静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝礼拝説教要約

2014年07月27日 | 説教要約
「真実な神の栄光をあらわす」(詩篇96篇1~13節)

 「もろもろの国の中にその栄光をあらわし、もろもろの民の中にそのくすしきみわざをあらわせ。」(3節)

 わたしたちは神の栄光をあらわすのにどうしたらよいのでしょうか。それは、神を賛美し礼拝し、神を伝えることです。この詩篇は、バビロンからの解放という主のみわざを経験した神の民が、神を賛美し礼拝する詩であります。

Ⅰ 神への賛美
 なぜ、人は神をほめたたえるのでしゅうか。一つ目は、神が救い(2)を、くすしきみわざ(3)をなされたからであります。具体的には、バビロンからの解放であります。今の私たちにとっては、罪からの救いであります。二つ目は、神が天地を造られたからであります(5)。神への賛美は、神の民にとどまらず、神の民によって全地(1)、もろもろの民(7)に伝えられ、すべての造られた人々がささげるものであります。

Ⅱ 神への礼拝
 8~9節には、神の前に出て神を礼拝することがうたわれています。聖なる装いをして主を拝し、供え物をもって御前に行くのです。外装以上に内なる心の聖なる装いを忘れてはいけません。そして、主の来られるのを待ち望むのであります。それは、臨在ということであり、また今の私たちにとっては、再臨ということでもあります(13)。再臨は、私たちにとっては楽しみであり喜びであります。神の国での礼拝とはどんなに幸いでしょう。

 主を礼拝し、主に賛美をささげ、主が自らに成して下さった救いを喜んで伝えて行きましょう。そうする時に主の栄光があらわれるのです。

2014・7・27 説教者 杉本守
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天のマナ

2014年07月27日 | 天のマナ
 「約束を果たしていますか?」

「約束を守ること、約束を破れば相手からの信頼を失う。時間を守ること、時間を守らないのは相手の時間を盗み失わせる。せこせこしないこと、けちに心を支配されると自分の器を小さくする。」と、私は小さい頃よく教えられた。今回は「約束」ということについて記させていただこう。

「70歳になる祖父は今日、経営実務の大学の学士課程を修了した。彼はどちらかと言えば、ビジネスで成功している方だ。しかし50年前にガンで亡くした母親との約束を果たすために、学位を取得したのだと、私に話した」(心に残る50のショートストーリーより)

 私たちは、神への祈りの中で、神にいろいろな約束をしてきたのではないだろうか。神は私たちに約束してくれたことに真実で約束を果たして下さっているが、私たちはどうだろうか。忘れてしまったこともあるかもしれないが、黙想してみると以前の神への約束を1つ2つと思い出す。「そろそろその約束を果たしていく時ではないだろうか」と、このストーリーを読んで自分に語りかけた。

「神は真実なかたである。」(第一コリント1章9節)
私たちも真実でありたい。

2014・7・27
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講壇の花

2014年07月27日 | 生花
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主日説教要約

2014年07月20日 | 説教要約
「全能の神の導きに従う喜び」 使徒行伝16章6~18節 

「パウロがこの幻を見た時、これは彼らに福音を伝えるために、神がわたしたちをお招きになったのだと確信して、わたしたちは、ただちにマケドニヤに渡って行くことにした。」(10)

 伝道チームは二チームとなり、今後は、パウロとシラスのチームに焦点をあてられ記されています。第二伝道旅行(AD49~51)がスタートし、各教会(シリヤとキリキア地方、デルベ、ルステラ)を励まし力づけながら、進められています。このルステラでテモテが加わります。

Ⅰ 全能の神の導き
 伝道の行先についてパウロらは計画をもっていました。まずは西方のアジア州へ、しかし聖霊がその道を閉ざします。続いてパウロらは北方のビテニアへ、しかしこれも閉ざされます。困惑したでありましょうが、彼らは何が何でも分たちの計画を遂行する(我を通す)というのではなく、神の導きを仰ぎながら伝道するのです。トロアスにいた時、幻の内に神の御心を示されるのであります。「マケドニヤに渡ってきて、私たちを助けてください」というマケドニヤ人の叫びです。この「世の叫び」を通して神の御心を知ったのであります。

Ⅱ 神の導きに従う
 パウロらは、マケドニヤにわたることが、神のみ心と確信しました(10)。この「確信」という言葉は、「いっしょに結び合わせる」、諸般の出来事を結び合わせて決断するという内容の語であります。今までの神の導き、神の言葉、そして、同伴者(シラス、テモテ、ルカ)の同意、これらのことを合わせて確信に至り、従ったのでありました。

 私たちも神の御心を知り確信したいと願っています。そしてそれに従う時に喜びを感じます。御言葉と導きと賛同をいただきながら、確信による平安をもってクリスチャン生涯を歩んでいきましょう。

2014・7・20 説教者 杉本守

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天のマナ

2014年07月20日 | 天のマナ
 「主なる神へのささげもの」           

 「主なる神へのささげもの」にはいくつかのことがあります。賛美、奉仕、献金、祈りなどです。これらの主へのささげものの動機(源)は、主への感謝であります。昨日も雨の中、お掃除、お花、事務、看板の奉仕を数名の兄姉がささげてくださいました。お掃除を含め奉仕はたくさんあります。人の目に目立つ奉仕もあれば目立たない奉仕もありますが、主なる神の目にはどちらも尊く、主なる神は喜ばれているのです。忠実に真実に奉仕に向かい、時間と労をささげている信仰の姿は、本当に神の愛を深く体験し感謝している事実をあらわしています。 この世では、自己満足や人からの評価を得るために奉仕なされますが、キリスト者の奉仕は、すでに神の恵みを溢れるばかりに頂いているので、感謝としてささげられるのです。
「イエスは近寄り、その手をとって起こされると、熱が引き、女は彼らをもてなした。」(マルコ1:31)」

2014/7/20
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講壇の花

2014年07月20日 | 生花
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天のマナ

2014年07月13日 | 天のマナ
「主への言葉」 「われらの神をほめうたうことはよいことである」(詩篇147:1)

 「今日祖父を、予約しておいた病院に車で連れていったときのことだ。2つ続けて赤信号に引っかかり不満を言っていると、祖父はクスクスと笑いだした。『お前はいつも赤信号に文句を言っている。だが青信号を褒め称えたことはないな』。」(心に残る50のストーリーより)。
 信号機は、「時には進め、時には止まれ」と私たちを守るための、交通の秩序を維持するための働きをしている。上記のストーリーは他人ごとではないと誰しも思うに違いないし、やはり以下のように信仰的に見てしまうのがクリスチャンである。
 神は、私たちを守り世界の秩序を維持しておられる。しかし、私たちはなんと感謝が少なく、不満ばっかり神に打ち明けていることだろう。信号機は人格がないので何をいっても反応はないが、神は人格(位格)をもっておられる。私たちの言葉を主はどう感じておられるのだろうか。悲しみ痛ませる不満ではなく、主に喜ばれる感謝と褒め称える声をあげたい。

2014・7・13
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主日礼拝説教要約

2014年07月13日 | 説教要約
「真の神だけにひれ伏す」(詩篇95篇1~11節)

 「さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。」(6)

 95篇~100篇までは、「礼拝への招き」はうたわれています。この95篇もバビロンの捕囚から解放され、帰還した頃のものと言われています。出エジプトした祖先たちは神に従いませんでしたが、出バビロンした民は、今度こそこの約束の地で神の御言葉に従順でいようと決意しています。

Ⅰ 礼拝を受ける方
 神は唯一であり、異教の神々は実態のないもの(96:5)であります。この真の神こそ、世界を創造し治められております(4,5)。その神を礼拝するのです(6)。まさしくこの方こそ、創造者であり、所有者であり、支配者であります。

Ⅱ 礼拝をささげる者
 礼拝をささげるものは、この方に造られた者たちであり、大牧者なる神の羊たちであります。人は、神の前に感謝をもって賛美をささげ(1)、平伏しひざまずく(6)です。以前の祖先たちがメリバ(論争)マッサ(試み)でしたように心をかたくなにしてはいけません。
 
 私たちは、大いなるみわざを経験したにもかかわらず、すぐ心をかたくしてしまいます。モーセは岩を打ち水をわかせましたが、神はイエスを十字架でうち、ゆるしといのちの水を溢れさせました、これこそ私たちの救いの岩です。私たちはただこの真の神の前だけに、これからも平伏してまいりましょう。

2014・7・13 説教者 杉本守
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講壇の花

2014年07月13日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2014年07月06日 | 説教要約
「人間の弱さをも包み込む偉大な神」使徒行伝15章36~41節

「それは『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりである。」(31)

 この箇所から第二伝道旅行が始まります。この準備の時に、一つの出来事が起こりました。

Ⅰ 人間の弱さ
 パウロは、第一伝道旅行で各地に救われた者、集められたてられた教会を巡回し励ますために、バルナバに二回目の伝道旅行へ行こうとさそいました。そこで誰を連れていくかと話し合っている時に、第一伝道旅行で離脱したマルコの件で激論が起こりました。バルナバは、親戚であったマルコにもう一度チャンスを与えたいと願い、パウロは、献身が不十分な者は連れていけないとの宣教の真剣さを語り、マルコを連れていかないと主張します。どちらの主張もそれぞれの性格をあらわしていますが、それが人間の限界であり、ある面での弱さでありました。偉大なパウロやバルナバも完璧ではありません。


Ⅱ すべてを益にする神
 結局、パウロはシラスを、バルナバはマルコを連れて、伝道チームは二つに分かれます。神はこの出来事を逆手にとり、二チームによる宣教の働きを今までの二倍にすると同時に、彼らをそれぞれに取り扱うのです。彼らは仲たがいしてしまったのでしょうか。いいえ、パウロはバルナバを同労者として認め続け、マルコを役に立つ者として後の手紙で語っています。それぞれが取り扱われ成長成熟しているのです。

 私たちはパーフェクトではありません。しかし、この人間的な弱さをも包み込んで下さる偉大な神がおられます。お互いに祈り合い支え合いゆるしあって、この神のみ手の中で歩んでいきましょう。

2014/7/6 説教者 杉本守
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