静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2017年05月28日 | 天のマナ
「ドミネ・クォ・ヴァディス(主よ、どこへ行かれるのですか)」
 カトリック教会の古い伝承によりますと、西暦64年ペテロは、ローマ皇帝ネロによるキリスト教徒の迫害から逃れるために、ローマを脱出しようとします。そこで、ローマに入ろうとする復活の主イエスに会います。ペテロが、「ドミネ・クォ・ヴァディス(主よ、どこへ行かれるのですか)」と尋ねると、イエスは、「ローマへ再び十字架に架かりに行く」と答えます。その言葉でペテロは全てを知り、道を引き返してローマへ戻ります。そして、捕えられ殉教するのです。殉教する時に、主イエスと同じ十字架では申し訳けないとし、逆さにつけられたのでした。
 この伝承からどんなメッセージが語られているのでしょうか。ローマの大火の原因をクリスチャンたちになすりつけたローマの皇帝ネロの大迫害、教会は指導者ペテロを逃そうとし、ペテロもそれに従います。しかし、主の御心を知った時、以前、三度主を否んで失敗し赦さ再び立たされていたペテロは、同じ失敗をせずにローマに引き返してくるのです。自らの思いではなく、主権者なる主に従うのがきよめられたクリスチャンであります。「あなたは、わたしに従ってきなさい」(ヨハネ21:22)とこの朝も語られています。
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天のマナ

2017年05月21日 | 天のマナ
「ただ主の恵みによって」
 先週、福島で牧会をしていた時、同じ市内で牧師をしていた先生が、静岡を訪ねてきて下さり、幸いな交わりの時を持ちました。その時に次のような話を語って下さいました。先生は、11年アメリカテキサス州などで宣教の働きをして、今は帰ってきておられます。二人の娘さんがおられ、下の娘さんはアメリカで産まれました。日本とアメリカでは法律が違い、アメリカでは、アメリカで産まれた子供ならどこの国の子供でもアメリカの国籍をもてるのですが、日本で産まれた外国人の子供は日本の国籍をもてません。親が日本人でないともてないのです。ですから、アメリカで産まれた娘さんは、産まれながらにして無条件にアメリカの国籍をもっているのです。アメリカに三か月より多く滞在する時でも、労働する時でもビザの申請はいらずに、入国審査もスムーズに通るのです。ただアメリカで産まれただけで、国籍を持ち特権を得ているのです。「彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。」(ローマ3:24)。私達も主の恵みにより、「イエスを主」と信じ告白するだけで、神の国の国籍をいただけるのです。なんという恵みであり特権でしょう。
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天のマナ

2017年05月14日 | 天のマナ
 「信仰の質が問われる礼拝」
 先日の総会にて、「礼拝の始まる時間を守りましょう」との意見が出されました。モーセは、神の前に出た時、神の言葉を受けて、足から靴を脱いで跪(ひざまず)きました。靴を脱ぐとは、神への敬意と自分は神の僕であり自らの権利を神様に譲渡することをあらわしました。「神は言われた、『ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地である』。」(出エジプト記3:5)。イザヤも神の前でひれ伏しました。
私達はどうでしょうか?主の前にひれ伏しているでしょうか。自分の都合にあわせて礼拝に集い、自分の心が落ち着けば良いという自己中心的な礼拝ではなく、神中心の礼拝をささげているでしょうか。礼拝は、神のみ前に出て、神の前に拝し、神をほめたたえ、御名を崇め、神から御言葉をいただく時であります。神の御前に出る、神の御前にあるという自覚がどれほどあるか、信仰の敬虔さや畏敬さがそこにあらわれます。また、礼拝には霊の流れがあります。霊の流れを妨げる礼拝時における不必要な出入りはしないようにしましょう。共に霊的に鋭く、臨在する主なる神に喜ばれる礼拝をささげさせていただきましょう。
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