静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2014年06月29日 | 説教要約
「神によって心をきよくされる」ヘブル人への手紙12章14節

「きよくなければ、だれも主を見ることができない。」(14)

 新築の家に、泥だらけの靴のままで上がったらどうでしょうか。家主からは「やめてくれ」と言われるでしょうし、自分も「これはいけない」と思うに違いありません。
 神の国はきよいところであります。私たちはきよい神の国にふさわしい者でしょうか。自分の心を見てみましょう。罪あるままの人間では、到底きよい神の国に入ることができません。聖書は、義人はいない一人もいないといっています。あなたも私も罪人です。このままでは神の国に入れません。それどころか永遠の滅びです。
 ではどうしたら、心がきよくなるのでしょうか。日本人なら、修行をすればよいとか、善行をすればよいという答えがでてくるでしょう。しかし、罪深い人間がいくら努力しても、そんなことで罪は消えません。罪の支払う報酬は死であると聖書は言います。命が払われなければ罪はゆるされないのです。それも罪を犯したことのない者のいのちです。つまり、神のひとり子である罪のないイエスが、十字架で人の罪を負い身代わりとならなければ、罪はゆるされないのです。すでにイエスは十字架に掛られました。そして復活されました。この方は今も生きていて、罪を悔い改め、神に立ち帰る者の罪を赦し神の子とし永遠の命をくださるのです。イエスによって人はきよくなり神の国に入れるのです。イエスを救い主と信じ、悔い改め罪ゆるされ、神の国に入れる者とされましょう。

 2014/6/29 説教者 杉本守
 


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天のマナ

2014年06月29日 | 天のマナ
「救い主イエスと共に歩む幸い」

 先日、ある姉妹を牧師夫人と共に訪問いたしました。ご主人もおられ、幸いな交わりの時をいただきました。私たちの顔を見ると、すぐに「先生、ありがとうございます」と何回も繰り返され、涙を流され喜んでくださいました。一通り今の状況を聞かせていただいたあとに、「賛美をいたしましょう」と私が言いますと、その姉妹が間髪入れずに340番を歌いだされました。
「救い主イエスと 共に行く身は 乏しきことなく 恐れもあらじ イエスは安きもて 心足らわせ 物事 全てを 良きになし給う 物事 全てを良きになし給う」と。
 暗唱されている1~3節まで歌われました。もちろん私たちも共に声を合わせました。

 病に倒れてからすでに1年半、左半身は動かすことができず、戦いの中で一日のほとんどをベットの上で過ごされていながら、「イエス様と歩む人生はどんな状況にあっても平安です。すべての事を良きにしてくださっているから」と告白できることは、本当に神によって魂が救われているからであり、本当に神と共に歩んでおられるからであります。一部始終を見て聞いておられるご主人にも、確実に福音が伝わっていることも感謝です。


2014/6/29
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講壇の花

2014年06月29日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2014年06月22日 | 説教要約
「神に支えられる人生の幸い」 詩篇94篇12~23節 

「しかし、『わたしの足がすべる』と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみはわたしをささえられました。」(18)

 この詩は、神の義による支配と裁きを求めるものであります。1節の「あだ」とは、神の民を圧迫する諸外国なのか、弱い者を圧迫する国内の支配階級なのかはっきりしませんが、いずれにせよ、神の義による支配と裁きを祈っています。

Ⅰ 神を畏れない者と畏れる者
 3~7節には神を畏れない者の姿があります。高慢で不義を行い、やもめや旅人などの弱い者を虐げ、主は見ていない、主は気づいていないと神を侮っています。それに対して詩人は、8節に神は聞いている、神は見ていると語ります。神の懲らしめを受け主のおきてを学ぶ者は幸いですが、神の懲らしめを軽んじる者は裁かれるのです。

Ⅱ 神を畏れる者を支えられる神
 神を畏れている者も、時には足がすべるような経験をします(18)。また、私たちの内に思い煩いが満ちる時があります(19)。しかし、そのような時にこそ、主のいつくしみ(めぐみ)が豊かにあり、私たちを支えられるのです。ですから、追い詰められた時こそ、神が私たちの気持ちを静めてくださり、潤いとゆとりを与えてくださるように求めていきたいのです。

 主を畏れ、主の前にへりくだり、主にこれからの人生も支えていただきましょう。

2014.6.22 説教者 杉本守
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天のマナ

2014年06月22日 | 天のマナ
「救いに確信を得る」

 教会の年間誌「枝」を読みました。救いの証し、きよめの証し、愛修会の恵みの分かち合い、シメオン・セルの5名の兄姉へのインタビューと内容がとても濃く、主の御名をほめたたえるものでした。洗礼式の時に読まれた信仰告白、救いの証しがこのようにまとめられて載せられていることは、とても大切なことです。

 救いの確信を得るためには、①信仰をもう一度整理して信仰を確かめ告白する。これは信仰告白を整理(救われる前、救われた時、救われた後)して書いてみるのです。②救いのみ言葉を握る。信仰の土台を自らの感情や行為に置くのではなく、救いのみ言葉に置くのです。感情や行為には上がり下がりがありますが、み言葉は変わりません。救いのみ言葉を忘れた方は、聖書からいただき離さないようにしましょう。③悔い改めが示されているなら罪を悔い改め赦されましょう。 

「信仰に立って、いのちを得る者である」(ヘブル10:39)

2014.6.22
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講壇の花

2014年06月22日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2014年06月15日 | 説教要約
「全世界を治める永遠の真の神」  詩篇93篇1~5節

 「主は高き所にいらせられて、その勢いは多くの水のとどろきにまさり、海の大波にまさって盛んです。」(詩篇93篇4節)

 この詩篇は、神の世界統治をたたえている讃歌です。
 宇宙、世界の王とは誰でしょう。教会の王とは誰でしょう。私たちの人生の王とは誰でしょう。

Ⅰ 全世界(全宇宙)の王なる神
 地上の王は、きらびやかな衣や装飾品を身に着けて、王の威厳をあらわしています。しかし神は、そういう物によってではなく、威厳、威光、力そのものが神の衣であるのです。また地上の王たちの統治は一時代一地域でありますが、神の統治は永遠から永遠まで全宇宙、全世界を治めている方です。さらに地上の王は軍事力によって支配しますが、神は聖によって支配されます。

Ⅱ 世界は動かされない
 天地創造からこの世界は、神によって堅く立てられています。当初だけではなく、この世界の歴史は、神によって導かれ神のご計画がなされています。どんなに悪が栄えてるように見えても必ず悪は滅びるのです。ですから、いたずらに不安になることはありません。神にある者は動かされないのです。

 この全宇宙を永遠に支配しておられるこの真の神にしたがっていきましょう。

2014/6/15 説教者 杉本守
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天のマナ

2014年06月15日 | 天のマナ
「ワールドカップに思う」

 ワールドカップが始まった。各国の選手たちは、必死で勝利を目指して果敢に攻め守っている。しかし、勝負の世界は厳しく、活躍すればヒーローとして称賛され(しかしその称賛も忘れられていくが)、しくじれば非難の的となる。行動やその結果で評価されてしまう世界である。
 しかし、信仰の世界は違う。行動ではなく存在が大切なのである。神は、神の作品である私たちの存在を喜んでくださり、愛して下さっているのである。たとえ失敗し挫折するようなことがあっても、その愛は変わらない。「あなたの失敗や挫折なんてすでに折込済み。その上で愛しているのだ」と微笑んでおられる。そんなに受け入れられて赦され愛されているのだから、キリスト者である私たちはもっと喜び、この愛に応えさせていただきたいのである。
「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」(ローマ5:8)

2014/6/15
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講壇の花

2014年06月15日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2014年06月08日 | 説教要約
「聖霊なる神に導かれる」 使徒行伝15章22~35節 

「すなわち聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。」(使徒行伝15章28節)

 エルサレム会議の後半より、主のお言葉をいただきます。ペテロ、バルナバ、パウロの後、エルサレム教会の指導者でありましたヤコブが総括して語りました。それを会衆は承認し、代表者を選び、彼らにエルサレム会議での結論を書面にして、アンテオケに派遣をしたのでありました。

Ⅰ 聖霊と私たちは決めた(28)
 教会は、牧師や信徒の考えや願いだけによって進められていくのではありません。教会は、聖霊なる神によって導かれています。自分たちの何かではある以上に、神のみ心が大切であります。ペテロは、「救いは神の恵みであること」を「神が・・神が・・」とそれを神の御心であり聖霊の導きであることを強調しました。ヤコブもアモス9:11,12を引用し、神の計画にあると語りました。この会議での結論は、聖霊の導きの下には、何人もそれに従うという謙遜な魂をもっていたからこそ、互いに一致する結論に達したのでありました。そうして、福音の本質が正しく認識され、福音が異邦の地に宣教される神学的基盤が確立されたのであります。

Ⅱ 決められた内容
 決められた内容は、異邦人も救われるためには律法を守る必要はなく、主イエスの恵みによって救われることであります。
 そして、救われた者同士、お互いの信仰の表現の違いを乗り越えて教会の交わりが続けられるために、特にここでは、ユダヤ人クリスチャンに愛の配慮としての四つの項目をあげたのでありました。

 聖霊なる神の導きに従ったからこそ、教会は神のみ心に沿って歩むことができました。私たちの教会もそうありたいのです。

2014.6.8 説教者 杉本守
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