出ていきますが、神の臨在の下からは出てはいけないのです。主イエスは、「わたしの愛のうちにいなさい」と言われています。

 いつも神の臨在の翼のもとに身を置き、神の守りと祝福の中を歩んでいきましょう。

2014/5/11 説教者 杉本守
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講壇の花

2014年05月11日 | 生花
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天のマナ

2014年05月04日 | 天のマナ
「霊的成熟(突き抜けたクリスチャン)」

 主との代表的な交わりの方法は、三つあります。まずは、礼拝です。これは兄弟姉妹とと共に神の前に出て、会衆の中に臨在する主に、み言葉をいただくことです。二つ目は小グループ(祈祷会、セル・グループなど)です。これは少人数の中に臨在する主に、分かち合い祈る中でふれていただくことです。三つ目は、デボーションです。これは主と我という個人的なつながりの中で臨在する主に、心を注ぎ祈り中で我を取り扱っていただくことです。っこの三つの交わりがバランスよくなされていく時に、霊的な成長が与えられ、霊的に成熟したものとされるのです。さらに付け加えさせていただきますと、大きな壁にぶつかった時、人生を左右する決断をする時などのここぞという時、ひとり、神の前に出て、み言葉による平安が与えられるまで真剣に祈り込む、徹夜の祈り、断食の祈りをすることが大切です。教会の会堂に来て恵みの座に座って祈り、勝利を得させていただくのです。

2014.5.4
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