静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2019年11月24日 | 天のマナ
 「気が付かされ成長していく次世代」
 次世代のためにお祈りとささげものをありがとうございます。本日配布されました「次世代プロジェクトニュースレター」に、萩園教会の村岡真朝姉(高校生)の恵みの分ち合いが記載され、次のような文章に目が留まりました。
「今まで、試練があるたびに、神さまは試練ばかり、辛いことばかりさせると言って、なにか試練があるたびに、神様これを助けてください、神様こうして下さいと祈ってばかりでした。ですが神様は、メッセージを通して、期待を持ってイエス様を求めないでほしい、ただあなたの御心を持ってイエス様を求めなさい、と言って下さいました。そしてマタイ16章24節の言葉が与えられました。『誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私についてきなさい』」。
 自らの願望ではなく、イエスの御心に沿う祈り、イエス様の御心に沿う歩みを願う者にされていく姿を、彼女の証しから知り、嬉しくなりました。
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天のマナ

2019年11月17日 | 天のマナ
 「主イエスが共にいて下さる勝利」
 木曜日の夜の祈祷会で、一人の姉妹が、アパ・ルームを用いてのデボーションから頂いた主の恵みを、分かち合ってくださいました。その中で、次の文章が心に留まりました。
 「勝利は困難がなくなることではありません。勝利はあなたの困難の中に神様がいて下さることです」。
 この世にては悩みがあります。しかし、私たちはすでに勝利を取って下さった主イエスがいて下さるので、心配はありません。勝利の主が私たちにも勝利を与えてくださるので、敗北はありません。あるのは平安と勝利であります。
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦、苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない」(詩篇46篇1~2節)。
 前に海、後ろにエジプト軍、しかし、目を上げるとそこに主なる神がおられ、海は分けられ、エジプト軍は滅びたのでした。


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天のマナ

2019年11月10日 | 天のマナ
 「主から与えられている賜物」
 先日の教団主催の大人青年キャンプと教区女性大会で、講師が「賜物」についてメッセージと講義をして下さり、多くの主の恵みをいただきました。
 賜物と才能は異なり、賜物は神を信じ救われたクリスチャンにのみ与えられているものであり、すべてのクリスチャンが一つ以上与えられているものであります。そして、この賜物は、自己達成や自己実現のためにではなく、主の栄光があらわれるため、教会を立て上げるために用いられ、賜物に優劣はなく、主からいただいている愛によって用いられていくのであることが語られました。その後、ワークシートをしながら、それぞれが自分に与えられている賜物(管理、使徒、クラフトマンシップ、芸術、識別力、励まし、伝道、信仰、与えること、助け、もてなし、とりなし、知識、リーダーシップ、憐れみ、預言、牧会、教育、知恵)を確認し、主に仕えること、主の体なる教会に仕えることを祈りました。
「そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神の住まいとなるのである。」(エペソ2:22)
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天のマナ

2019年11月03日 | 天のマナ
「神のみ言葉の深さ」

 先週の特別集会において、神のみ言葉の深さと恵みの深さを頂くことができまして感謝いたします。よく読まれ語られるマルタとマリヤの個所からでした。
 この個所を従来の視点から捉えますと、「働きをする前にまず静まって神の言葉を聴く大切さ」が語られてきました。また、別の視点からは、「自分のやり方で主に喜んでいただこうではなく、主の御心に沿ったやり方で主に喜んでいただく大切さ」も語られてきました。今回は、さらに別の視点から、「何をした(み言葉に聴く、接待をする)かではなく、いかにあった(自分のため自分の栄光のため、主イエスのため主の栄光のため)かというのが大切である」ということでした。マルタは、いつの間にか主イエスのため主イエスの栄光のためという軸がブレ、自分のために自分の栄光のためになってしまい、その結果、心を乱し、主イエスに対して文句を言ってしまったのです。マリヤは、主イエスのため主イエスの栄光のためという軸からブレず、主イエスのため主の栄光のためというよい方を選び続けたのでした。三つの視点から神の言葉なる聖書の奥深さを知るのです。
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