静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2007年12月30日 | 天のマナ
会堂屋根の十字架

 「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」(詩篇136編)

  私達人間は、「あたりまえ」と思ってしまう悪い癖があります。感謝を取り除いてしまうこの「あたりまえは」には、気をつけなければなりません。ですから、新聖歌「望みも消え行くまでに」にあるように、「主の恵みを数えること」「感謝を書き出すようにして数えること」です。

 「あたりまえ」と思う事柄から書き出してみましょう。「毎日食事ができたこと、毎日朝起きれたこと、毎日心臓が動き呼吸ができたこと、毎日体が動いたこと、毎日眠れたこと、毎日のつとめができたこと」など、感謝と喜びがあふれ、主イエスがどんなに最善の導きと豊かな守りを与えてくださったことかわかってきて、「不平不満、つぶやき」などは、心から追い出されててしまうに違いありません。

 時々、不思議な思いになります。意識しないで呼吸し、心臓が動いている。手や足のように動けと命令しなくても、無意識のうちに動いているのです。もし、いちいち意識して心臓や呼吸を動かしていたら、他の事は何もできなくなります。

 本当に感謝ですね。それが一年間も休まずに。神様が動かして下さっている幸いです。

2007/12/30
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年末感謝主日礼拝説教要約

2007年12月30日 | 説教要約
「取るべき地は多い」 ヨシュア記13章1~7節
 
 2007年最後の主日礼拝も聖徒の皆様と礼拝をささげられますことを感謝いたします。一年を振り返ったニュースが年末に放映されますが、私達の一年も様々な事が起こりました。その中に主の恵みを共に数えましょう。この御言は、今年のグレースチャペルの御言でした。

Ⅰ 使命に立つ
 ヨシュアの使命は、主の与えてくださったカナンの地に神の民を導き、それを獲得し治めることでありました。ヨシュアは多くの地を信仰によって獲得し治めましたが、主は、約束した地はまだあるとさらに使命を果たすように激励します。「確かにヨシュアは年を取りましたが、主の祝福はまだまだあることと、自らの力ではない、主の力によってそれをなすことをせよ」と語られます。

Ⅱ 使命を果たす中での感謝
 ヨシュアは、その御言に立ち、残りの使命を果たしていきます。そうして、信仰により獲得していく中で、燔祭や酬恩祭を主にささげ、主を礼拝し感謝をささげていくのです。

 私達は、神から与えられた使命を今年も果たして来ました。その恵みを振り返り数えつつ、礼拝と感謝をささげましょう。そして、残されている使命を来年も果たし、神の祝福をさらに得ていきましょう。

2007/12/30 説教者 杉本守
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講壇の花

2007年12月30日 | 生花

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教会だより

2007年12月30日 | 教会だより

2007年12月30日

主日礼拝・式次第
招詞 : 詩篇100篇1~5節(司会者朗読)
前奏 : (奏楽者)
賛美 : 新聖歌172「希望も消えゆくまでに」(会衆一同)
使徒信条 : 新聖歌826p(会衆一同)
主の祈り : (会衆一同)
交読文 : 新聖歌46「詩篇148篇」(会衆一同)
祈祷 : (信徒代表)
賛美 : 新聖歌171「今日まで守られ」
聖書朗読 : ヨシュア記13章1~7節(司会者)
メッセージ: 「取るべき地は多い」(杉本牧師)
賛美 : 新聖歌325「歌いつつ歩まん」(会衆一同)
献金
献金唱 : 新聖歌57「このささげものは」(会衆一同)
感謝祈祷 : (信徒代表)
頌栄 : 新聖歌63「父 御子 御霊の」(会衆一同)
祝祷 : (牧師)
後奏 : (奏楽者)
報告 : (司会者・他)

教会だより(要約)
・本日の礼拝は、年末感謝礼拝です。今年も主の導きと守りの御手の中で歩む事ができた事を感謝し、心から礼拝を捧げましょう。
・先週のクリスマス祝会は、主の御降誕を記念し、共に喜びの時を持ちました。お祈りと御奉仕を感謝いたします。
・先週月曜日のキャンドルサービスは、新来会者の方も多く集い、クリスマスの本当の意味をお届けする事ができました。お祈りと御奉仕を感謝いたします。
・2008年1月1日の新年礼拝は、午前11時からです。一年の最初の日に神を礼拝して始めましょう。
・聖書の学びや洗礼を希望する方は、牧師までお伝え下さい。

【今日の予定】
第四礼拝 午後7:30

【今週の予定】
1月1日(火)新年礼拝 午前11:00
1月6日(日)合同礼拝/聖餐式 午前10:30

【来週の予定】
新年礼拝 午前11:00

掲載者:齊藤

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クリスマス主日礼拝説教要約

2007年12月23日 | 説教要約
「救い主を信じる者は」 ヨハネによる福音書3章16~21節

ヨハネによる福音書3章16節

 聖書全体が凝縮されているようなヨハネ3章16節を、ルターは「小型聖書」と言いました。クリスマスに、この御言の恵みを共にいただきましょう。

Ⅰ この世を愛された神
 「愛」とは何でしょうか。この世では、「愛」がいつの間にか、自己中心的なものに、あるいは自己欲的なものにすり替えられてしまっています。「愛」とは、コリント第一の手紙13章に記されています。この箇所をまとめると、やはりこのヨハネ3章16節になります。「愛」とは「自己犠牲」であります。それも、奴隷のようにではなく、相手が本当の意味で生かされるために、自らを犠牲とすることです。まさしく、神の愛はこれであります。

Ⅱ 神の愛の深さ
 神は、どのような愛における自己犠牲をされたのでしょうか。主イエスは、「人がその友のために自分の命を捨てること、これ以上の大きな愛はない」と言われました。神は、独り子である主イエスを、この世(すべての人)を救うために、この世界に送り、私達人間の罪を主イエスに負わせ、十字架につけたのです。命をかけた真の愛を見るのです。

Ⅲ 神の愛を信じる者は
 この主イエスの愛を受け止め、主イエスを救い主と信じる者は、罪赦され義と認められ、神の子供とされ、永遠の命を与えられるのです。「永遠の命」とは、この世では神との命の関係の回復と神から命の満たしであり、この世の使命が終えた後は、永遠の神の国での歩みであります。

 このクリスマス、神がなしてくださった大きな愛を受け止め、賛美をもって神を崇めましょう。

2007/12/23 説教者 杉本守
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講壇

2007年12月23日 | 生花

神はそのひとり子を賜ったほどに、
この世を愛して下さった。
それは、御子を信じる者がひとりも滅びないで、
永遠の命を得るためである。
ヨハネによる福音書3章16節

アドベント第4週

                                           投稿 S・I

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教会だより

2007年12月23日 | 教会だより

2007年12月23日

主日礼拝・式次第
招詞 : 詩篇100篇1~5節(司会者朗読)
前奏 : (奏楽者)
賛美 : 新聖歌78「荒野の果てに」(会衆一同)
使徒信条 : 新聖歌826p(会衆一同)
主の祈り  : (会衆一同)
交読文 : 新聖歌45「詩篇146篇」(会衆一同)
祈祷 : (信徒代表)
賛美 : 新聖歌77「きよしこの夜」
聖書朗読 : ヨハネによる福音書3章16~21節(司会者)
賛美の捧げもの : 「さかやかに星はきらめき」(聖歌隊)
メッセージ: 「救い主を信じる者は」(牧師)
賛美 : 新聖歌89「神は独り子を」(会衆一同)
献金
献金唱 : 新聖歌57「このささげものは」(会衆一同)
感謝祈祷 : (信徒代表)
頌栄 : 新聖歌63「父 御子 御霊の」(会衆一同)
祝祷 : (牧師)
後奏 : (奏楽者)
報告 : (司会者・他)

教会だより(要約)
・本日の礼拝は、クリスマス礼拝です。主の御降誕を喜び、共に心から礼拝を捧げましょう。。
・本日の午後1時から、クリスマス祝会をいたします。第三礼拝後の準備にご協力下さい。会費は500円です。クリスマスを共に喜び、お祝いしましょう。。
・先週の子供クリスマス会には、子供と大人の方が集い、主イエスの御降誕をお祝い致しました。
・昨日のクリスマスコンサートには多くの方が集い、賛美と御言葉を通して、主の御降誕の恵みにあずかりました。
・明日24日(月)夜7時より、キャンドルサービスをいたします。静かな夜に主の御降誕をおぼえましょう。
・聖書の学びや洗礼を希望する方は、牧師までお伝え下さい。
・30日(日)の礼拝は、年末感謝合同礼拝です。一年の感謝を持って集いましょう。第二礼拝はありません。
・聖書学院のカレンダーを用意してあります。お持ち下さり、お祈り下さい。
・25日(火)より、牧師夫妻は休暇となります。連絡は教会まで。27日(木)の祈祷会はありません。
・2008年1月1日の新年礼拝は、午前11時からです。一年の初めの日に神を礼拝して新しい年を始めましょう。

【今日の予定】
クリスマス祝会:1:30pm/第四礼拝7:30pm

【今週の予定】
12月24日(月)キャンドル・サービス7:00pm
12月25日(火)~29日(土)牧師休暇
2008年1月1日(火)新年礼拝

【来週の予定】
第一礼拝:7:30am/合同礼拝10:30am/第四礼拝7:30pm

掲載者:齊藤

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天のマナ

2007年12月23日 | 天のマナ
憩う羊 Keiko Totuka (c)2007, Photo by M.Saito

「祈りに応えたもう主イエス」

 クリスマスおめでとうございます。メリークリスマス! 救い主イエスの御降誕を迎え、喜びいっぱいであります。神の御使いが羊飼い達に告知したように、主イエスは私達人間の「救い主」として来て下さったのであります。そして、今日に至るまで信じる者を、祈り求めるものを救い続けているのです。   
 
 先日、とても幸いな二つの恵みの分かち合いを聞きました。一つは、教会学校に来ている少年の祈りです。「午後のクリスマス会に男の子が来ますように」との祈りが終わると同時に、主イエスは一人の少年を教会に、午後にも4、5人の男の子を導いたのでありました。もう一つは、一人の姉妹のお証しです。長年祈っていた課題に応えが与えられ、重荷から解放されたのでした。姉妹の明るい表情を今でも思い出します。

 救い主イエスによって祈りが応えられ、神の国(神の支配)という救いが、信じて祈る者の内に広がっていることを見させていただいています。救い主イエスは、罪を赦し、きよめ、肉体を癒し、悪習慣や重荷から解放し、心の傷を癒し、変わらない神の平安を与えて下さる方であります。

2007/12/23
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主日礼拝説教要約

2007年12月16日 | 説教要約

2007年12月16日礼拝・メッセージをする杉本牧師

「人となられた神」
ピリピ人への手紙2章1~11節

 「主イエスのへりくだりにならい、一致を保ちなさい」とのこの箇所より、クリスマスメッセージをとりつぎます。

Ⅰ 神である主イエスのへりくだり
 主イエスは神であり、神と等しい方であります。本質において神であります。ですから神の性質をもっておられます。神の性質とは、永遠、全能、全知、遍在、不変などがあげられます。主イエスは、これらの神としての性質を制限し、自らをむなしくし、肉体をとり人となられたのであります。ここに測り知れないへりくだりをみます。

Ⅱ 救いを与えられる主イエス
 どうしてこのように自らをむなしくされたのでしょうか。それは、旧約(預言と律法)を成就し、十字架と復活による新約を立てるためです。もっと言いますならば、それは、私たち人間の救いのためであります。私達を救うために、神のひとり子がこれほどまでのへりくだりをしてくださったのです。人となるだけではなく、十字架の死までに。

 主イエスは、人として歩んでくださったことにより、私達の悲しみや苦しみまでもわかってくださり方であります。決して遠くにいて、そこから眺めている神ではありません。そして、この方は私達を救ってくださるかたであります。私もこの方を信じて救われた者の一人です。ハレルヤ

2007/12/16 説教者 杉本守

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天のマナ

2007年12月16日 | 天のマナ

天使と羊 Keiko Totuka (c)2007, Photo by M.Saito

「今なお救い続けている」 
 
 主イエスが、御降誕されてから、2000年以上が経つ現在、主イエスは時代と共に忘れられてしまったかといいますと、全くその反対であります。時が経てば経つほど、今も生きておられる救い主イエスは、全世界に伝えられ知られ、信じるものを今も人々を救い続けている現実があるのです。

 この救い主イエスが、この世界に来てくださったクリスマス、この救い主イエスとはどういう方で、どのような救いをなしてくださるのかを知り、さらに信仰によって体験させていただこうではありませんか。

 毎年の出来事としてマンネリ化するのではなく、一年一年深められていきましょう。救い主が来られるのを待ち望む時代は終わりました。今は救い主を自分の心に「信じる」という姿勢をもって迎える時代であります。

 「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである」(ルカよる福音書2章11節)

2007/12/16

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