静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2021年05月30日 | 天のマナ
 「記念誌あいさつ文」
主からいただいた豊かな恵みを日本ホーリネス教団の諸教会に、創立70周年記念誌を送付し分かちさせていただきます。そのあいさつ文を記載いたします。

 「わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ。その聖なるみ名をほめよ。
わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。」(詩篇103篇1~2節)
主の御名をほめたたえます。
 静岡ホーリネス教会の為にお祈りと励ましを感謝いたします。静岡ホーリネス教会は今年で創立70周年を迎えることができました。静岡ホーリネス教会では、「主のすべてのめぐみを心にとめ、忘れないように」、25周年、40周年、50周年、60周年に続き70周年の記念誌を作成いたしました。特にこの記念誌では、ここ10年の歩みを記載させていただいております。
この記念誌の作成にあたり、ご奉仕をして下さった兄姉に心からの感謝をし、全国の諸教会に主の恵みを分かち合わせていただきたく、送付させていただきました。ご覧くだされば幸いです。
御教会の内に主の豊かな祝福がありますように。
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天のマナ

2021年05月23日 | 天のマナ
 「自立した大人のキリスト者としてー信仰面―」  前回の続きです。
 先週のMM講演会で、講師の先生が、「結婚式の式文から見る結婚の祝福」とい題で講演をして下さいました。その中で最初に語られたのは、結婚式の始めに、新郎がひとりで入場する又は会衆の最前列でひとりで新婦を待つことは、「自立」を意味しているということでした。特に、信仰面に力を入れて語られました。「信仰面の自立」とは、「神と私の関係の確立であり、成熟」であります。問題が起こった時、大きな困難の中に陥った時に、牧師や信仰の先輩らに聞いてもらい祈ってもらうことも良いのですが、最終的には、ひとりで神の前に出て祈ること、神の前に心を注ぎ、神に取り扱われ、神の命のみ言葉をいただくことができるということです。お互いが、それぞれひとりで神の前に出ることを身に着けているならば、どんな問題が起きても安心です。これは、結婚後の夫婦関係に問題が起こった時にも、大いに発揮されます。自立した大人のキリスト者で結婚した夫婦は、価値観が違うと言って、相手や自分をあきらめてしまうことにならないのです。夫も妻も神の前に出て取り扱われ、変えられて行くからです。ひとり、神の前に出ましょう。
「御前に心を注ぎ出せ。」(詩編62編9節)。
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天のマナ

2021年05月16日 | 天のマナ
「自立した大人のキリスト者として教会(神の家族)を共に建て上げる」 

 親の子どもへの責任は、子どもを自立した大人に育てることであります。そのために様々な面(知的、精神的、肉体的、社会的「人間関係」など)で教育をします。我が家では信仰面も含め、「お手伝いができる年になると家庭での役割を与え、洗礼を受けた時から教会での奉仕と十分の一献金をささげ、就職した時から家に食費を入れ、教会に滞在費をささげるように」と教育し、本人たちもそれを理解し納得し、自主的にしてきました。それが本人たちの自立の確立に至らせ、本人たちの祝福になりました。

 私たちは、自立した大人のキリスト者でしょうか?もし、そうでなければ、責任は親にあります。それは牧師の責任です。自立していない子供のキリスト者のままにしているからです。洗礼の時、私たちはいくつもの誓約し、神の家族(教会)に迎え入れられました。改めて一人一人が自らに問いましょう。神の家族の一員として、自立した者としての充実した喜びをもっているでしょうか。牧師や大人の他のキリスト者に依存したままでよろしいのでしょうか。依存したままでその喜びはあるのでしょうか。教会(神の家族・家庭)の中での、自らの分、奉仕をささげ、献金をささげ、励まし合い支え合って、それぞれの務めをなし、共にこれからも「教会(神の家族)」を建て上げさせていただきましょう。
「成長していくのです」(エフェソ4:15)
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天のマナ

2021年05月09日 | 天のマナ
「み言葉に真摯に向き合う」 
 本日のタイトルは、「み言葉に真摯に向き合う」です。「真摯に」とは、「まじめなひたむきな様子」「熱心な様子」「誠意や真心がある事」です。本日もデボーション・セルがあります。また、伊東教会の祈祷会でも、デボーション・セルと同じ方法(帰納法的デボーション)で、じっくりとみ言葉を味わっています。み言葉に真摯に向き合えば向き合うほど、神の言葉の恵みは滲(にじ)んで、いいえ溢れて来て、私たちの心を満たし、活かし生かすのです。
「主のおしえは完全で たましいを生き返らせ 主の証しは確かで 浅はかな者を賢くする。主の戒めは真っ直ぐで 人の心を喜ばせ 主の仰せは清らかで 人の目を明るくする。」「それらは 金よりも 多くの純金よりも慕わしく 蜜よりも 蜜蜂の巣の滴りよりも甘い。」(詩篇19篇7、8、10節:新改訳2017)。
 み言葉を味わうことがひとりひとりの楽しみとなり、喜びとなりますように。「あなたの言葉は、私にとって喜びとなり、私の心の楽しみとなりました。」(エレミヤ書15章16節)。
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天のマナ

2021年05月02日 | 天のマナ
 「全幅(ありったけの、最大の)の信頼」
 乳児が母親の腕の中で、父親の腕の中で、全幅の信頼を寄せてすやすやと寝ている姿は、なんと平安な光景でしょう。詩篇127篇2節(口語訳)には、「主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてはならぬものを与えられるからである。」とあります。「あれもこれも必要、あれもこれも足りない」とあたふたしていないでしょうか。父なる神様の腕の中に憩うことができる幸いは、父なる神を知り信じ受け入れた私たちクリスチャン、キリスト者の特権です。その特権である父なる神様に憩うという平安を、私たちはどれだけ体験しているでしょうか?
 「ミルクが必要なのか、おむつの取り換えなのか、ゲップをしたいのか、体の安定がほしいのか、温度調節なのか、かまってほしいのか」と親は、気を配り、満たそうとします。乳児はしゃべらず、泣くことで表現しますが、満足すると腕の中で休みます。
 主は私たちを愛しておられます。完璧な親で、私たちの全てを理解しております。求めている時も、寝ている時も、なくてはならぬものを与えて下さっていますし、これからも与えて下さいます。ですから、一日の業を成したら、ゆっくり父なる神様の御腕に抱かれましょう。
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