「一つの事を神に願う」 詩篇27篇1~6節
命をねらわれる窮地に立たされた時、あなたは何を神に願うでしょうか?
この詩篇の詩人は何を願ったのでしょうか?
Ⅰ 神への確信
窮地の中でこの詩人は、ます確信の告白をしています。それは、「わたしは恐れない」ということです。なぜなら、彼は主なる神がわたしの光であり、救いであり、命の砦であることを信じ、その主なる神に寄り頼んでいるからであります。主なる神は、私を決して見捨てずに、救われるからであります。
Ⅱ神への願い
その確信の告白をし、このことを土台にし、彼は神への一つの事を願いました。その願った内容は、主なる神との交わりが深くされることでありました。主と私の縦の関係が真っ直ぐで深く豊かであるならば、人や状況などの横の関係もスムーズになされることを彼は知っていたからです。
「主の家に住む」の「住む」に注目したいのです。それは、「立ち寄る」とか「訪れる」ということではなく、「居続ける」ということです。
私たちもいろいろな状況に置かれますが、主日や祈り会の日だけではなく、平日も主との深い交わりにあり続けたい、主の家に住み続けたいのです。その時にすべてが解決されていくのです。
2010/7/25 説教者 杉本守
命をねらわれる窮地に立たされた時、あなたは何を神に願うでしょうか?
この詩篇の詩人は何を願ったのでしょうか?
Ⅰ 神への確信
窮地の中でこの詩人は、ます確信の告白をしています。それは、「わたしは恐れない」ということです。なぜなら、彼は主なる神がわたしの光であり、救いであり、命の砦であることを信じ、その主なる神に寄り頼んでいるからであります。主なる神は、私を決して見捨てずに、救われるからであります。
Ⅱ神への願い
その確信の告白をし、このことを土台にし、彼は神への一つの事を願いました。その願った内容は、主なる神との交わりが深くされることでありました。主と私の縦の関係が真っ直ぐで深く豊かであるならば、人や状況などの横の関係もスムーズになされることを彼は知っていたからです。
「主の家に住む」の「住む」に注目したいのです。それは、「立ち寄る」とか「訪れる」ということではなく、「居続ける」ということです。
私たちもいろいろな状況に置かれますが、主日や祈り会の日だけではなく、平日も主との深い交わりにあり続けたい、主の家に住み続けたいのです。その時にすべてが解決されていくのです。
2010/7/25 説教者 杉本守