静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2008年01月27日 | 天のマナ

 「聖霊によって引き出される」  
 「しもべは聞きます。主よ、お話しください」サムエル記上3:10

 礼拝や祈祷会のメッセージの応答として、「先生、今日の御言とメッセージは、私にぴったりのものでした」というような言葉をかけてくださる信徒の方々が時々いてくださり、うれしく感じています。

 私はその時こう応えます。「あなたの聴く信仰の姿勢(自らの霊的状態を深く知り、主へのみ言を求め、み言の前にへりくだり、砕かれやすい魂を持ち、み言への信仰と献身の応答をする姿勢)が素晴らしいのです」と。

 「説教は、説教者と聴衆者の共同で作り上げいただくものである」と言われます。メッセージは、とりつぐ側の信仰の姿勢も大切であることは言うまでもありませんが、それと同時に、聴く側の信仰の姿勢も大切であります。なぜなら、聴いている者の内に聖霊が働くからです。み言が語られる時に聖霊が働き、み言に隠されている神の命を開き、一人一人のうちに蓄えられている他のみ言をも引き出し、あなたが今置かれている課題、問題、苦難、試練、罪に対し、最高で最善の主の御業をあなたになされるのです。
それは、時には赦しとなり、時には癒し、きよめ、解放となります。

 心を閉ざさず、この朝もわくわくしながら、主の御言に聴き入り、聖霊によって取り扱われ、造りかえられ、満たされて遣わされていきましょう。

2008/1/27

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主日礼拝説教要約

2008年01月27日 | 説教要約

「十字架への備え」マルコによる福音書14章1~9節

 主イエスが十字架に掛かられる過ぎ越しの祭りの前、主イエスはベタニアのシモンの家で食卓についていました。そこにラザロの姉妹マリヤが、ナルドの香油を主イエスに注ぎました。この記事から、主の言葉をいただきましょう。

Ⅰ 主イエスのお心を知る者
 主イエスの弟子達は、主イエスと共に歩み、十字架と復活の話を聴いていましたが、彼らは主イエスのお心を知らずにいました。それは、彼らが自分達の思い描いている地上のメシヤの王国とメシヤ像というフィルターを通して主イエスを見ていたからでした。
 しかし、マリヤは、主イエスに十字架の時がすぐそこに来ていることを知り、300デナリ(300日分の労働者の賃金)もするナルドの香油を主イエスに注ぎました。それは、主イエスのお心を知り、主イエスへの愛から出たものであり、主イエスの葬りの備えでありました。

Ⅱ お心を知る者を喜ばれる主イエス
 弟子達は、「もったいない。香油を売って貧しい人に施せばいい」とマリヤを厳しく非難しとがめました。しかし、主イエスは、マリヤの打算を超えた純粋な愛からの献身的な奉仕を喜ばれたのでありました。貧しい人はこれからも一緒にいるが、十字架に掛かろうとしている主イエスの時は今であり、マリヤは時にかなった奉仕をしたのでありました。

 私達は、主イエスのお心を知っているだろうか。自分の思いというフィルターを通さずに、主イエスを見、主イエスのお心を知って、奉仕し献身し従っていきたい。

2008/1/27 説教者 杉本守

コメント (1)
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講壇の花

2008年01月27日 | 生花

この女はできる限りの事をしたのだ。
マルコによる福音書14章8節

                                         投稿 S・I

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教会だより

2008年01月27日 | 教会だより

オルガンの上に置かれた花
                                    Photo by Masami Saito (c)2006

2008年1月27日

■主日礼拝・式次第
招詞 : 詩篇100篇1~5節(司会者朗読)
前奏 : (奏楽者)
賛美 : 新聖歌19「救いをなし給う」(会衆一同)
使徒信条 : 新聖歌 p826(会衆一同)
主の祈り : (会衆一同)
交読文 : 新聖歌49(イザヤ書40章)p866
祈祷 : (信徒代表)
賛美 : 新聖歌343「罪に満てる世界」(会衆一同)
聖書朗読 : マルコによる福音書14章1~9節(司会者)
メッセージ: 「十字架への備え」(杉本牧師)
賛美 : 新聖歌358「神なく望みなく」(会衆一同)
献金
献金唱 : 新聖歌57「このささげものは」
感謝祈祷 : (信徒代表)
頌栄 : 新聖歌63「父 御子 御霊の」(会衆一同)
祝祷 : (牧師)
後奏 : (奏楽者)
報告 : (司会者・他)

■教会だより(要約)
・一年で一番寒い季節ですが、主に支えられて礼拝に励み、主の栄光を日々現させて頂きましょう。
・本日の午後は、役員会があります。
・第四日曜日は、古紙の回収日です。お持ち下さった方は母子室にお願い致します。
・来週は、合同礼拝、聖餐式です。共に主の恵みにあずかりましょう。
・来週の午後に、日曜学校教師会をいたします。また、中高生の交わり会が梅屋町教会で持たれます。主の祝福がありますようにお祈り下さい。
・日本ケズィック東京大会、ユースジャム08の各集会・大会のポスター、チラシをご覧下さり、祈り献げ、参加致しましょう。
・自宅訪問を希望の方は、教会スタッフまでお申し込み下さい。
・聖書の学びや洗礼を希望する方は、牧師までお伝え下さい。

【今日の予定】
聖歌隊 午後12:30
役員会 午後1:30
第四礼拝 午後7:30

【今週の予定】
1月29日(火)聖会委員会(本部) 午前11:00
1月30日(水)スタッフ・ミーティング 午前10:30
1月31日(木)祈祷会 午前10:30/午後7:30
2月 2日(土)早天祈祷会 午前6:30

【来週の予定】
第一礼拝 午前7:30
第二礼拝 午前9:00
第三礼拝 午前10:30
教会学校教師会 昼食と共に
第四礼拝 午後7:30

掲載者:齊藤

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主日礼拝説教要約

2008年01月20日 | 説教要約

2008年1月20日・主日礼拝

「世の終わりでの救い」 マルコによる福音書13章1~37節

 主イエスは宮を出たとき、宮の建物の石に驚いた弟子達に、「この宮はやがて崩される」と言われました。オリーブ山で、弟子たちは主イエスに、「いつ宮が崩されるのでしょうか?」「この世の終わりの前兆はどんなことが起こるのでしょうか?」と問いました。この箇所から、神の救いの言の成就を見ていきましょう。

Ⅰ 必ず成就する神の言
 主イエスは、この世のもの、大きな宮の石であっても、さらには天地であっても、すべて変わっていくが、神の言は滅びず必ず成ると言われました。その通りに、AD70年に、この宮はローマによって崩されていきます。神の言は必ず成るのです。14~23節にそのことが記されています。

Ⅱ 世の終わりにおける神の救い
 5~13、24~37節は、この世の終わりの前兆と主イエスの再臨、それに対する私達の備えが記されています。前兆は、偽キリストの出現、戦争、地震、迫害、天変地異が起こります。そして、主イエスが雲にのって再び来られ、御使いを世界に遣わし、神を信じる者を携挙させ、御許に引き寄せるのです。
 神を信じ神に立ち返ったキリスト者にとっては、救いの完成の時です。しかし、そうでない者にとっては、神の裁きの始まりとなります。
 ですから、終末を前にしている私達は、いつ主イエスが来られてもいいように、信仰の目を覚まし、神に喜ばれる歩みをなし、まだ、神を知らない人に、この救いを伝えるのです。

 主イエスは、必ず来られます。神の御言は必ずなるからです。最後まで信じ耐えしのぶ者は救われるのです。

2008/1/20 説教者 杉本 守

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天のマナ

2008年01月20日 | 天のマナ

会堂

「絶望の中で見いだした光」  (生きる勇気がわいてくる)より抜粋
  
 私の家は、代々神主の家系でした。私が小学校のころは、太平洋戦争の真っ最中で、毎日、毎晩、たくさんの人が神社に来て、夫や父、息子の無事と戦勝とを祈願していました。私は、みんなが拝んでいる神様とは、どんな方と思い、ある日そっと拝殿の奥の扉を開けてみました。そこで見たのは、見なれた私の顔でした。神
の正体は古い小さな鏡だったのです。そして、みんながあんなに祈願していたのに敗戦となり、大好きだった叔父も戦死してしまい、私は神社の神が信じられなくなりました。                               
 
 私が高校二年の時、父が食道がんになりました。それを知ったある宗教の布教師が、毎日のように父のところに来ました。私たちは、わらにもすがる気持ちで、言われるままにしましたが、父はその布教師の目の前で血を吐き、そして死にました。

 わたしは様々なことに失望し、自殺したいと思うようになりました。そんな時、小学校の講堂で映画会があり、死ぬ前の最後の楽しみのつもりで出かけていきました。そこで、私は、本当の神様にお会いしました。その時いただいた聖書の分冊の裏表紙に「あなたはどこから来ましたか。あなたはななぜ生きていますか。あなたは死んだらどこへ行きますか。この三つは、人生最大の問題であり、これを答えることのできるのは聖書だけです」と書いてありました。

 私は聖書を読み始め、聖書の神は、万物の創造主であり、私達を本当に救ってくださる神であることを、身をもって知りました。

2008/1/20

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教会だより

2008年01月20日 | 教会だより


                Photo by Masami Saito (c)2006

2008年1月20日

■主日礼拝・式次第
招詞 : 詩篇100篇1~5節(司会者朗読)
前奏 : (奏楽者)
賛美 : 新聖歌1「いざ皆きたりて」(会衆一同)
使徒信条 : 新聖歌826p(会衆一同)
主の祈り : (会衆一同)
交読文 : 新聖歌48(イザヤ書35章)p865
祈祷 : (信徒代表)
賛美 : 新聖歌376「如何に汚れたる」(会衆一同)
聖書朗読 : マルコによる福音書13章1~13、24~37節(司会者)
メッセージ: 「世の終わりでの救い」(杉本牧師)
賛美 : 新聖歌467「世の終わりのラッパ」(会衆一同)
献金
献金唱 : 新聖歌57「このささげものは」
感謝祈祷 : (信徒代表)
頌栄 : 新聖歌63「父 御子 御霊の」(会衆一同)
祝祷 : (牧師)
後奏 : (奏楽者)
報告 : (司会者・他)

■教会だより(要約)
・本日の午後は、各部会です。伝道部は持ちます。他の部も必要に応じてお開き下さい。
・自宅訪問を希望の方は、教会スタッフまでお申し込み下さい。
・来週の午後は、役員会です。各部の議事をM兄にお渡し下さい。
・聖書の学びや洗礼を希望する方は、牧師までお伝え下さい。
・K.T姉は、先週退院されました。さらなる癒しと回復をお祈り下さい。
・受験シーズンとなりました。主が最前の道を開いて下さるように、当教会受験生3名の為にお祈り下さい。

【今日の予定】
聖歌隊 午後12:30
各部会 午後1:30
第四礼拝 午後7:30

【今週の予定】
1月22日(火)教団キャンプ委員会 午前11:00
1月23日(水)スタッフ・ミーティング 午前10:30
1月24日(木)祈祷会 午前10:30/午後7:30
1月26日(土)早天祈祷会 午前6:30

【来週の予定】
第一礼拝 午前7:30
第二礼拝 午前9:00
第三礼拝 午前10:30
役員会  午後1:30
第四礼拝 午後7:30

掲載者:齊藤

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講壇の花

2008年01月20日 | 生花

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
マルコによる福音書13章13節

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主日礼拝説教要約

2008年01月13日 | 説教要約

2008年1月13日・主日礼拝

「信頼による献身」 マルコによる福音書12章41~44節

 神を礼拝する神殿の婦人の庭に、大勢の人の中、一人の未亡人が祈り献金をささげていました。この箇所を通して、御言をいただきましょう。

Ⅰ 主なる神様にささげる
 主イエスは、レプタ二枚(レプタはデナリの128分の1)をささげるこの婦人をよく見ておられ、よく知っておられました。その日暮らしの彼女の生活と日々の歩みまでです。主イエスは、ささげる者のすべてを知っておられるのです。そして、主イエスは、この女性の信仰によるささげものを喜ばれました。
 
 この女性のささげものの行為は、主なる神にささげられたものでした。どうして主なる神にささげものをするのでしょうか。一つにそれは、神が私達の主なる神であるからです。二つにそれは、神の救いと恵みへの感謝の応答をするからです、三つにそれは、私達のすべてのものは神のものであり、そのことをささげものによって表明するからのです。

Ⅱ ささげる者の姿勢
 この女性は、「生活費全部をささげた」とあります。それも、彼女は惜しむ心からではなく、強いられてでもなく、自ら祈り決めたものを自発的にささげたのです。「生活費全部」とは、主なる神への信仰と信頼による献身がなければできないでしょう。
 
Ⅲ ささげる者を祝福される主なる神
 彼女のその後のことは、聖書に記されていません。しかし、聖書の他の箇所を見る時に、ささげる者に対して、「神が天の窓を開いてあふれる恵みを、あなたに注ぐ」「あらゆる恵みを豊かに与え、常にすべてのことに満ちたらせ、すべての良いわざに富ませる」とあります。彼女は祝福を受けたに違いありません。

 私達のささげる姿勢も、すべてを満たしてくださる主なる神への信仰と信頼であらせていただきましょう。

2008/1/13 説教者 杉本守

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天のマナ

2008年01月13日 | 天のマナ

会堂

「私と神様の一本の線」 「すべては信仰によるのである」(ローマ4章16節)。

 昨年持たれた韓国キャンプでの一人の姉妹の証詞を記します。
 
 WH連中高生キャンプ韓国ツアーに参加できたことを心から感謝します。軽い気持ちで申し込んだキャンプでしたが、教会の皆さんに祈られ、支えられて参加することができました。

 しかし、最初のうちは、文化の違い、言葉の壁、食事などに馴染めず、「早く日本に帰りたい!」と思っていました。韓国で出会った友達は、とても親切で声をかけてくれるけど、その行為を素直に受け取ることができませんでした。そんな中キャンプのスケジュールは進んでいきました。キャンプの最後の夜の集会で、韓国の友達との賛美や祈りの時、そのあまりの激しさに、「正直ついていけません、神様!・・・・」と思いました。

 まわりを見ると日本の友達までも涙を流していることに気付き、私の信仰の薄さを痛感しました。その後、日本チームだけの集まりが持たれました。キャンプの感想をひとりひとり話したのですが、みんなの話を聞いているうちに、みんなには私の持っていた「理解による信仰」ではなく、「心からの信仰」があることに気付かされました。

 このキャンプを通して私は「神様の愛」を頭ではなく、肌で感じることができました。心から神様を愛し、賛美、祈ること、私と神様との「一本の線」を大切にしていきたいと思いました。

2008/1/13

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