静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2012年05月29日 | 教会案内

「黙想を始める」  「全地はそのみ前に沈黙せよ」(ハバクク書2:20)

  先週の牧師研修会にて、多くの恵みをいただいてきましたが、その一つに「黙想する」ことの恵みを教えていただきました。「黙想」とは、ただ神の語りかけに耳を傾けることです。デボーションの終わりにしてもよいし、他の時でもできる時間にします。

  まずは、呼吸を整えます。静かな場所で5~10分呼吸を声に出さずに数えます。心が静かな状態になったら、「主よ、お語りください」とだけ心の中で祈り、主からの語りかけを5~10分待ち望みます。主がみ言葉を思い出させ平安を与えてくださったり、示唆を与え思いを動かしてくださったり、知恵を与え歩む道を示してくださったりするのです。講師の牧師は、56歳から始められて30年近く、主との交わりがより深くされていると語っておられました。

 始めからは思うようにはいかないようです。わたしもここ三日しておりますが、ついつい他のことの考えが入ってきたり、あの音は何だろうとか、主の細き御声が私のうちに響く前に終わってしまいます。難しいものです。だからやめてしまってはもったいない、やり続ける中で習得されていくことなのでしょう。私の課題です。

2012/5/27

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主日礼拝説教要約

2012年05月27日 | 説教要約

「聖霊なる神の降臨」 使徒行伝2章1~4節

 本日は、ペンテコステ礼拝です。聖霊なる神が降り、教会がスタートした喜びの日です。

 神の独り子なるイエス・キリストが、この世界に来られた時もスペシャルな方法で来られました。処女降誕であり、大きな星が照り、天使が大合唱したのです。聖霊なる神がこの世界に降られた時も、それに伴う不思議な三つの超自然的なしるし(現象)が起こりました。激しい風が吹いてくるような大きな響き、炎のように分かれた舌が現れ、一人一人の上に留まる、御霊のままに他国の言葉で話し出すことでした。

 聖霊は、「風」や「火」にもたとえられ、「風」は「息」とも訳されます。聖霊の降臨は、彼らに霊的命を与えきよめたのではないでしょうか。そして宣教のための特別な賜物は、世界宣教へのしるしでありました。

 今は聖霊の時代です。私達も内にいただいている聖霊に満たされて歩みましょう。

2012/5/27 説教者 杉本守

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講壇の花

2012年05月27日 | 生花
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天のマナ

2012年05月20日 | 天のマナ

 「あなたがたが神に選ばれた者であることはわたしたちが知っています」

 本日、メッセージを取り次いでくださる工藤牧師が井土ヶ谷教会で出されている聖書日課「こころのごはん」からの抜粋です。

 「運がいいのではない」(4月15日 Ⅰテサロニケ1章)。

 私たちは「神に選ばれた者」です。1人ひとりは偶然に教会に来たのではありません。神の深いご計画の中で、神に選ばれているのです。また生かされているのは、使命がある証拠です。一般の選びは素材を選びます。例えば、八百屋は少しでも新鮮な野菜を店頭に並べます。魚屋は少しでも鮮度のいいものを市場で仕入れます。ところが、神の選びは「無きにひとしいもの」(Ⅰコリント1:28)を選びます。「なぜ自分なんか選ばれたのだろう」と疑問に思うかもしれません。しかし、神には神のお考えがあります。神のなされることは人間には理解できないことが多いのです。春になると一斉に花を咲かせます。しかし、すべての花が咲くわけではありません。花は自分の咲く時を知っています。クリスチャンもそれぞれ違った時期に開花します。他人と比べる必要はありません。

「あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハネ21:22)。

2012/5/20

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講壇の花

2012年05月20日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2012年05月13日 | 説教要約

「心を合わせて祈る」 使徒行伝1章12~14節

 主イエスの昇天後、弟子達はエルサレムへ帰り、屋上の間に集まり祈っていました。彼らは、どんな祈りをささげたのでしょうか?

Ⅰ み言葉による信仰の祈り

 彼らは、主イエスの言われた約束の言葉を信じ、聖霊なる神の注ぎを信じて祈っていました。エルサレムを離れないで(4)。都にとどまっていなさい(ルカ24:49)との主イエスの命令です。彼らの祈りは、御言葉に土台した祈りでした。

Ⅱ 一致した祈り
  そこに集まっていた人達は、11弟子をはじめ、婦人たち、イエスの母とイエスの兄弟達でありました。信仰をもって従い続けた婦人たち、最初イエスを正しく理解することができなかったが、後に主イエスを救い主と受け入れたイエスの兄弟たち、失敗をしてきた11弟子たちがいました。気まずい過去がある者達もいましたが、お互いに悔い改めあい、赦しあい、心を一つにして祈り続けていました。

Ⅲ ひたすらな祈り
  また彼らの祈りは、さらに「ひたすらな」祈りでありました。「間もなく」という約束でしたが、聖霊が降るまでに昇天後10日かかりました。この10日間は、神は彼らの心が一つになるのを待っていたのではないでしょうか。

 祈りは、教会が形成される上で宣教がなされる上で人間がなしえる最大の準備であります。み言葉を信じた、一致した、ひたすらな祈りがささげられていく中で、聖霊は注がれたのです。すでに聖霊は注がれています。私達は、弟子達のような祈りをささげ、聖霊に満たされたいのです。

2012/5.13 説教者 杉本守

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天のマナ

2012年05月13日 | 天のマナ

 「静まって」

 一日の終わりに日記を再びつけ始めました。主イエスの恵みを数えるために、また、後日、主イエスの恵みを思い返すように。これが、なかなか良いのです。気を静めて有意義な時間です。一日忙しくしておりますと、「あっ」と言う間に、お昼になり、そして夜を迎えます。「あれもやらなければ、これもだ」とバタバタと動いてしまいます。

 一日の充実感を持つために必要なことは、一日中動き回ることでしょうか。朝の10分でもいいですから、主の前に静まり、み言葉を読みお祈りをする。そして、お茶(コーヒーでも)を飲みながら一日の段取りをする。一日終わる時の10分、今日のみ言葉を思い出し、今日一日を振り返り、ひと言日記を書く。一日24時間、1440分中の20分でも、30分でも、主の前に静まる幸いを得たいのです。格段に一日が変わり、心の豊かさが違います。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46篇10節)

2012.5.13

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講壇の花

2012年05月13日 | 生花
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主日説教要約

2012年05月06日 | 説教要約

「天に昇られた主イエス」 使徒行伝1章1~11節

  40日間にわたって、弟子達に復活された主イエスは自らを現しました。そしてその使命を終え、天に昇られます。

Ⅰ 聖霊が降る

  なぜ、主イエスは昇天されたのでしょうか。それは使命である救いの業、贖いの業を十字架と復活によって成し遂げ、罪とその結果の死の解決を終えられたからです。また、聖霊が降られるためには、主イエスが昇天される必要がありました。ヨハネによる福音書14~16章の主イエスの最後の説教からわかります(ヨハネ14:16、15:26、16:7)。

  聖霊が降られる(使徒1:8)とどのようなことが起こるのでしょうか。聖霊なる神の働きは、イエスが救い主であることを示し、罪と義(救い)と裁きについて人々の目を開く(ヨハネ16:8,13)ことです。また、聖霊は、信じる者のうちに注がれ満たし、キリストの証人となる力を与えます。この力は、私達の存在をきよくし御霊の実を結ばせ、私達の行動に強さ与え御霊の賜物を豊かにし、キリストを証しさせるのです。

 Ⅱ 主イエスの再臨

  主イエスは、弟子達の見る前で、オリブ山から天に昇られ、雲に迎えられ、その姿が見えなくなりました(9)。天を見続ける弟子達に、神のみ使いが現れ彼らに主イエスの再臨を語りました。天にあげられた主イエスは、あなたがたが見たのと同じ有様でまたおいでになる。主イエスは、人間の目に見える姿でこの地上におりて来られるのです(Ⅰテサロニケ4:16~)。 

  この主イエスを、マラナタ(われらの主よ、きたりませ)との信仰をもって待ち望み、地上に置かれている間は、聖霊に満たされ力を受け、キリストの証人として用いられましょう。

2012/5/6 説教者 杉本守

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天のマナ

2012年05月06日 | 天のマナ

 「お祈りをさせていただいてよろしいでしょうか」   「絶えず祈りなさい」(Ⅰテサロニケ5:7)

 5月4日(金)に、9名の兄姉で入院しているO姉を訪問いたしました。賛美をささげ、み言葉に共に耳を傾け、O姉と牧師でお祈りをささげました。O姉は顔色もよく、ベットに起き上がって私達の訪問をとても喜んで下さいました。主イエスを中心とした交わりの素晴らしさを体験したひと時でした。O姉のしっかりした信仰の祈りに訪問した私達が励まされました。

 O姉の隣りのベットには、骨折しコルセットをはめて、横になっている一人のご老婦人がおられました。私達大勢の訪問も受け入れてくださり、賛美、み言葉、祈りを、静かに聞かれていました。帰り際に私もお礼を含めて声をかけさせていただきました。「首はいかがされたのですか?大変でしたね」と、その方は、「転んで首を骨折したことなど」を話してくださいました。「牧師ですが、お祈りさせていただいてよろしいでしょうか?」と言いますと、「はい、お願いします。どうしたらいいでしょうか?」「黙祷の姿勢で心を合わせてくだされば」と会話が続き、主イエスの癒しと心の平安をお祈りいたしました。嬉しそうにしてくださいました。

 2012/5/6

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