静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2024年04月21日 | 天のマナ
 「教会総会における主の恵み」

 人生には様々な節目があります。「入学、卒業、入社、結婚・・・」などがすぐに挙げられるでしょう。また、年にも節目があります。「年始、年度初め、年末、年度末・・・」です。企業でも総会がありますし、キリスト教宣教団体(TVライフライン、市内キリスト教会連合会)、私たちが属している日本ホーリネス教団、静岡ホーリネス教会もそうです。

 当教会の総会は来週です。走り続けている歩みを少し止め、神の豊かな導きの中にあって過ぎ去りし年月を振り返り、神に感謝するのです。そしてこれからの神の祝福のご計画を知り確認し、期待をもつ時でもあります。私達人間は、時に目の前のことでいっぱいになり、振り回されてしまう者であります。年一度の主にある総会は、私たちの信仰の目をもう一度神の計画に向けさせ、私たちに与えられている神の使命を再び自覚させるのです。「そうだ!、主の力により自分の責任を果たさせていたこう」と。マンネリではなく、主にある新たな一歩を共に踏み出しましょう。
「沖へ漕ぎ出し、網を降ろして漁をしなさい」(ルカによる福音書4章5節)。
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天のマナ

2024年04月14日 | 天のマナ
 「信仰告白としての賛美の恵み」

 ゴスペルの練習は、月の第一水曜日午後7時~ズームでのディレクターによるレッスンをしています。その他にメンバーだけで月一度の練習もあります。仕事帰りにメンバーは集うので、一日の労の疲れがありますが、毎回、賛美を主にささげている中で、主の恵みを受け心も体も、霊も肉体も満たされて、終わる時には新たなる力を与えられています。礼拝時の賛美の時も、ゴスペルレッスン賛美の時も、また自宅で口ずさむ賛美の時も、皆さんと同じく私も賛美の歌詞を私の信仰告白として、主にささげています。今、ゴスペルで練習をしている曲も素敵な賛美です。この詩も自分の信仰告白です。
 「世の人は山は動かせない 鎖は決して切れない」と言う でもね 彼らは私たちのように主なる神を知らないの 主なる神の御名には力があることを 私たちは「進む道がない、潮の流れは決して変わらない」と彼らからの言葉を聞く 彼らはどんなに大きな力が主なる神にあることを見ていないから 動かせないものを動かし 壊せないものを打ち砕く 神様 私たちは信じています あなたの奇跡を見ることを 希望は失望に終わらない なぜなら主の墓は空だから 道がないと思える時もも あなたこそが道なのです 私たちは信じています 神様 あなたは主権をもっておられるから  
「アーメン(まことに、真実に、そのとおりです)」です。
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天のマナ

2024年04月07日 | 天のマナ
「横を見るから見上げるへ」 
 
 小さい頃から私たちは比べられて育てられたのではないでしょうか。横を見て、皆と同じように歩みなさいとです。確かに協調性は必要ですが、個性を潰す協調性ではなく、オーケストラのハーモニーのように個性が活かされた協調性であることが大切です。教団の年会講演のテーマは「牧師のストレス解消法」でした。講演の後、一人一人がエゴグラム(性格分析・診断)をしましたが、その結果は全く異なるものでした。横を見て比べる見方が小さい頃から刷り込まれ、その世界に生き、ある時には優越感をもちうぬぼれ高慢になったり、別の時には劣等感をもち自己卑下し、嫉妬しねたんでいるのではないでしょうか。全ての人に共通している問題は、「罪」と「死」です。これは横を見ていては全く解決できません。人間には解決できないからこそ、神の介入が必要なのです。神は、その独り子イエス・キリストをこの世界に遣わし、十字架によって「罪」を、復活によって「死」を解決して下さったのです。ですから、横(人)ではなく、上(神)を見上げましょう。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された、御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)
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