静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2016年02月28日 | 教会案内
「はなはだ良かった」(沖縄旅行①)

 5人の姉妹と牧師夫妻、合計7名で沖縄へ3泊4日で行ってきました。曇りの日が多く晴天の日はありませんでしたが、それでも神様の造られた自然はとても素晴らしく、はなはだ良かった世界を垣間見せていただきました。特に沖縄の海はどのビーチも、白い砂浜が続き、水が透き通り、海の色は透明から水色、青へとグラデーションし、その中に岩があり、海草やサンゴの所は濃くなっているのです。海水浴は4月からですので海の中の様子は見られませんでしたが、美ら海水族館で様子を知ることが出来ました。ジンベイザメからチンアナゴまで神の知恵による創造のわざはなんと素晴らしいのでしょう。南国ならではの花々やフルーツにも感動いたしました。
 今でもこんなに素晴らしいのに、まだ人間の罪によって壊されていない神様が造られた当初の世界は、どんなものだったのでしょうか。そして、この地上の歩みが終わった時、神を信じ救われた者が入れてもらえる永遠の神の国に心を馳せるのでした。
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天のマナ

2016年02月21日 | 天のマナ
「賜物セル・グループを用いて」

 伝道の方法は様々です。教会で持たれる特別伝道集会やコンサート伝道、1対1で顔を見ながらイエス様を伝える方法(個人伝道)、わかりやすいテキストを用いて聖書を一緒に学ぶ方法(聖書の学び伝道)、道端で賛美を歌い聖書のお話をする方法(路傍伝道)、ライフラインのようにテレビを用いてする伝道(テレビ伝道)、「きぼう」や「クリスチャン新聞の福音版」などを渡す伝道(文書伝道)、趣味を活かしたグループで伝える方法(グループ伝道)などです。「ひとりが一人を!」というスローガンで昔は伝道しました。それは私には難しいという人もあるでしょう。ならば、先週のメッセージのように、4人(グループ)でひとりをイエス様の許に連れてこればよいのです。ある教会関係の統計調査によると、新来会者が教会に留まるには、4人以上の方が関わる必要があるとういデーターがあります。もちろん、イエス様との関係ができることが何よりですが、私達にもすることがあります。
 「イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、『子よ、あなたの罪はゆるされた』と言われた。」(マルコ2:5)
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天のマナ

2016年02月14日 | 天のマナ
 「伝道はついつい」  

 「あなたは、救われた喜びを今もお持ちでしょうか?」と聞かれたら、ドキッとします。喜びにもいろいろとあるでしょう。感情的な溢れる喜び、静かな平安な喜び、脈々と流れる喜び、動かされないどっしりとした喜びなどです。人間の感情は上がり下がりいたします。いつもハイテンションで自然に笑顔が溢れ続けることはないでしょう。しかし、「あぁ、イエス様が一緒にいるのだ。罪が赦され、神の子とされ、永遠の命を受けているのだ」ということが救いのみ言葉によって常に証言され、この土台に立たされている我を確認するたびに、これらの喜びは泉のように私達の内に溢れます。名薬や名医を見つけ、病気が治った時、黙っていることができず、ついつい家族や友人に「あの薬いいよ、あの医者いいよ」と話すでしょう。クリスチャンは、永遠の救い主によって救いを受けたのですから、ついついイエス様のことをしゃべってしまおうではありませんか。「イエス様いいよ」と。    

 「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい。」(マルコ5章19節)
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天のマナ

2016年02月07日 | 天のマナ
 「あなたはわたしに従って来なさい」           
 
 小さい頃、私は母親に「あなたは本田弘慈先生(小柄でしたが声も大きく大胆で力強いメッセージをした日本の大伝道者)みたいになるのだよ」と言われ育てられました。母は小柄な私、無口だけど時に暴走!?する私を励ます意味で語ってくれたのだと思います。この母の言葉は、一方では私を励ますものになりましたが、一方では私を縛るものとなりました。牧師として神に召され歩む中で、「本田牧師のように、また他の活躍している牧師のようにならなければ」と、いつもそこから自分を見ていました。そして、そのようになっていない自分の姿を見させられ、寝る前に「このままでいいのだろうか」と自問し、一日の労を感謝するどころではなく、「これではいけない」と不安と焦りで終わるのです。しかし、聖書を読んでいるある時、次のイエス様の言葉が心を包みました。「あなたは、わたしに従ってきなさい。」(ヨハネ21:22)。自分とヨハネを比べているペテロに、復活の主イエスが語られました。「横を見るな。私だけを見て、私があなたに用意した最高の道を歩みなさい」と。イエス様はペテロとヨハネを比べて語ったのではなく、ペテロだけをみてそう語ったのです。「あなたは」です。私もこの主の愛のみ言葉により、縛られていたものから解放され自由にされたのでした。

2016・2・7
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