静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

秋の特別集会

2023年09月24日 | イベント案内
皆さま、どうぞお出かけください。お待ちしております。
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天のマナ

2023年09月24日 | 天のマナ
 「伝道する者にも伝道される者にも働き神」
 主イエスは、天に戻られる時、大宣教命令をなされました。「だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい」(マタイ28:19)、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)、「ただ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる」(使徒行録1:8)。
 「伝道、宣教」は、義務や重荷ではなく、救わた喜びと主イエスの愛によってなされていくものです。そして、神は、伝道する者にも、伝道される者にも聖霊をもって働き導くのです。神は、信徒伝道者ピリポに働きエチオピアの高官にもとに導くと共に、、エチオピアの高官にも働き、主を求める気持ちを起こさせ、信じ洗礼を受けたい求めを与えられていました(使徒言行録8:26~40)。また、主の弟子であるアナニアを迫害者サウロのもとに導いた神は、すでにサウロに現れ、アナニアから祈ってもらい洗礼を受ける思いを与えられていたのです(使徒言行録9章1~19)。
 「いつ、誰に伝えるのか」を主に祈り聞き、主の備えて下さっている方に福音を宣べ伝えさせていただきましょう。
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講壇の生花

2023年09月24日 | 生花
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天のマナ

2023年09月17日 | 天のマナ
「人知を超えた主イエスの思いと御業」
 一年に5回ほど、静岡市内の牧師会が開かれ、毎回、会長の牧師がみ言葉を開き、お勧めをして下さいます。今回の箇所は、ラザロの復活の箇所(ヨハネによる福音書11章)からでした。主イエスの思い(考え)と人の思い(考え)の違い、人の思いをはるかに超えた主イエスの驚くべき思いと業が語られました。
 ラザロの姉妹たちは、「ラザロが病気です」と語りすぐに主イエスが癒してくれる思っていましたが、主イエスは、神の栄光のため、ラザロを癒すのではなく生き返せるため、なお二日滞在されました。弟子たちは、主イエスは「行かない」かと思っていましたが、知らせを聞いてから二日滞在後、主イエスは行かれました。主イエスの「ラザロが生き返る宣言」(11:23)を聞いて、マルタは「終わりの日に」と限定しましたが、主イエスはラザロの生き返りは今とし、ラザロを生き返らせました。
 主イエスの思いそして御業は、私たちの思いをいつもはるかに超えています。このお方を信じている私たちは、なんと幸いでしょうか。「何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう」(フィリピ4章6~7節)
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天のマナ

2023年09月10日 | 天のマナ
「神の前にくずれ落ちたその時」(ユースジャムの恵み③) 
 前回の続きです。イザヤは神の聖さの前に立った時、自らの罪深さをまざまざと見せられ知らされました。そして彼は、そこから逃げず、また人や状況のせいにもせず、勇気をもって自分に向き合いました。自分の罪深い姿を認め、神の前に自らの汚れを告白し悔い改めたのです。つまり神の前にくずれ落ち降参したのです。その時、主は天使を遣わし、祭壇の上から炭火を取らせ、イザヤの口に触れさせたのです。主は「見よ、これがあなたの唇に降れたので、過ちは取り去られ、罪は覆われた」との宣言を与え、彼をきよめたのです。
 我を張って高慢になっている間は、神の救いは受けられません。神の前にへりくだり、自分を罪を認め告白する時に、神は救い(きよめも含む)を与えて下さるのです。神の前に崩れ落ち、神の恵みを受けましょう。「『神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお与えになる」からです。』(ペトロ一5:5)。
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天のマナ

2023年09月03日 | 天のマナ
 「逃げないで自分と向き合う」(ユースジャムの恵み②) 
 ユースジャム2023のユース(青年)の恵みの集会の二回目は、イザヤ書6章のイザヤの召命からみ言葉が取り次がれ、そこから受けた主の恵みを記させたいただきます。
 人は神の前に立つと、神のきよさの前に、自らの罪深さをまざまざと見せられ知らされます。モーセにしてもダビデにしてもこのイザヤにしてもです。イザヤは、すでに預言者としての働きをしていましたが、聖所で万軍の主を見た時、「ああ、災いだ。私は汚れた、唇の者」、新改訳では「ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で」でと告白したのです。人は神の前に立ち自らの罪深さがわかるといずれか三つの反応をいたします。一番目は、自分に向き合わず目をそらし罪の基準を下げ神の前と自分の前から逃げるのです。二番目は、これも自分に向き合わず他の人も同じではないかと人や状況に逃げるのです。三番目は、勇気をもって自分に向き合い逃げないで、自分の罪を認め神の前に悔い改め、神の赦しを受け、神のきよめにあずかるのです。モーセもダビデもイザヤも三番目でした。ですから、主は天使を遣わして、「見よ、これがあなたの唇に降れたので、過ちは取り去られ、罪は覆われた」との宣言を受け主の救いを受けたのです。あなたはいずれでしょうか?
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