静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2013年05月12日 | 天のマナ

「恥はわがもの 栄光は主のもの」

カルフォルニアのマック牧師のブログに次のような文章がありました。

 礼拝ライブの録画を見ました。赤面です。苦痛です。自分はこんなに落ち着きなく、右に左に動いているのか。こんなに早口で、こんなに強面なのか(笑)。「お前、今まで知らなかったのか!」と問われれば、「いや、いや、分かっていたつもりなのですが、思った以上でした」と答える以外ありません(苦笑)。ほんとに自分は自分のことすら何も分かっちゃいないということを思い知らされました。で、こういう放映を続けるということは、自分というものが素っ裸にされて世界にさらされているようでなんとも辛いのですが、私の親分は実際にそのような姿で、私のためにカルバリの十字架において人々の目にさらされてくださったわけで、それを思うのなら「恥はわがもの、栄光は主のもの」と、地球上のどこかで誰かが聖書の一節だけでもいいから、その言葉に反応してくれたらということを願ってコツコツと続けていきます。

「しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。」(ローマ10章14章)

2013/5/12

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主日礼拝説教要約

2013年05月12日 | 説教要約

「心を合わせて」 使徒行伝1章12~14節

 主イエスの昇天後、弟子達、婦人たちは、オリブ山を下り主の命令に従い、毎日集り聖霊を待ち望みつつ祈っていました。

Ⅰ 聖霊を待ち望んだ者達

 彼らは、弟子達、婦人達、イエスの母マリヤとイエスの兄弟達でした。ある時は120名ほどにもなりました。彼らの過去はさまざまです。常に変わらない気持ちでイエスに仕えてきた婦人達、裏切った弟子達、当初はイエスを救い主として認めなかった兄弟達でした。

Ⅱ 聖霊を待ち望んだ姿

 そのようなばらばらの彼らが、祈ったのです。その祈りは、主イエスの約束の言葉を信じた信仰の祈りであり、心をあわせた一致の祈りであり、ひたすらな祈りでありました。10日間、祈る中で聖霊を待ち望むにふさわしい彼らに変えれていったのでした。

 祈ることが、教会が形成される上で、人間のなし得る最大の準備李であります。心を合わせて祈る私たちであり、主の業をさらに体験させていただきましょう。

2013/5/12 説教者 杉本守

 

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講壇の花

2013年05月12日 | 生花
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