静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日説教要約

2010年12月26日 | 説教要約
「主を喜ぶことはあなたがたの力です」ネヘミヤ8章1~12節

 2010年を振り返り、この御言葉がどのように教会に、私達一人一人の歩みになされたかを、数えてみましょう。

Ⅰ 主のみ言葉によって生きる
 バビロンから解放された神の民は、神殿、城壁を完成させました。神の民は、外側ではなく、新しいスタートに際して、内側の再建、神の民としてふさわしくあるために、み言葉(モーセの律法)に6時間以上聞き入ったのでした。そして、「アーメン、アーメン」と地にひれ伏し応答したのでした。

Ⅱ 主を喜ぶことによって歩む
 神の臨在の中に語られた神の言葉によって、自らの今までの罪を示され、また神の深い憐れみを知り、彼らは泣いたのです。その民にネヘミヤは、「この日は聖なる日であるから、泣くことをやめなさい」と語り、泣くのではなく、主を喜びなさいと述べたのです。

 この年、私達は「力」をました。主を喜び、主をほめたたえたからでありました。主は真実であり、教会の歩みに、一人一人の歩みに、このみ言葉のごとくなしてくださいました。主を喜ぶことの幸いを体験したことに感謝いたしましょう。

2010/12/26 説教者 杉本守
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天のマナ

2010年12月26日 | 天のマナ

 「この一年の恵みを振り返りつつ」

 

 神の家族である私達の教会に、今年は2名の方々が洗礼を受け加わりました。そして、すでに数名の霊的な命を宿していて、洗礼という誕生を待っています。来年のイースターを楽しみにしています。また、この約一年で2名の方々を天に送りました。

 神の家族である私達は、寂しさをおぼえないわけではありませんが、それ以上に天への希望を持ち、神の国をより身

近に感じるようになっています。教会の使命としては、洗礼に導くことと共に、確実に天国に送り出すことの大切さを思うのです。

 今年も神の家族の兄弟姉妹と一年共に歩めたことを感謝し、新年も共に手をつなぎながら神の国を目指して、与えられた使命を果たしつつ、主イエスの恵みに満たされ導かれて行こうではありませんか。神の家族の一人一人に感謝いたします。 「信仰の導き手であり、その完成者であるイエスを仰ぎみつつ」(ヘブル12:2)

 

2010/12/26

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玄関の花

2010年12月26日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2010年12月19日 | 説教要約

「この世界に来られた神」 ヨハネによる福音書1章14~18節

 ヨハネによる福音書1章は、主イエスの弟子ヨハネとバプテスマのヨハネが、救い主イエスを紹介しています。主の弟子であるヨハネは、イエスを「人となられた神、恵みとまこととに満ちている神」と証言しています。

Ⅰ 人となられた神

 主イエスは、「言」と記されています。まさしく「言」は、父なる神の御心、意志そのものであることをあらわしています。主イエスはまさしく100%父なる神に従われた方であります。主イエスを見れば父なる神がわかります。また主イエスは、永遠の神であり、父なる神と一つであり、すべてのものの創造者であります。この方が、肉体をとって人となられたのです。自らを低く貧しくし、自らに制限を与え、神のあふれ出る栄光をしまい込んだのです。しかし、神の栄光はほとばしり出ておりました。「宿る」は天幕を張る、滞在するということです。なぜ、そこまで子なる神イエスはされたのでしょうか。それは私たち人間を救うためであります。

Ⅱ 恵みとまことに満ちている神

 3年間、主イエスと共に歩んだヨハネは、主イエスと共に、あの十字架の下にまでも共にした者です。彼は、主イエスの生涯の中で、イエスからほとばしりでる神の恵みとまことによって、イエスに出会う人々が救われていくのをみたのでありました。そして、自らもその主イエスの救いを受けた一人として紹介しているのです。

 あなたはどのように主イエスを知り出会い、交わりをもっているでしょうか?このクリスマス、この方をヨハネのように体験し紹介して歩みたいのです。

2010/12/19 説教者 杉本守

 

 

 

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天のマナ

2010年12月19日 | 天のマナ

「神がくれたプレゼント」

 

 阪神タイガースのマット・マートン選手を皆さんは知っているでしょうか?今年のプロ野球で大活躍をした選手で、なんとシーズンで214安打を打ったのです。それもあのイチロー選手がもつシーズン最多安打記録(210安打)を超えたのです。

 

 2010年10月5日の神宮球場で行われたヤクルトとの対戦で、歴史的に残るだろう瞬間を目に焼き付けようと、観客の視線が注がれる中、センター方向に打球が飛びヒットとなりました。球場全体からわき起こる大歓声、テレビで観ていた日本の人たちもついに記録が塗り替えられたと思ったことでしょう。マット・マートン選手は一塁ベースに立ち、静かに「自分を日本に導き、この大記録を達成させてくださった神を誉め称えるため」両手の人差し指を天に向けて高く上げたのでした。神がくれた「214本」のプレゼントでした。

 

 彼は熱心なクリスチャンで、日曜日はできる限り、神戸市内の教会の礼拝に出席します。その信仰の表明がクリスチャン新聞「福音版」に記載されています。 

 

私達も手をあげて、共に主をこのクリスマスに崇めましょう。

 

2010・12・19

 

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メリークリスマス

2010年12月19日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2010年12月12日 | 説教要約

「共にいます神」 マタイによる福音書1章18~25節

 クリスマスは、神のメッセージへの驚き、それに対する信仰、そして神をほめたたえる賛美の連続です。

Ⅰ 共におられる神

 神は、なぜその独り子なる主イエスをこの世界に送られたのでしょうか?それは、私達人間と共にあるためであります。「共にいる」ということは、まさしく私達人間への愛のあらわれです。それほど私をたちを愛しておられるのです。今も父なる神の右の座におられますが、聖霊なる神を通して、世の終わりまで私たちと共におられるのです。マタイによる福音書は、インマヌエルの神を1章から28章まで豊かにあらわしています。

Ⅱ 共におられる神の恵み

 共におられる神はどのような神でしょうか。それは真実な神であります。約束を預言を成就する方であります。また、罪から私達を救う神であります。「彼は、おのれの民をもろもろの罪から救う者となるからである」とあります。

 共にいてくださる救い主を、今年のクリスマスも体験させていただきましょう。

2010/12/12 説教者 杉本守

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天のマナ

2010年12月12日 | 天のマナ

 「神の家族として迎える」

 

 先週の礼拝後、一人の姉妹の洗礼式のビデオを流しました。洗礼式を兄弟姉妹に見ていただき、神の家族として西澤姉を迎え、洗礼の喜びを共にするためでした。

 

 一番後ろの席で私は、兄弟姉妹を見ながら、ビデオを観ていました。兄弟姉妹が、ビデオの洗礼式のお祈りに「アーメン」と心をあわせ、また「喜びたたえよ主の御名を・・・」との賛美を歌ってくださったことは、時間や空間を越えて、洗礼式の場にいる霊的な感動をおぼえました。

 

 霊的に生まれた姉妹を、神の家族として迎えた私たちは、教会という主のからだなる共同体の中で、姉妹を育んでいく責任があります。ある兄弟姉妹は、病室に訪問をしてくださっています。またある兄弟姉妹はお手紙で、そして他の多くの祈りによって慰め励まし、手をとるようにして共に歩んでくださっています。私たちは神の家族のお兄さん、お姉さんとして自分にできることをさせていただこうではありまんか。

 

 「神の家族なのである。」(エペソ2:19)

 

2010/12/12

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玄関の花

2010年12月12日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2010年12月05日 | 説教要約

「すべての人を照らす光」 ヨハネによる福音書1章1~13節

 ヨハネによる福音書は、マタイによる福音書やルカによる福音書とは別の特色を持っています。それは、キリストの誕生の情景は記されていません。むしろ、クリスマスの意義とか、御子の誕生がもたらしたものなどが記されているのです。

Ⅰ 神である救い主イエス

 1~3節を見ると、主イエスは、永遠から永遠の方であり、父なる神と共にあり、神であられる方であります。そして、この主イエスによってすべてのものは創造されたことが記されています。また、主イエスは命であり、この方からすべてに命が注がれているのであります。まさしく、主イエスは子なる神、神である方です。

Ⅱ 人を救う神なる主イエス

 この永遠の神なる方が、この世界に私達人間と同じ限りの有る肉体をとられて来られたのであります。それは、まことの光として、罪の中にある私達を救うためであります。「そこまでするのか」という驚くべき出来事です。なぜ、そこまでしたのでしょうか。それは私達を愛しているからであります。しかし、私達は救いに来たこの方を十字架につけ、受け入れませんでした。けれども、その自らの罪に気づかせていただき、罪を認め悔い改め、復活された主イエスを自らの救い主と信じた時、罪赦され義とせられ、神の子とされ永遠の命をいただく者とされたのです。主イエスは私達を救ってくださったのです。主イエスはすべての人を照らすのです。

 クリスマスの意義、主イエスがなしてくださったこと、主イエスの溢れる愛をより深く体験させていただきましょう。

2010/12/5 説教者 杉本守

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