静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2011年02月27日 | 天のマナ

 「主イエスに会う」 

 先週金曜日から有名な神学者でありましたC・Sルイス原作の「ナルニア物語③」の映画が上映されました。また、その夜テレビ番組で、「ナルニア物語②」、昨日は「ナルニア物語①」が放映されました。物語②の放送の中で、一人の少女がライオン(アスラン)の助けが必要で会いにいく場面がありました。力あるアスランの助けを信じていた彼女は、アスランを見つけて会うことができました。その時、彼女はこう問いました。「なぜ、今まであなた(アスラン)に会えなかったのか」とです。アスランは「あなたが、会いにこなかったからだ」と答えます。

 この箇所から教えられたのです。私達はどのようにしているでしょうか。力ある主イエスを

信じること、助けが必要だと主イエスに求めることはしています。しかし、ここまでで終わって

しまっているのではないでしょうか。主イエスに会いにいくこと、主イエスの前に出ることをし

たいのです。 

 「わたしたちはメシヤにいま出会った」(ヨハネ1:41)

2011/2/27

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講壇の花

2011年02月27日 | 生花
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天のマナ

2011年02月20日 | 天のマナ

 「人間にとってすべて」 

 

 有名な哲学者であったフランシス・ベーコンは、次のように言いました。「浅薄な哲学は人

の心を無神論に傾け、深遠なる哲学は人の心を神へと導いて行く」。

 祈祷会で、伝道の書から神の言葉をいただいています。伝道の書の著者であるこの世の

栄華を極めたソロモン王は、事の真相を探求した結果、この世のすべては空しいと語りました。しかし、そこで終わってしまうのではなしに、神に見出され、神を畏れ信じ従うことによって、空しさから解放され、この世のすべてに意味があることを知ったのです。まさしくベーコンの言葉です。神を信じ、神の言葉によって生きる、これが、人間にとって最も肝要なことなのであります。むなしい人生を、真のいのちに満ちた人生、永遠のいのちに至る人生へと転じる道は、神に立ち返り神と共に歩むことです。

「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道の書12:13)

 

2011/2/20

 

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講壇の花

2011年02月20日 | 生花
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天のマナ

2011年02月13日 | 天のマナ

 「生かされ守られている歩み」 

 先月、神の許に召されました一人の姉妹が、入院中に次のように話して下さいました。「神を信じるまでは自分で生きていると思っていたし、自分の力で生きていかなければという思で日々を必死で闘っていた。しかし、神を信じてからは、神によって生かされていることに気づかされ、力みはなくなり平安と喜びを得て楽になった」と。

 先週の金曜日、教会学校教師の研修会が東京であり車で4名が参加しました。その日は静岡では雨でしたが、行きも帰りも御殿場より先(東京方面)は雪でした。チェーンは積みましたがノーマルタイヤで大丈夫かなと不安がありました。特に御殿場は高原で気温も低くその前後の坂道が凍結したらと思ったからでありました。走る前も祈り、走りながらも祈り心で運転をし無事に行って来る事ができました。「守られたなあ」と感謝の祈りを何度も祈りました。兄弟姉妹のお祈りにも感謝します。

 

「主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である」(詩篇121:5)

2011・2・13

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講壇の花

2011年02月13日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2011年02月06日 | 説教要約

「神を待ち望みます」 詩篇38篇1~22節

7つの悔い改めの詩篇の一つであるこの詩篇から主の言葉に耳を傾けましょう。

Ⅰ 打ちひしがれている中で

 この詩人は、自らの罪、不義、愚かさに痛くうなだれています。また、周囲の者もこの詩人に対して離れて立ち欺くことをするのです。まさしく私たち人間は自分の罪深さとその結果を知るときに、ただため息をつき、うなだれるしかありません。

Ⅱ 助けを求める叫び

 しかし、この詩人は、打ちひしがれる中にも、周囲の声に耳をかさず、自己弁護せずに、主なる神の前に出て祈り叫ぶのです。ありのままの自分をさらけだし悔い改め、主なる神が赦しと救いをもって応えられることを信じて、主なる神を待ち望んでいるのです。

 主なる神の前に自らの姿を認め、主なる神の前に出ようではありませんか。「しかし、主よ、わたしはあなたを待ち望みます。」(15節)

2011/2/6 説教者 杉本守

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天のマナ

2011年02月06日 | 天のマナ

「主なる神の前に置く」 

 

 ユダの王ヒゼキヤは、アッスリヤ王セナケリブの軍の侵攻にあっていました(イザヤ36~37章)。そして、セナケリブ王はラキシをヒゼキヤ王の所へ使者として遣わし、アッスリヤの大軍の前には、ヒゼキヤ王が信じている神など助けにならないと罵倒し、すぐに降伏するように手紙を渡すのです。ヒゼキヤ王は、その手紙を受け取り、すぐに主の宮にのぼって主の前にそれを広げ祈るのです。その祈りの内容は、あなただけが真の神、天地を創造した神です。他の国々は偶像の神を信じていたので滅ぼされましたが、あなたは真の神です。救い出してください。そうすれば、あなただけが真の神であることを他の国々の人たちは知るでしょうと。

 ヒゼキヤ王は、その苦悩の時に、主の前に行って、彼の課題・問題を置いたのです。ただ単純に、しかも正直に、神の導きを求めました。彼は、神の勝利と祝福を得たのでした。

 

「あなたのなすべき事を主に委ねよ、そうすれば、彼があなたの計画をすべて手配してくださる。」(箴言16章3節)

2011・2・6

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講壇の花

2011年02月06日 | 生花
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