静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2023年04月30日 | 天のマナ
 「ひとりひとりに留まり導く神」
 先週に「枝55号」が発行され、配布されました。早速、読まさせていただきました。7名の兄姉が救いの証し、日々の生活の中での主の恵みを体験したこと、今までの人生の中で頂いた主の恵み、不安な時に頂いた主の言葉による励ましなどを記され、豊かな内容でした。
 読ませていただく中で、主なる神は、なんと素晴らしい方なのかをつくづくと感じました。主なる神は、ひとりひとりの状況に応じて、ひとりひとりの心の状態に応じて、ひとりひとりの置かれた立場に応じて、アプローチの仕方を変え、懇ろに、ある時には取り扱い、ある時には慰め、ある時には励まし、またある時には抱きしめて平安を与え、ひとりひとりに特別な導き方をしていることに気づかされました。時に、必死で自分のことでいっぱいになり、自分ひとりで信仰の歩みをしているかのような思い違いをしますが、兄姉がしっかりと主を見上げ、信仰生活を歩んでいらっしゃることを聞かせていただき、主の御名を崇めました。二度目はじっくりと読みます。「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」
(使徒言行録2章3節)。主の恵みは、ひとりひとりの上にあるのです。

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天マナ

2023年04月23日 | 天のマナ
 「喜びが溢れる教会」
 主なる神より三人の子供を授かりました。子供たちを育てる中で私たち夫妻は、「『教会って楽しいから、お友達を呼びたい』と子供たちが思える教会にしたい」という考えで教会学校をしていました。今の子供たちはどうでしょうか。子供たちだけではなく、大人の私たちは喜んでいるでしょうか。もちろん楽しさは、多面的であります。リクレーションの楽しさから、食を共にする嬉しさ、心からささげる賛美の喜び、み言葉の恵みによる満たし、共に祈る平安までです。主によって教会から一週間派遣されていく時(教会堂の玄関を出る時)、喜びと感謝をもって、「一週間精一杯やってくるよ~」また、「教会って楽しい、エネルギー(命)をいただけるから、友人をさそって来よう」と言える私たちひとりひとりであり、送り出す教会であらせていただきたいのです。
「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」(フィリピ2章2節)
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天のマナ

2023年04月16日 | 天のマナ
 「主により健全な者とされて歩む」
 ネヘミヤ2~3章にて、神はネヘミヤを指導者に立て、神の民と共にエルサレムの城壁再建を始められました。多くの神の民がこの働きに携わりました。彼らは、各自の家に面している城壁を修復したのです。目の前にある「壊れた部分」を直したのです。何か大きなことをしなければならないと思い、尻込みをしてしまわず、目の前のできることから成し始めたのです。そして10の門とそれを繋ぐ城壁が再建されていったのです。
 私たちの心の城壁はいかがでしょうか?自己卑下、劣等感、トラウマなど、悪魔によってすっかり壊されたり、歪められていないでしょうか。そのことに気づいたら、ありのままの自分を認めその自分を主の前に告白し、全てを主の前に持っていけば良いのです。主は私たちをしっかと受け止め、み言をもって何度も、何度も、語り掛け触れて下さいます。そして私たちもそのみ言を何度も何度も心をが厚くなるまで味わいますと、主の癒しと解放、そして新たなる命と力が与えられ、心の城壁を再建され、健全な者となっていくのです。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(新改訳:イザヤ書43章4節)
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天のマナ

2023年04月09日 | 天のマナ
 「神の業なる福音(良き訪れ):キリスト教の驚き」
 イエス・キリストの驚きを五つ記させていただきます。
 一つ目は、イエス・キリストは神の独り子でありましたが受肉(肉体をとり)され人となりました。イエス・キリストは、真の神であり真の人であります。
 二つ目は、イエス・キリストは罪なき方でありましたが、十字架で全人類の罪を負い、全人類の身代わりとなり、父なる神の罪に対する裁きを一身に受けられ死なれました。
 三つ目は、父なる神は、イエス・キリストを死から復活させました。イエス・キリストは復活の体をもって天に帰られて今もそして永遠に生きておられます。
 四つ目は、父なる神は、イエス・キリストを復活させたように、イエス・キリストを救い主と信じる者を復活させて下さるのです。
 五つ目は、イエス・キリストはこの世の終わり(終末)に、再びこの世に来られ、イエス・キリストを信じた者達を永遠の神の国に入れて下さるのです。
 イエス・キリストにより、「死は勝利に飲み込まれた」(Ⅰコリント15章54節)のです。
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イースターの生花

2023年04月09日 | 生花
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天のマナ

2023年04月02日 | 天のマナ
「主イエスの愛があふれ出る十字架上の七つの言葉」
 私たちは受難週を迎え本日は棕櫚の主日です。ロバの子に乗って主イエスはエルサレムに入場し、群衆は自分の上着や棕櫚の枝葉を道に敷き、「ホサナ」(意味:今、救ってください。後に賛美に伴う感嘆詞となる)と叫び迎えました。その4日後主イエスは、ユダヤ人の指導者たち(祭司長、律法学者)やローマ兵により、十字架につけられました。主イエスは、全人類の罪を負い、全人類に代わって神の裁きを十字架上で受けられたのです。その十字架上で七つの言葉を叫ばれました。第一声は、「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているかわからずにいるのです」という自らを十字架につける者達への赦しと執り成しの祈りでありました。2番目は、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園(パラダイス)にいる」の言葉で、隣に十字架につけられた強盗への救いの宣言でした。3番目の「女よ、見なさい。あなたの子です」「見なさい。あなたの母です」は、母マリヤの今後の歩みを配慮する愛の言葉でした。4番目は「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」という神に捨てられた叫びは、主イエスがまさしく全人類の罪を負われた事実を示しています。5番目の「渇く」は、主イエスの十字架が空想ではなくリアル(現実)のものであることを示します。6番目の「成し遂げられた」は、十字架において人類の罪の贖いは完了し解決されたということです。最後の7番目の言葉は「父よ、私の霊を御手に委ねます」で、主イエスは最後の最後まで父なる神を信頼し身を委ねたのでした。この7つの言葉が私たちの胸に響きます。
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